「こんの、大馬鹿者がーーーーーっ!」
――パンゲア大陸 ヴァルハラ帝国東部 グラブ・ダブ・ドリッブ魔導師協会管轄地区 トランプ本部
本部中に響き渡る怒号。それは耳に入った全ての隊員たちを竦み上がらせた。そして次に全員が同様に思った。一体誰だ、ハートのキングをあれほどまでに怒らせたのは。
――――
routine switch ――――
「申し訳ありません」
珍しく悪びれた様子のクロブチメガネの優男。
その目の前で、黒髪の美しいストレートヘアを振り乱し、白い拳をデスクに打ち付け、漆黒の鋭い瞳の美女――"ハートのキング"カグヤはさらに捲し立てた。
カグヤ「恥を知れ! 貴様の立場は一体何だ!」
ライトブラウンのクセッ毛を揺らし、真っ直ぐと焦げ茶色の瞳をカグヤに見据え、ウランドはいつになく真摯な口調でハッキリと答えた。
ウランド「"ハートのエース"です。トランプの隊員たちの模範であり、尊敬されるべき健全な、」
カグヤ「そうだ! だがウランド・ヴァン・ウィンクル! 貴様はそれに値するか!?」
ウランド「……値しない、行動であったと思います」
カグヤ「これまで数々の単独行動に目を瞑ってきたが、ロロ・ウーに敗北といい、今回は非常に目に余る。お前はエースという地位に慢心しているのではないか?」
ウランド「返す言葉もありません」
ついにカグヤはデスクに頬杖を付き、そっぽを向いてウランドと目を合わせることを止めてしまった。
カグヤ「もういい、お前には失望した」
ウランド「……時期的に少々想定外でしたが、次のエース候補は決めています」
その一言に、カグヤは近くにあった大振りの花瓶をひっつかみ、ウランドめがけ投げつけた。
ウランドの足元で激しい音を立て粉々となった花瓶。
いつも冷静で、客観的で、気品があって、淡々としたそのひとからは想像もつかないその行動に、近くにいた秘書だけでなく、ウランドすらも非常に驚いた。
カグヤ「出ていけ! 今、直ぐに! お前など軍に不要だ!」
こうなると逆に食付きたくなるのがこのウランドという男だ。案の定、口を開きかけたところで、秘書は無理矢理ウランドを執務室の外へ連れ出した。
秘書「あの尋常じゃないお怒りように、さらに油を注がれる気ですか! キングとエースが不仲となれば軍の士気に関わります!」
引き留める秘書を引き剥がし、ウランドは再び執務室に向かった。
ウランド「キングの最後のお怒りはそうじゃない、俺が言葉をミスッた。いいから通して」
なおもウランドのワイシャツを引っ張り、秘書は制止を諦めなかった。
秘書「だーめーでーすってば! 話すならお互い冷静になってからしてください! ハートのエース、貴方は毎度毎度ご自身の主張をゴリ押ししすぎです!」
その一言に、ウランドはピタリと動きを止めた。
ウランド「……えっ?」
秘書「相手を尊重して、たまには折れることも、必要かと……その、お言葉ではありますが」
自分の主張ばかり、という似たような話を、確かロロ・ウーの精神世界でフーにしたのは、紛れもなくウランド自身だった。にもかかわらず、そうした認識を棚に上げ、結局また同じことを繰り返している。つくづく、自身の学習能力の無さに嫌気が差した。
ウランド「……客観的な意見をありがとう、ためになったよ……頭を冷やしてくる」
剪定されたばかりの植え込み、落ち葉一つ見当たらない石畳、綺麗に整えられた庭。
本部内や周辺の毎朝の清掃は一般隊員たちの日課だった。その目的は精神の鍛錬、丁寧な心がけを養うこと。
ウランド(……明日からまた参加してみるか……)
暫く歩みを進めると、裏手の植え込みの影からプカプカと白い煙が上がっているのを発見した。
ウランド「……何やってるんだ、お前」
クルリと振り返った黒髪坊主の大男――トウジロウはウランドの顔を見るなり顔をしかめた。
「やーだぁ〜誰この地味男〜」
傍らには派手な格好の見知らぬ女性。
トウジロウ「やかましい、とっとと消えろや」
女性は頬を膨らまし、トウジロウから乱暴に差し出された紙幣をこれまた乱暴に引っ掴むとズカズカと消えていった。
