息を深く吸い込めば、新旧混ざった、紙と、カビと、埃のむせ返るような香り。
不均一に配置された天井の小さな丸窓から、天使の梯子のように光が差す。
いにしえの木材と石材とが組み合わさり、どこかタイムスリップでもしたかのような、そこだけ流れ行く時間から取り残されたような、外界とは切り離された空間。地下深くにかけて壁に敷き詰められた本棚に溢れかえる分厚い本。
それらを見上げながら、迷路のように乱雑に配置された最下層の本棚の森を縫って歩く、赤茶色のツンツン頭に灰色のつり目、顔を斜めに縦断する大きな傷の真っ赤な中華服――シェンは困ったと近くに積まれていた本に腰かけた。
シェン「ダメだ、見つかる気がしない」
ここは太古の昔より悠久の記録を収め続ける『古代図書館』。
旅の途中、休憩がてら書架に足を踏み入れた途端にそれは起こった。
「きゃ〜〜! だれか〜〜!」

奥から現れた大きな丸眼鏡に二つに分けたお下げを揺らし駆けてくる女性。
その女性の少し前で真っ直ぐこちらに向かってくるのはなんと本だった。
千ページ以上はありそうなその分厚い本は、ホタテ貝のようにバクバクと開いたり閉じたりを繰り返すことによって生まれているらしい推進力で、空中をかなりのスピードで飛び回っていた。
ようやく地面に落ちたと女性が手を伸ばすと再び飛んでいくの繰り返しのようだった。
シェンの頭の上でごろごろと転がっていたリンリンは腕捲りの仕草をしてみせた。
リンリン「ようーし!」
シェン「あ、リンリン、止めとけ」
言い終える前に、リンリンは本を捕まえんと飛び立ってしまった。そして、本の目の前までやって来ると両手を広げ制止した。
リンリン「通せんぼだよっ!」
その時だった。
それはほんの、一瞬の出来事。
ばくりと一口、リンリンは本に挟まれ、そしてどういうわけかそのまま"姿を消して"しまった。本はそのまま本棚の海に飛び込み、そうなった時にはすでに後の祭り、本しかないこの空間で、たった一つの本だけを見つけるなど不可能に近い――そして現在にいたる。
「すみません、本っ当にすみませんっ」
ペコペコと謝り倒しの丸眼鏡の女性に、シェンはいつもの屈託無い笑顔を向けた。
シェン「アハハ! なんで謝るんだよ、悪さをしたのはあいつだろ〜?」
「ここの本たちの悪さはわたくしの責任ですので」
涙目で鼻をすすりながら、女性は俯いた。
シェン「まー気にすんなって! お前、ここの職員?」
女性は涙をふきながら顔をあげた。
ポシャ「はいっ、司書をしておりますっ、申し遅れましたっ、ポシャといいます!」
シェン「おー! 俺はシェン。さっき食われた妖精はリンリン。俺の大切な相棒なんだ。ところでさっきの本……」
ポシャ「はい、本にかけていた"
ブック・カースか、とポツリと呟き、シェンは何やら考え込み始めた。
シェン「多いの? そういう本」
ポシャ「貸出禁止の本なんかには一律かけてますね。ただあの本はすでに何人も人を食べていて……」
シェン「こわっ! 司書の仕事もなかなか命がけだなー! んで、あれ食べられたらどうなるの?」
丸眼鏡の奥は途端に輝いた。
ポシャ「本の世界に閉じ込められてしまいますっ!」
あまりに嬉しそうなその様子に、シェンはキョトンと丸眼鏡の奥を見つめた。
ポシャ「あ、ごめんなさい、あなたの小さな相棒さんが大変なことになってるのにわたしったら……」
その必死で装おうと、取り繕おうとする様子をしげしげと見つめながら、シェンは話を続けた。
シェン「困ったね、どうしたら食べられた人たちを助けられんの?」
その聞かれて然るべき質問の途端、しゅんと落ち込んだ様子で重苦しく回答が返ってきた。
ポシャ「解呪しか……ありませんね」
どこか、自分に言い聞かせるような言い方だった。
シェン「術者は誰?」
肩を丸め、そろそろと小さく挙げられた手。
ポシャ「私です……」
なんとなく直感的に、嫌な予感がした。この渋るような態度。たとえ被害者を救えなくても解呪をしたくないと受け取れる。
シェン「頼むよ、大事な相棒なんだ」
だが態度は煮えきらなかった。
ポシャ「解ってはいるんですけど……うーん」
ふと、背後に気配を感じ、振り返った瞬間だった。
ポシャ「シェンさん!」
シェン「おわっ!」
ぱくりと一口。シェンもまた、あの本に飲み込まれてしまった。
――― trick beat ( さんまいのよつば1 ) ―――
2012.9.7 KurimCoroque(栗ムコロッケ)