37.1.カグヤ、出張す1 prev next
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 仙の気立つ、まるで夢の中にでも来たかのような、体が宙に浮くような不思議な感覚。
 故郷が、たしかそうだった。

 ――桃花源国北部
 流れるような美しい黒髪に、凛と伸びた背筋、淀み無いその歩みは気品を醸す――"ハートのキング"カグヤは道士協会に謝罪を申し入れにこの"親神使教国"を訪れていた。
 歩くたび、胸に輝く金のバッヂに視線が刺さる。

 「お待ちしておりました」




らいじい

 両手を袖に隠し、深々と頭を下げる、長い髭を蓄えた老人。垂れた眉の隙間から覗く眼光は鋭かった。
 「儡乾道と申します。本部まで私がご案内差し上げましょう」

 片手を拳に、両手を突き合わせ、カグヤもまた深々と頭を下げた。
 「市松芳也と申します。この度はご対応ありがとうございます」
 桃花源国の神使教独特の礼だった。カグヤとしては郷に入りては郷に従えの精神のつもりだったが、どうやら爺の気には障ったようだった。

 「裏切り者が」
 吐き捨てるように、言われた。
 これまで幾度も言われてきた科白のため、慣れてしまったせいか、もはやカグヤの心に響くものでは無くなっていた。
 しかし、最近は代わりにこのように思うようになった。

 果たして"慣れ"てしまってよいものかと。




 ◆


 霧深い山の中。
 気が遠くなるほど延々と続く石段を、どれだけ時間が経ったかわからないほど、ただただ無言で登りつづけた。

 すぐ後ろをついて離れない足音に、爺は心の中で舌打ちした。

 ――これをわしの早さで着いてくるか。

 そして足を止め様子を確かめるため、振り返った。
 周囲に木々しか見当たらない石段の真ん中で、突然足を止めて振り返られたため、カグヤは何事かと首をかしげた。
 その息一つ乱れず、汗一つ流れない涼しげな表情に、爺の顔に"これは駄目だ"と呆れにも似た諦めの色が広がった。

 「いつまでついていらっしゃるおつもりか」
 淡々と、カグヤは返した。
 「ご案内を、いただけるまで。"これ"は道士協会流のご挨拶ですか?」




 途端に、絵の具を洗い流すように、霧と共に晴れた景色は緑繁る山中の石段などではなく、険しい断崖が左右を取り囲む細い岩山の上だった。爺の後ろをぴたりとついていなければ、滑落していたことだろう。爺の足先に、最早道はなかった。

 「はははは! こりゃあダメだな、儡爺!」
 少し離れたところにぽつんとそびえる柱のような細い岩山。その上にしゃがんで見下ろす一人の男。

 「お前の"腕が悪い"のだ、反省しろ、"霧乾道"」

 霧乾道と呼ばれたその男は興味深げにカグヤを見つめた。
 「確かにジパング人! 魔導師やってんなんて、変な感じだなあ……!」
 そうしてカグヤたちの立つ岩の上に飛び移ると、右手を差し出した。
 「ども! "霧乾道"っす! 悪いけど協会の場所は教えらんないんだよね」
 握手に応じながら、カグヤの目はまっすぐとその先を見据えていた。
 「それで?」

 ニヤリと吊り上る口の端。
 「黙って"ついて"来な。"霧に逆らうな"」

 男の手には一枚の札。一度振り上げれば、辺りは砂嵐のような濃い霧に包まれ、僅かな先すら見えなくなった。

 「こっちだ」




 声に導かれ、歩みを進める。その距離はとうに断崖を越しているはずだが、足元はしっかりと踏みしめている。

 やがて霧を抜け、晴れた視界の先には、端が見えないほどはるか遠くまで伸びる瓦屋根、規則正しく並んだ朱塗りの柱。その向こう側は、相変わらず霧が濃くて見ることはできない。

 「この先が、"本当の"協会本部だよ。この辺りに"かけてる"霧は悪いけど"外せない"。あとはそこの爺さ……"儡乾道"に着いてって」
 相変わらず鋭い眼光のその爺は、カグヤを一瞥するとさっさと歩き出した。
 「礼を言う、"霧乾道"殿」
 その凛とした背中を霧が飲み込む様を見届け、男は霧の中へ消えていった。





―――  A. ( カグヤ、出張す1) ―――






2012.12.7 KurimCoroque(栗ムコロッケ)