ウランド「……部外者は立ち入り禁止だったと思ったが?」
トウジロウ「やかましいわ、おどれも消えろ」
腕を組みニヤニヤとしながら、ウランドは嫌がらせのようにトウジロウの隣に腰かけた。
ウランド「そんなにイイの? 俺にも紹介しろよ」
トウジロウ「お前無理やろ、メンクイやんけ」
ウランド「……少なくともヨトルヤは心根で選んだよ」
トウジロウ「どうだか」
そうして煙草の箱を差し出されたが、ウランドは断った。暫くトウジロウの口先から白煙が揺らめくだけの時が過ぎた。
トウジロウ「ちゅーか、なんでこない人のおらんトコにヤローとおらなあかんねん」
ウランド「……ハートのキングを傷つけた」
わずかに、煙草を挟む指先がピクリと動いた。
トウジロウ「……なんで俺に話すねん。ザマアミロしかコメントないわ。ちなみにどんなことしたったん? 俺もマネするわ」
ウランド「ちょっと気持ちが後ろ向きになってな……次のエース候補の話をした、ひどく傷ついておられた」
少しの沈黙。
トウジロウ「……いや、むしろお前は後ろ向きいうのを覚えたほうがええぞ?」
ウランド「俺はキングの話をしてるんだ」
トウジロウ「せやから、なんで俺に話すねん」
ウランド「彼女はとても不器用だ」
トウジロウ「聞けや」
ウランド「俺がいなくなったらちょっと心配」
くわえていた煙草がポロリと落ちた。
トウジロウ「あ゛っづっっ! おま、妙なハナシすんなや! 穴開いてもうた!」
ウランド「相応のことをしたと思ってる、反省もしている、でも後悔はない。今のうちに、できることはやっておきたいんだ」
新しい煙草に火をつけ、大きく白煙が吐き出された。
トウジロウ「前言撤回や、バカが後ろ向きなってもええことない」
ウランド「俺は前向きだ。ジタバタしたりしがみつくのはカッコ悪いからやだ」
トウジロウ「オマエの格好とかどうでもええねん! オマエに処分下ったら、俺ら事実認めた言うてるねんぞ! そんなん、神使教の思う壺やし、魔法圏の人間も協会に不信感抱く!」
ウランド「下手に否定すれば神使教との対立を冗長する。俺たちが敵に回るか、神使教を敵にするか、魔法圏の人たちにとってより平和なほうを選ぶべきだ」
トウジロウ「偉そうなこと言えた立場か」
ウランド「だからこそ、俺が協会にできることはこの首を差し出し、あらゆる懲罰を甘んじて受けることしかないと思ってる。逃げも隠れもするつもりは毛頭無い」
トウジロウ「さよか。ふーーーーーん……アホ、ほんまアホや、付き合いきれん、ブァカ!」
ウランド「……悪かったな」
トウジロウ「……気色悪いわ」
徐に立ち上がり、尻についた草を払った。その左手の薬指に光る指輪。
トウジロウ「せや、鬼嫁はどないなん?」
ウランド「………………まぁ、いろいろだ」
トウジロウ(こりゃアカンわ……)
◆
割れた窓ガラス、たなびくカーテン、散乱した家具。ドアを開けた瞬間ハニアの目に飛び込んできた光景はまるで戦場にでも出たかと思わせるものだった。
ハニア「お父さん……? お母さんっ……!?」
部屋に踏み入れかけたハニアを制止するよう肩にかかる軍手。
ガラスが部屋の入り口付近まで飛び散っており、サンダルであるハニアには大変危険だった。
ハニア「……放してハイジ、父さんと母さんを探さなきゃ」
ハイジはハニアを抱えると、ジャリジャリとガラスの破片を踏みしめ、部屋の中へと進んでいった。
ラプリィが寝ていたベッドから一番近い窓が突き破られていた。だがそれ以前に薬棚や古いすりガラスの間仕切りが割られ、それが部屋に散乱していたようだった。何か争った後のように見えた。
少しして廊下から声が聞こえてきた。
「まったく、これだから獣人は……」
「すみません……すみません」
廊下に目をやると、カンカンに険しい顔をした院長と、ペコペコと頭を下げる母親の姿。自分を抱えるハイジの腕を振りほどき、ハニアは慌てて駆け寄った。
ハニア「お母さん! 何があったの?! お父さんは!?」
