35.2.さんまいのよつば2 prev next
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 気がつくと、目の前には薄紫とピンク色のグラデーションの空。体を起こせば、ヒトデ型の黄色い星たちの踊りに合わせ、アブクのように沸き上がるおたまじゃくしのような音符の群れ。

 何かの見間違いかと、シェンは思わず頬をつねった。




 遠くに見える小高い丘。その上にそびえる立派な城。

 これといって目につくものはそれしかなく、とりあえずそこに向かいながらシェンは状況を整理した。

 本に飲み込まれ、気がつくとここにいた。司書のポシャは本の世界に閉じ込められると言っていた。

 腰帯の背面に差していた警棒サイズの赤い棍を取り出し、小さく「シン」と唱えた。
 途端に棍はシェンの身長を越すほどの長さに伸び、その端は地面に突き刺さった。

 アーティファクトが使えるということは自身に魔力が通っているということ、つまり肉体と魂魄は揃っていることを示していた。
 だが、周囲にそよぐ風に、空に、星に、精霊の存在は感じられない。どうやら魔法の類いを使うにも限界がありそうだった。
 外の世界からくっついてきた精霊を使い切ったら、いくら魔力が残っていても悪魔が操作するための精霊がない、つまり魔法の力ではここから出られなくなる。

 図書館に足を踏み入れた際に、外界から時空的に取り残された空間だと感じたが、ここはまさにそうだった。

 シェン「楽しい楽しい本の世界。あらゆる悩みや苦痛から逃れて、好きなものだけの世界に閉じ籠りたい、か。そりゃそうだわ、現実が楽しくなけりゃ」




 城の前まで行くと、突然の紙吹雪とラッパの合唱、歓迎のセレモニーだった。
 城の奥から現れた背の高いすらりとした若い男、頂きに座すは王冠。男は声高々に歓迎の言葉を述べた。
 「ようこそ! 我が城へ! 我が姫よ!」

 ありがちな、童話のセリフ。どうやらあの本は童話集のようだ。

 シェン「こんちわ、王子サマ! 妖精見なかった?」
 「さあ、姫! お入り」
 妖精を見なかったかという問いかけなどまるで無かったように王子は城の中へと手を引いた。
 シェン「おー! お邪魔しまーす!」




 姫の部屋だと招き入れられたそこは、ぎゅうぎゅうに足の踏み場もないほど、老若男女で埋め尽くされていた。どうやら被害者たちらしい。

 「シェン!」

 真っ先に翔んできた小さな相棒。シェンの頬に抱きついたかと思うと、かなり慌てた様子でシェンの髪を引っ張った。

 リンリン「いた! いたいた! いたの!」
 シェン「え? 何が?」

 "まだ"元気の良い声が耳についたか、足下で生気無く座り込んでいた男が口を挟んだ。
 「あんたもあの本にやられたクチかい」
 シェン「ここの"お姫様"方も?」
 「そうだよ、腹も減らない、眠くもならない、ヒゲも伸びなきゃ、クソも出ねぇ!」
 シェン「じゃあここに連れてこられて、何すんの?」
 「知らねえよ! 城を出ようとするとあの王子が全く同じセリフを吐いて結局ここに連れ戻されるんだ」

 どうやら、ここがこの童話の終わりらしい。恐らく、城で王子とずっと幸せに暮らしたとさ、とかそんなところだろう。
 シェン「なんで姫の部屋ってのに通されるのか、よくわかんないけど」

 「この童話集はちょっと変わっていて、」

 部屋の奥で膝を抱えていたエプロン姿の女性。ポシャと同じエプロンだったため、直ぐにその同僚であることがわかった。
 足の踏み場の無い密集した人々の隙間を注意しながら分け入り、シェンはその司書の前で腰をおろした。リンリンが肩を叩く力が更に強くなった。

 「主人公は姫でも何でもなく、ただの身寄りのない、ホームレスの女の子でした。王子に見初められ、数々の困難を乗り越え、王子と城を手に入れ幸せになるという話です」
 シェン「数々の困難?」
 「もともとこの本にかけていたブック・カースは閲覧の年齢制限をかけるためのものでした……内容が少々過激でして……この話では、主人公にとっての困難とは、生育環境の違いからの王子の周囲の反対でした」
 そこまでは普通のことだろう、とシェンは頷きながら聞いていた。
 「ところが主人公は周りから認められる努力をすることなく王子をそそのかし、忠義の熱い大臣や、王子を息子のように可愛がっていた乳母、優しい王さまお妃さまを次々と手にかけさせます。城に王子の大切な人はいなくなりました。でも王子は気づきませんでした、なぜなら主人公が側にいてくれたから」
 シェン「そのこころは?」
 「……この童話集の題名は『さんまいのよつば』です。納められているすべての話に共通した作者の意図は、すべてそこに」

 直ぐ様いくつかの疑問符が頭に浮かんだ。童話やおとぎ話の多くは無知の子どもへ潜在的に刷り込む戒めだというのがシェンの認識であった。さんまいのよつば、つまりは"欠けた幸せ"――司書であるポシャならば、この話が良い結末ではないと、わからないはずがない。ますます、彼女が渋った意味がわからなくなった。この中に誰が嫌いな人間でもいるのだろうか。
 そして、最大の疑問がこれだった。
 シェン「なんでいきなり物語のラストなの?」
 そのような壮大な謀略の話であるはずなのに、中間がすっぽり抜けてしまっている。それともこれから王子への"唆し"が始まるところなのか。

 司書はシェンのすぐ隣を示した。
 「それはこの方が」

 シェンはすぐ隣に顔を向けた。




 ゲコッ
 
 「ゲコッ! シェンじゃあないか」

 つやつや、ぬめぬめとした緑色。大きく顔の端まである口に、ぎょろりと飛び出した大きな目。その姿はまさしく
 リンリン「だから言ったでしょ!」

 カエル男だった。





―――  trick beat ( さんまいのよつば2 ) ―――






2012.9.14 KurimCoroque(栗ムコロッケ)