30.3.こぶがえる prev next
back


 鬱蒼と生い茂る草木を掻き分けたその先に、その沼はあった。

 湿り気を帯びた空気に、沸き上がるカエルたちの大合唱。僅かに靄がかった湖面のその先は霞んでいた。
 赤茶色のツンツン頭に、顔を斜めに縦断する大きな傷、くっきり二重の灰色のつり目――"スペードのキング"シェンは沼の畔に腰を落とすと、後ろを振り返った。
 「ここ?」

 振り返った先には小さな目にあばただらけの頬、団子っ鼻の大人しそうな男。男はおずおずとためらいがちに頷いた。
 「へぇ、ここです」
 シェンの襟から顔を出した妖精の少女リンリンはその男の煮え切らない態度に我慢ならなかったのか、ビシリと指を差し、甲高い声を張り上げた。
 「あんたっ! さっきからビクビクオドオドなんなのっ! シャキッとしなさいよ」
 男はビクリと体を震わせると、さらに落ち着きを無くし始めた。その様子に、リンリンのイライラはさらに積みあがった。
 「……誰かさんを彷彿とさせる落ち着きの無さね」
 ※リンリンはウランドが嫌いです。
 リンリンのイライラがピークに到達しかけた寸でのところで、ようやくシェンは口を開いた。
 「アハハ! 悪い悪い! こいつちょっと気が強いの、許してやって?」
 男は頷いた。
 「で、呪われてたってのは」

 男は前屈みに小さく挙手をした。
 「あ、ぼくです」
 「セルダンに助けて貰ったんだ?」

 男は肩を縮め込んだ。
 「助け……というか……身代わり……というか……ゴニョゴニョ」
 男に飛びかかりかけたリンリンの翅をつまみ、服の中に押し込むと、シェンは男に自分の隣に腰掛けるよう促した。

 「なーんで呪いなんかかかっちゃったんだ?」




 男は小石をつかみ、沼に投げ入れた。
 「ここ……あんまり村の人も来ないし、落ち込むと一人でよく来るんです」

 シェンはまずいという顔を男に向けた。
 「マジでっ!? ズカズカとごめんなっ! 大事な場所なんだ?」
 男は首を振った。
 「人がこないだけス」
 一瞬キョトンとした後、シェンは腹を抱えて笑った。
 「アハハハ! そっかー! んで?」

 男は膝を抱え、顔を埋めた。
 「俺、好きな子がいて」
 「うんうん」
 「でもその子、みんなに人気があって」
 「うん」
 「この沼に向かって毎日恨み言を吐いてたんだ」
 「お前意外とアクティブなやつだなー!」

 男はキョトンとシェンを見つめた。
 「え……そう?」
 "まずい、このままでは話が脱線する"と、リンリンはシェンの唇をつまみ、男に向かって吼えた。
 「さっさと話を進めて! それで!?」




 男はぼんやりと沼を見つめた。
 「そうしたら、沼のヌシが」


 ――お前いい加減にしろ! 毎日毎日ウジウジぼやいてる暇があったら、一日でも早くぼやかねぇで済むようにてめぇで何とかしろ!


 リンリンは腕を組んで何度も頷いた。
 「そうでしょうね! 沼のヌシもいい加減うんざりしてたんでしょ」
 男は再び抱えた膝に顔を埋めた。
 「そこでぼく、言い返したんです」


 ――そんなこと、できてたらこんなとこに来てないっ!


 シェンは笑った。
 「とかなんとか言っちゃって、図星だったんだ?」

 男は頷いた。
 「そのときは気づいてなかったけど、今考えると図星を指摘されて、ムキになってました。そんなぼくの鈍感さに、ヌシは怒ったのでしょう。ぼくはカエル人間になる呪いをかけられてしまいました」

 シェンとリンリンはキョトンとした。
 「カエル"人間"?」

 男は頷いた。
 「ようはカエルの獣人族みたいなかんじです」
 シェンとリンリンは、二足歩行で仕草は人間だが、全身のパーツがカエルである男の姿を頭に浮かべた。

 シェンは笑った。
 「カエルになる呪いは有名だけど、カエル人間って新しいなー! カエルの獣人からすれば呪いでもなんでもないし!」
 シェンとは対照的に男は乾いた笑みを浮かべた。
 「解呪の方法もその有名な呪いになぞらえてて」

 翅かき忘れた

 リンリンは青ざめた。
 「まさかっ」




 「好きな子にキスしてもらうこと」

 リンリンの声にならない悲鳴がこだました。反対にシェンは腹を抱えてゲラゲラと笑っていた。
 「沼のヌシはお前が好きなんだな、なんとかしてやりたかったんだろう」
 男は思い出したように顔を緩めた。
 「セルダンさんも、同じことを言ってました」

 そうして今度は目に涙をためてメソメソとしはじめた。
 「でも、頑張っても頑張ってもどんなに誠意を尽くしても心を込めても、嫌がられて、怖がられて、そしてそれで気づきました」
 「どんなことに?」

 「どんなことをしても、届かない想いがある。それはどんな力をもってしてもどうにもならないことだし、たとえ同情でキスしてもらえたとしても、それは単なる同情でしかないんだって。そうしたら急に虚しくなって、いつまでもこんなことに執着してたって何にもなんないなって」

 同じ話を、沼のヌシにした。気づかせてくれた、そのきっかけを作ってくれたことに感謝をしながら。
 するとヌシは困り果てた。その女のキス以外に解呪の方法を用意していなかったからだった。

 「そんなとき、セルダンさんが申し出ました」




 "自分に呪いをうつしてくれ"と。

 リンリンは怪訝そうに眉を寄せた。
 「呪いを"うつす"? そんなことできるの、シェン?」
 シェンは顎を擦った。
 「……うーん、妙な邪法に手を染めている可能性もなきにしもあらず。俺が思い付くのはそんなんばっかだ」

 そうして男の様子をくまなく観察した。
 「後遺症は?」
 躊躇いなく首を振る男の様子にシェンは安堵した。
 「そっか、よかった。つーか、あいつ! 今カエルの格好してんのかよ! 案外すぐ見つかりそうだな!」
 リンリンの白い目がシェンの背中に突き刺さった。
 「……笑い事なのそれ?」

 シェンは男に右手を差し出した。
 「ありがとう! 足取り掴むいいヒント貰った!」

 「あの……」
 これまでオドオドとさ迷っていた男の視線はまっすぐとシェンに向けられた。
 「セルダンさんは、ウジウジして好きな子に近寄りすらできずにいたぼくを見放さないで励まし続けてくれました。会ったらありがとうと伝えてもらえませんか」
 シェンはいつもの屈託のない笑顔を向けた。
 「オッケー! 必ず伝える」





―――  trick beat ( こぶがえる )―――






2012.3.24 KurimCoroque(栗ムコロッケ)