母親はハニアをそっと抱き締めた。
嫌な予感がした。
――間――
父親「ハッハッハ! 大袈裟だなあ!」
別の病室でベッドに痛々しく体を埋め、だがいつもの快活な笑顔で父親はハニアを出迎えた。
ハニア「お父さん! 聞いたよ……大丈夫なの!?」
ラプリィに付き添っていたところ突然逃げ出そうとし、もみ合いになった際、獣人の怪力に抵抗しようと踏ん張り、腰を痛めた。いわゆるぎっくり腰だった。
父親「ラプリィさんは悪くない。だが、父さんは残念だがジパングへは行けそうにないよ」
ハニア「そんな……!」
母親「母さんも、お父さんに付き添うことにしたわ……ハニア、あなたは行ってきなさい」
ハニアは唇を噛んで俯いた。せっかく何ヵ月も苦労してここまで来たのに、みんなでジパングはどんなところかと未だ見ぬ地への想像を膨らませ――なのに、そんなの嫌だと口を開きかけたときだった。
父親「ハニア、頼むよ、せっかくここまで来たんだ、父さんたちの分まで、な?」
父の目にうっすら浮かぶ涙。震える声。まさに断腸の思いであることが、伝わった。
ハニアは言葉が見つけられずにいた。頼んだと言われても、これまでの旅程のほとんどを両親とハイジに頼りきりだった。
それを一月も、たった一人で、見知らぬ土地で過ごすなど、考えたこともなかった。
悩む暇すら与えぬと、後ろからかかった声。院長だった。
「そんなにあの獣人を擁護するのであれば、部屋の弁償はお願いしますよ、ついでにあなたの入院費もね!」
ハニア「そんな……!」
提示された金額は、なけなしの手持ちで払える額では、到底なかった。
ハニア(どうしよう、どうしよう……お金……巡礼……!)
悩めば悩むほど部外者であるハイジがどこか恨めしくなった。ただの八つ当たりだということは、頭の片隅でわかっていた。だがその頭の片隅とは相反する方向へ向かう気持ち。たまらず見上げた背後には、気持ちをぶつけたかった相手の姿が見当たらなかった。
ハニア「あれ……ハイジ……?」
母親「もともとこの町まで契約だったからね」
父親「でも、報酬のサムライの話がついてないだろう」
ハニア「や、その話、実はもうついていて……」
挨拶も無いなんて薄情なやつだ。どこか見捨てられた気分だった。
◆
震える手足に鞭打って、人混みを駆け抜ける。心臓がバクバクと止まない。震えているのは、傷の痛みか、恐怖か、後悔からか。
痛々しい包帯が巻かれたミルクティー色の頭、細長い手足に猫の尻尾。
ついに、やってしまった。暴力を振るった。
人気の無い路地裏。止まる足。短剣を抱き締め、踞り、歪む顔も憚らず、泣いた。
ラプリィ「……ヘズ……ヘズ、どうしよう」
だが答えが返ってくるはずもなく、ただただ表通りの雑踏だけが聞こえた。
「どうなさったの?」
見上げると、柔らかな微笑みをたたえた修道女。次に彼女の目に留まったのはラプリィの身体中に巻かれた包帯のようだった。
シュザア「お怪我を……病院はどちら? お送りいたしますわ」
ラプリィは身を強張らせた。恐怖に歪むその顔に、何か事情があるのであろうということが見て取れた。
修道女は再び微笑んだ。
シュザア「教会に休憩にいらっしゃいな。お菓子、たくさんあるわよ」
修道女に手を引かれるがまま、教会まで辿り着いた。
魔法圏の中流家庭からすれば簡素、質素、素朴という感想がだいたいのところだが、底辺のそのまた底辺の生活だったラプリィからすれば、それはもう十二分に、立派な、充足した施設だと感じた。なぜか出入り口は破壊されていたが。
ラプリィ「素敵なところ」
シュザア「装飾や彫刻は教徒の有志たちがちょっとずつ増やしていってくれているの。みんなの"神使教がすき"って気持ちが、たくさんつまった建物よ。さあついた。かけて?」
簡素なダイニングテーブルがどかりと置かれ、天井に所畝ましと吊るされた乾物。よく使われ、それでいて手入れの行き届いた清潔なキッチン。
ラプリィ「どうして助けてくれたの?」
修道女は笑った。
シュザア「道端で泣いている女の子を、助けないはずがないじゃない」
