36.1.スペードのキング降格事件1 prev next
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 「どういうこと……?」
 「言うた通りや、婚約破棄」

 夜風が生温い、虫たちの合唱がわんさかと、人気の無い公園。池の畔で光炎魔法の街灯がちらちらと照らす二つの影。

 「うちの親に何か言われた?」
 「ちゃうわアホ」
 「言われたんでしょ? 私は貴方となら……」
 「親御はんは大事にせなあかん」

 女は納得いかないと目に涙が溜まるのを、必死で堪えて言葉を探していた。

 「ああ、それと」

 男は憮然とした態度で女を見下ろした。

 「明日から秘書課に転属や、お前」




 ◆


 翌朝出された人事異動令は誰もが度肝を抜かされた。

 殉職したハートのキングと、先日一人の一般隊員との一騎打ちで敗れ、辞表を提出したスペードのキング、この二つのポストに充てられたのは、なんとジパング人。

 10年程前にジパング国との国交正常化、友好の証として魔法圏に放り込まれた二人のジパング人の子ども。しかし程無くして、代わりにジパングへ送り込んだ魔導師が殺害。魔法圏と神使教との溝を深めるだけ深め、あっという間に国交断絶、取り残される形となった、腫れ物のような存在。二人のジパング人の立ち位置は魔法圏の中で非常に微妙だった。10年経過した今でも、歩けば殺せと声が上がるほどだ。
 そんな二人がトランプのトップとなった。当時この人事を行なったジョーカーには、神使教に媚びているなどと激しくバッシングされた。

 そしてもう一つ、一部の隊員たちの間で驚かれたのが、非常に有能だったリシュリュー隊員の秘書課への転属。今朝より大変落ち込んだ様子のリシュリュー隊員を、皆この人事が原因かと懸命に励ました。

 この人事が発表された直後、スペード軍のエースが抗議を目的とした辞任。トランプ内は更に大混乱に陥った。




 ◆


 「ちょっと! 見たわよ、ニュースペーパーの号外! 大変なことになってるじゃない」
 帰宅するなり、恋人ヨトルヤの第一声はこれだった。

 「まあね、いろいろ処理が滞って仕事になんない」
 汗まみれの制服を脱ぎ、その場に置こうとした手をはたと止め、洗濯カゴに放り込みながら、ウランドは疲れた様子でソファに身を沈めた。

 「あなたはどうなの……? 私はあんまりそういう差別は好きじゃないんだけど」
 「目と髪がホントに黒いってことは分かった。それ以外はまだよくわかんない」
 「……あなたの人の見方はホントよくわからないわ」

 ぽりぽりとライトブラウンのクセッ毛を掻きながら、すがるように婚約者を見上げた。
 「ところでなんか食べるものない?」
 「もう、こっちは心配してるのに!」
 「……いや、だって今日の今日じゃ何ともいえないよ……明日ようやく挨拶なんだ」




 ◆


 このころはちょっと前髪が短い

 「おはよう、ハートのエース。昨日バタバタしていたせいで、挨拶が遅れてすまん」

 それが、カグヤがキングとしてエースにかけた最初の言葉だった。"いつものように"キョロキョロと落ち着きなく、ウランドは答えた。
 「おかまいなく。早速ですがまずは体制を立て直したいのですが」
 「わかっている。キングで止めている書類はすべてよこせ。それとまずは各案件のアサインと状況を把握したい」

 やはり浮き足立っている、とウランドは笑いを咳払いで誤魔化した。

 「キング、申し訳ありません、私が急かしてしまいましたね。まずはスケジュールの把握から行いましょう。あと10分で上層部会、その後朝礼です。それから次の案件状況報告会議までに30分ほどお時間がありますので、その間に軽くご説明いたします」
 「わかった」
 互いに謝罪から始まった最初の対面だったが、さほど悪い印象などなく、むしろやっていけそうだと、ウランドは既に手ごたえを感じていた。
 そうなってくると気になるのはもう一人のジパング人。エースにまで辞められて、ハート軍より状況は悪い。最悪次のエース選任まではダイヤのエースか自分が兼務する必要があると考えていた。

 「キング、本日の上層部会、私も参加させていただきます」




 ◆


 毎朝始業前に執り行われるトランプ上層部会議。ジョーカーの執務室に各軍のキングが集まり、互いに情報交換を行う。
 たまに前キングの代理で参加していたが、その日の場の空気はなかなかに殺伐としたものだった。
 ピクリとも笑おうとしないジョーカーに、そわそわと落ち着きの無い、相変わらず代理出席のクラブのエース。ダイヤのキングはお得意の討伐遠征。スペードのキングの姿はまだ、ない。

 クラブのエース・リケは助けを求めるような視線をウランドに送った。ピリピリとした空気の中、ハートのキングは口を開いた。
 「おはようございます、本日は初日ということもあり、エースも参加させていただきます」
 ジョーカーの口にいつものイタズラっぽい笑みが宿った。しかしその声色は低かった。
 「おはよう、ハートのキング、今日からよろしく頼むぞ」

 その後ろで、ウランドはこそこそとリケに話しかけていた。
 「スペードのキングはまだですか」
 「昨日から連絡とれないって、今スペードで騒ぎになってる」
 「へぇ」

 この何ともいたたまれない状況に逃げ出したか。多少残念に思ったが、致し方ないとも思えた。

 そして定刻になり、会が始まり、少ししてだった。
 ドアが開いたと同時に虎のような剣幕でジョーカーは怒鳴り付けた。

 「どこほっつき歩いとったんじゃクソガキがーーっ!」

 あまり大声を出すことの無い老将のその剣幕はリケを飛び上がらせた。
 扉からのそりと現れた黒髪坊主の大男は何食わぬ顔で言ってのけた。

 「わざわざこのようけわからん集まりに顔出したったんやで? なんで怒鳴られなあかんねん」

 そのジパング人はウランドの想像の遥か斜め上を行っていた。





―――  A. ( スペードのキング降格事件1 ) ―――






2012.10.12 KurimCoroque(栗ムコロッケ)