ラプリィ「……見てわかると思うけど、私、獣人だよ」
シュザア「見てわかるわ。でも、それがなにか?」
ハニアたちと同じだ、とラプリィは感じた。
獣人への態度が、これまで自分が経験してきたものとまるで違う。別世界の人たちなのではとさえ思えた。
火にかけていたミルクが温まり、目の前に出されたマグカップ。もう二度と飲めないと思っていたそれにラプリィは目を輝かせた。
ラプリィ「やった! ホットミルク!」
修道女が笑いを堪えていることに気付き、ラプリィは慌てて手を引っ込めた。
シュザア「あ、違うの、ごめんなさい。一つ前にいらしたお客さんとは真逆の反応だなって。その人はミルクでお腹壊しちゃうって、ぶーたれてたのよ」
修道女の面白おかしい口振りに、ラプリィは腹を抱えて笑った。その"ようやく"リラックスしてきた様子から、修道女はそろそろ話を切り出して良いと考えたようだった。
シュザア「怪我のお加減はいかが?」
ラプリィはそっと腕の包帯を撫でた。
ラプリィ「……平気。ねぇ、会いたい人がいるの」
"最後に"とは、決して付け加えなかった。
シュザア「どんな人? この街の人なら、私結構わかるわ」
すがるように、ラプリィの猫目が修道女に向けられた。
ラプリィ「ロロって人なの、知らない?」
その必死の形相に、修道女は顔をしかめ、首を振った。
シュザア「彼とは関わらないほうがいい」
机を叩き、ラプリィは立ち上がった。
ラプリィ「イジワル! 彼を狙っているのね! だから会わせないように、」
修道女は全く動じず、ただただ慈悲深い目を向けていた。
シュザア「彼に引っ掛かった女の子たちはみんなそうなる。まるで彼自身が"魔薬"のよう」
ラプリィ「魔薬!? なに物騒なこと……」
シュザア「知らないの? 彼は魔薬売りよ」
この修道女が、一体何を言っているのか、ラプリィには瞬時に理解することが出来なかった。修道女は続けた。
シュザア「色々な街を、組織ごと転々としては、街の財産どころか、魔薬漬けにして活気すら奪ってしまう、寄生虫よ。騙されてるわ、本性はとんでもない悪人なの」
ラプリィ「何言ってるのよ! 知ったような口きかないで! ロロは優しい! 貴女が私を騙そうとしているんでしょ!」
シュザア「この街にも、騙されボロボロにされた女性はわんさかいる、それでいてみんな健気に彼を信じ続けているの。お願い、目を醒まして。彼は貴女を大切に思ってなどいない」
ラプリィ「ふざけないでよ、」
大声を張り上げたためか、背中の傷が開いたらしい、激痛が走った。バツ印に血が滲む。
シュザア「訊いてもいい? その傷、"誰にやられた"の」
顔面を掴まれた手の感触、塞がれた視界、薄ら笑い、この傷をつけられた"あの瞬間"が、脳裏に蘇った。打ちのめされた気分だった。涙が、意図せず溢れて止まらない。
ラプリィ「ロロー……なんでぇ……」
修道女の暖かな手がミルクティー色の猫っ毛をフワリと撫でた。
シュザア「彼に関わって、命があっただけでも、魔薬に手を染めずにすんだだけでも、よかった。あなた、ラッキーよ」
ラプリィ「そんな前向きになんてなれない……!」
シュザア「"傷口"が痛む間は、そういうものよ……」
――やっと、幸せになれると思ったのに。
◆
「あークソ、ホントに来んだろうなあ?」
「……あの情報屋さんが信用できるんならね」
所々壁が焼け爛れた裏ギルドのバーの隅。
なんら愛想なく返す相棒に、フィードはまだウジウジしているのかと顔をしかめた、つもりだった。
だが修道女にボコボコにされパンパンに腫れ上がったその顔にしかめるほど動かす余裕などなかった。
フィード「いい加減割りきれ、魔導師である以上これしか無ェ」
エオル「シュザアさんに負けたから、"コレ"はしないんじゃなかったの」
"コレ"とは、魔薬"免罪符"の謳い文句「飲めば全ての罪から解放される」に誘われ、取引に来た神使教徒から、巡礼船の乗船券を奪う、というロロ・ウー提案の作戦。
フィード「俺様がシュザアに約束したのは"神使教徒に手は上げねぇ"だ、メンザイフを使わねぇとは言ってねー」
エオル「屁理屈。よしのさんを置いてきたあたりさらに性悪」
フィード「しょうがねぇだろ、ピーピーギャーギャーうっせーし」
エオル「俺もピーピーギャーギャーうっさくさせてもらうからね」
フィード「……もうすでに大分うるせぇよ」
水を打ったように静かで陰気な酒場に二人のいつもの口喧嘩は絶え間なく。そうして暫くすると、テーブルの側に立つ人影。見上げると、まず最初に声を上げたのはエオルだった。
エオル「貴女は!」
フィード「ん? 誰だっけ」
人の良さそうな印象の中年女性。その女性もまた、驚いたように目を真ん丸と、二人を見つめていた。
エオル「あれ、ええと、どうしてこんなところに?」
女性は恐怖からか小刻みに体を震わせていた。
フィード「んだから、誰だよ」
エオル「ええと、"狂犬"の同行者の方だよ」
フィード「ああ、死体のひとさらいか」
エオル「おばか! ……す、すいません、こいつは後でよぅーくシボッておきますんで」
そんなエオルの慌てようなどまるで耳に入っていない様子で、女性は震える唇を開いた。
「ごごごごめんなさい、め"免罪符"は、やややっぱり要りません……!」
フィード「んだとコラ」
「ひーっ!」
凄むフィードの頭に、直ぐ様エオルの鉄拳が飛んだ。
エオル「それがいいと思います。貴女は正解ですよ……」
そのどこか浮かない表情に、女性は何か引っ掛かったようだ。
「あの……御入り用だったのですか……?」
端から見たら至極当然だろう質問にエオルは苦笑した。
エオル「いえ、俺たちの同行者で女の子がいるの、覚えていますか」
「ええ、あのかわいらしい……」
エオル「彼女の故郷ジパングなんです(多分)。連れていってあげたくて、その、あー……神使教徒の方と"免罪符"で、取引できればと……」
「そうでしたか……」
女性は何か考えているようだった。もしかして、何か乗船券を手に入れるルートがあるのか。厚かましいとは思いつつ、僅かな期待で女性を待った。少しの間、沈黙が流れた。
「もし、きちんと返していただけるなら、私と旦那はジパングに行きませんので、お貸しできます」
二人の魔導師は目を真ん丸と見開いた。
エオル「ほ、本当ですか!?」
フィード「マジでタナボタ(※)……」
※34話参照
「その代わり、一つだけお願いがあるのです。それはあなた方というより、あのお嬢さんを信用してのものですが」
エオル「なんでしょうか!?」
意を決したように、女性は生唾を飲み込んだ。
「ハニアを、私たちの息子を、ジパングでの一ヶ月、面倒見ていただけませんか」
フィード「あのガキんちょ!?」
何か事情があるなとエオルは眉を寄せた。
エオル「ご両親は行かずに息子さんだけ? どうかされたのですか?」
女性は俯いて固く目を閉じた。
「私たちはここに来るまでに、賞金首で食いつないで来ました。罪人とはいえ、人様でお金を稼いできたのです。そしてずうすうしくも、その"罪"を、薬でなんとかしようとした……旦那が怪我をしたのです、罰が当たりました」
エオル「怪我!? 大丈夫ですか!?」
女性は頷いた。
「あなた方に協力するのは、悔い改めの意味もあります。どうか……お願いします」
エオル「こ! こちらこそぜひ!」
目の前で繰り広げられる人情ドラマになどさも興味がないと、フィードはダルそうに足を組んだ。
フィード「あと一枚必要だ、何とかなんねぇか?」
困ったと女性は首をかしげた。
「残念ながら、我々一般信者の力ではなんとも……とりあえず二枚、宿に取りに戻りますので」
エオル「あ! あ〜……そうですね、お願いします」
何度も往復してもらうのは悪いとついていくことを提案しかけたが、ハイジと出くわしては困ると言葉を飲み込んだ。
女性が去ってから、フィードとエオルは同時にテーブルに突っ伏した。
エオル「あと一枚……」
フィード「神使教徒の顔見知り……」
◆
ロロ「ふぇっくし!」
郊外の岩山。中腹にぽっかりと開いた洞穴の、複雑にいりくんだ奥の奥。破壊された魔薬チーム"黒い三日月"アジト、ロロの自室。
瓦礫の上でぼんやりと天井を眺めていたが、くしゃみで実に数時間ぶりに我に返った。
ロロ(……そろそろ出るか)
のそりと体を起こし、なんとなく落とした視線の先。穴が空き、ボロボロに倒れていたチェスト。その裏に空いた穴からひょこりと飛び出していた、見覚えのある布。
それはもうとうの昔に捨てたと思い込んでいたものだった。見間違えではないかとつまみ上げて、首をかしげた。
ロロ「……あれ〜?」
まさしく、巡礼船の乗船券だった。
◆
エリスとクリス、そしてよしのが帰りを待つアパルトマンの一室。帰りついたフィードとエオルの様子から、一目で結果がわかった。
エリス「なんだい、ダメだったのかい」
部屋はエリスの葉巻の煙で霞んでいた。
フィード「せめて換気しろよなババァー!」
エリスは一瞬キョトンとフィードに目を丸くした。シュザアに殴られパンパンに腫れ上がった顔面はすぐに誰か判別するのが難しいほどだった。
エリス「なんだ、フィードのボウヤか、ハデに"転んだ"ねぇ?」
フィード「お前もな」
エリス「アタシのはただのタルミとシワだよ! クソガキが!」
直ぐ様エオルの鉄拳がフィードに飛んだ。
エオル「すみません、ちょっと荒れてて……」
エリス「いや、いつもだろ……それで?」
次にエオルが視線を向けたのはよしのだった。
エオル「二枚、手に入ったよ」
よしのの顔は浮かなかった。
エオル「誤解しないで。ほら、ハニアくんっていたじゃない、彼のお父さんが怪我されてね……お母さんが看病で残ることになったから、その二枚分、借りることになったんだ」
よしの「……ハニア様のお父上様が……!? お加減は!?」
エオル「大丈夫、ぎっくり腰だって。ただハニア君が一人でジパングに行くことになっちゃうから、ジパング滞在中の一ヶ月間、面倒見てほしいってさ」
一人で、ということはハイジは行かないのか。つい口を突いて出そうだったが、なんとなく、この二人にはハイジの話題は禁句だと慌てて喉の奥に押し込めた。
フィード「……お前"狂犬"のヤローはどうしたって、言いかけたろ」
心の中を完全に見透かされ、よしのは慌てふためいた。
よしの「はわわわわわわ! けけけ決してそのようなことはわわわわ!」
フィード「いや、分かりやすすぎだろ」
エオル「彼は元々この街までの契約だったんだって。もういなくなっちゃったらしいよ」
よしの「そう……ですか」
どこかがっかりした様子のよしのに、フィードは機嫌を悪くしたようだった。
フィード「いつまでもあんなヤツに構ってんなよ」
よしの「ですが……」
ドアが開き、エリスの待ち人の帰宅を報せた。
ロロ「あ〜もう乗船券集まっちゃった〜?」
エリス「ロロ・ウー! ちゃんと帰ってきたのかい」
ロロ「疑り深いな〜かわいくないよ〜?」
エリス「うるさいよ!」
ドウドウ、と怒り狂うエリスを落ち着かせ、エオルは手に入れたばかりの乗船券を見せた。
エオル「これのことでいいんだよね」
ロロ「そ〜これこれ〜……にまい〜?」
エオル「……あと一枚、工面できれば、」
ロロ「そのことなんだけど〜ごめ〜ん、おれウソっぽいのついた〜」
その場にいた全員が、この男の"ウソ"という発言にギョッとした。何が、一体どう嘘だったのか、危うく手を染めかけた犯罪が、ということか、ようやく手に入れたこの二枚が、ということか、それとも……。
ロロ「たぶんね〜なんか誤解してるよ〜? ほら〜」
そうして差し出された手の中には、"ようやく手に入れた二枚"と同様の布切れ。
ロロ「三枚ミミ揃えて集めろぐらいの勢いで言っちゃったけど〜おれの一枚あったわ〜」
二人の魔導師はかぶりつくようにロロ手元を凝視した。
フィード&エオル「三枚目!」
ロロ「……人に向かって"三枚目"とか言わないでくれる?」
喜ぶ二人を尻目に、エリスはすまなそうに声をかけた。
エリス「もしかして、これを取りに?」
ロロ「違うよ〜? たまたまだよ〜」
老婆の"本当はいい子なのでは?"という視線にロロは苦々しく顔を歪めた。
ロロ「……本当だってば」
フィード「よし、これでジパングに行ける!」
エオル「あとは出港のスケジュール確認して、」
ロロ「……何言ってんの、明後日だよ」
はたと空気が固まった。
エオル「え、今……」
ロロ「え……? 来月頭って、明後日じゃん、だから慌てて乗船券なんとかしなきゃってなってたんじゃないの?」
エオル「えーーっ! なっ何時!? 何時出港!? 準備しなきゃ」
ロロ「たしか朝の7時とかだったと思うよ。荷物は全部取り上げられる、服も着替えさせられるよ、みんな手ぶら。準備って向こうの"Hello"と"Thank-you"覚えるくらいじゃない? 魔法圏の"言語統制"効いてないから」
エオル「こ、言葉通じないの!? ……てか、それ下手したら俺とフィードも会話できないんじゃ……フィード、君出身どこだっけ!?」
フィード「めんどくせーなー! 筆談でいいだろ」
エオル「紙もペンも持っていけないんだってば! あ! 向こうの"Hello "と"Thank-you"って!?」
ロロ「えーと、"コンニチワ"と"アリガトウ"」
エオル「うわーっ! 長い! 覚えきれない! 咄嗟に出るかな……ええと、ええと……こ、心の準備が」
フィード「身振り手振りで何とかなんだろ、地獄行く訳じゃあるまいし」
エオル「なんでそんな悠長なのーーっ!?」
エリスの膝の上で丸まりながら、真ん丸と太った黒猫――クリスは呆れた溜め息をついた。
クリス(大丈夫かコイツら……)
エリス「……やけに親切じゃないか」
相変わらず"妙な期待"の目を向ける老婆に、ロロは心底うんざりした。
ロロ「乗り損ねて、じゃあおれに着いてくるって言われても迷惑じゃん、どっかのババアみたいに」
エリス「んだとクソガキ!」
◆
ハニア「ええっ! よしの姉ちゃんたちと一緒に!?」
ハイジが姿を消し、すっかり落ち込んでいたハニアだったが、更に彼を憂鬱にしていた"外国への一人旅"に希望を与えるその新たな展開は少しばかり元気を与えたようだった。
母親「そう、父さんと母さんが行けなくなった分の洗礼旗を貸したから、多分よしのさんと魔導師さんのどちらかが行くんだと思うけど、魔導師さんと一緒に過ごすのも、良い機会だろう、ジパングという神使教徒には安全な土地だし……」
ハニア「……どうして、洗礼旗を魔導師に……?」
魔法圏への敵対心というよりは、どうせならハイジにという思いからだった。
母親「必要としている人に貸してやれる機会を、与えてくださったのは神様だよ、思し召しだと、思ったの」
ハニア「そっか……」
どこか、生返事だった。
母親「ほら、シャキッとなさい! 明後日は船着き場で待ち合わせだからね! 明日は、どこかで美味しいもの食べて早く寝よう!」
ハニア「いいよ……お金ないじゃん……無理しなくても、俺は大丈夫だからさ」
母親はハニアをそっと抱き締めた。あまりの恥ずかしさにハニアはすぐに母の腕をほどいた。
ハニア「そ! それよりほら! 入院費とかもろもろ! なんとかしなきゃ」
母親「いいんだよ、お前が帰ってくるまでに、母さんたちなんとかしておくから」
自分を安心させるためであろうその言葉を、素直に受けとることなど、到底できるはずもなかった。表面上は明るく振る舞ったつもりだが、内心は無力感にうちひしがれていた。
◆
港に停泊している一際大きな木造船。港からの呼び掛けに、男はひょっこりと顔を出した。
「おお! シュザア!」
男は梯子すら垂らされていない船の先端から勢いよく飛び降りた。
漆黒の髪をボサボサに、虫食いだらけの着流しと、よく日に焼けた快活な笑顔。
「久しいのーっ! 元気にしとったかーっ!?」
相変わらず声がでかい。両耳を塞ごうとあげた手を横切り尻に向かう男の手。
だがそれは直ぐ様捻り上げられ、男は思わず膝をついた。
「いたたたたーっ!」
その後ろ頭を見下ろしながら、シュザアはいつものタンポポのような微笑みを向けた。
シュザア「お久しゅうございます、ミスター・カサモト」
カサモト「わははははーっ! あいからわず! 操の堅きおなごよーっ! わはは、わは、あ、いや、ちょっと、離して」
やれやれと、シュザアはさらに捻りあげていた腕を離した。
シュザア「上陸していいのは当日だけじゃあなくって?」
カサモト「わはははーっ! ジパングのオエライ方は頭が固すぎなんじゃーっ!」
シュザア「貴方は少し"郷に従う"を覚えたらどうなの?」
どかりと胡座をかき、急に静かになったかと思えば、ニヤリと笑うその目は野望に満ち溢れた狼のようだった。
カサモト「そうやって目を塞いでおっても、国はようならん。ただし俺は誰よりも"郷"思いだぞ。……わはははーっ! どうじゃーっ! ホレたか? ん?」
シュザア「それよりお願いがあるの」
カサモト「わは、流されたーっ! なんじゃ、ツレんなーっ! だがそこがまた、」
シュザア「サムライと一戦交えたいと遥々やってきた人がいるの」
ほう、とカサモトはにやりと口の端をつり上げ顎を擦った。
カサモト「ほぉーっ! それはシュザアが俺と布団の上で一戦まじ、」
シュザア「"彼"はサムライとの対決を望んでいるわ」
カサモト「……ほんにツレん……侍か……俺でいいぞ、相手をしてやろう」
突き刺さる冷ややかな視線。
シュザア「サムライと言ったのだけど……」
カサモト「何を言う! 俺もサムライじゃあーっ! ……"野生"だがな」
その僅かに恥を偲んだ言い方に、シュザアはついつい笑いを堪えた。
カサモト「おお! シュザアが笑ったーっ! わはははーっ!」
シュザア「……さて、"彼"には当日渡しの側にいる男がサムライよと伝えてあるの、教徒たちの集合時間より早めに伝えてあるから、いてあげてね」
何か感づいたように顎を擦り、探ってやらんとカサモトはニヤニヤとした顔を近づけた。
カサモト「なんじゃ、お主の男か」
シュザア「違うわ、私は修道女よ。……でも」
その微笑みは心の底から安らかなものだった。
シュザア「恩人よ、命の」
◆
水平線から顔を出した朝日が照らす空。
明朝の、まだ白んだばかりの蒼と、海の向こうから立ち昇る金色の狭間で、薄紫が青に照らされていく。
風に吹かれ、空に溶ける雲。
少し風のある晴天だった。
寝ぼけ眼のフィードを引きずり、まるで試合前のような、久しぶりに感じる特別な緊張感を胸に秘め、エオルは朝靄立ち込める石畳を港に向かい、少し早めに歩いていた。エオルの歩幅と合わず、隣を歩くよしのは少し小走りだった。
よしの(……緊張していらっしゃる……?)
ふと、朝靄の向こうにぼんやりと浮かぶ人影。市場からは距離がある通りで、早朝の散歩かとも思えたが、人影は微動だにせず、道の中央にポツンと立っていた。
エオル「急ごう、ハニアくんが待ってる」
よしの「エオル様!」
引き抜かれた長ドス、耳障りな共鳴音。
エオルは咄嗟に剣を引き抜いた。
弾け飛ぶ火花。拮抗する刃と刃。
ニタリと笑う、狐の目。
ハイジ「……ようやく見つけた」
もしも、乗船トラブルが起きた際に備えて、武器を持っていてよかった、エオルは心底そう思えた。
エオル「お前のために剣を用意してたわけじゃないんだけどな、"狂犬"!」
長ドスを往なし、互いに距離を取った。
エオル「時間がない、どかなきゃ倒す」
ニタリと笑い、仮面の男はベロリと錆びだらけ綻びだらけの長ドスに舌を這わせた。
ハイジ「金が要る、殺してでも捕まえる」
KT … カイセツ(K)とツッコミ(T)
またの名を
カユイ(K)ところにテ(T)がとどく
p.2 ■部外者は
記者やら彼女やらを連れて(?)きた人が何を(笑)って声が聞こえてきそうですね。
■ブァカ
トウジロウは心の奥底ではウランドを兄のように慕っています。
p.4 ■破壊
教徒たちの思いが詰まった施設の割に、34話で壊しまくっていたシュザア!
■一つ前にいらしたお客さん
フィードのこと(34話参照)
p.7 ■三枚目
ロロは自分が(見た目は)二枚目だという自覚はあります。
2012.9.1
KurimCoroque(栗ムコロッケ)