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 対魔導師犯罪警察組織『トランプ』

 発足当初、極めて低確率な魔導師の犯罪のために都度一時的に作られる対策委員会的な集まりであった。

 しかし、魔法文化の広まりに伴う魔導師の犯罪の凶悪化、巧妙化、それによる世界への影響力、裏社会への魔導師犯罪浸透の深刻化からついには軍として組織化され、現在では魔物災害バイオハザードを含む災害救助専門の軍も増設され、"ジョーカー"と呼ばれる総統を筆頭に、対魔導師犯罪第一軍"スペード"、対魔導師犯罪第二軍"ハート"、対災害軍"ダイヤ"、諜報軍"クラブ"の4つの軍からなる。
 そして、4つの軍にはそれぞれ"キング"と呼ばれる将軍と、"エース"と呼ばれる副将軍がおり、それぞれの軍を統括している。

 そのジョーカーと各軍のキングたちは、月に一度定例会が行われるのだが……



―――― the Chesher Catチェシャ猫 ――――



 ヴァルハラ帝国東部 グラブ・ダブ・ドリッブ魔導師協会管轄地区 トランプ本部 総統ジョーカー執務室

 窓際のデスクには、数多くのバッヂや紋章が着けられた軍服、短髪の白髪に日に焼けた黒い肌、白い口髭を蓄えた年齢とは不相応なほど屈強なガタイの老人。
 ――ジョーカー ゼレル・ビノク・スロトモン

 そのデスクの正面に立つ若い男女。

 煉瓦色の肩までの髪に緑の瞳、そばかすやニキビだらけの肌、活発そうな明るい印象の女性。
 ――クラブのエース リケ・ピスドロー

 漆黒の瞳に黒髪の坊主頭、ピアスだらけの耳、タトゥーだらけの腕、2メートル近くある筋骨隆々とした大男。
 ――スペードのエース 市松桃次郎(いちまつとうじろう)

 そして、トウジロウと同様に漆黒の険しい瞳に、同じく漆黒の腰までで切りそろえられた絡まることを知らない美しいストレートヘア、通った鼻筋に卵のようにつるんとした玉の肌の美女。
 ――ハートのキング 市松芳也(いちまつかぐや)

 ダイヤは全軍遠征で不在のため、今回の定例会はこの3軍代表で行われることとなった。

 "クラブのエース"リケは、放浪癖のあるキングが本日も不在のため、溜まった雑務に追われ、ただでさえ不調の胃が、さらに軋む思いだった。
 リケ(よりによって……"この2人"〜〜!? さ……最悪……スペードのキングは何してるの〜〜っ!)

 なぜかブリザードのように冷たく、深海のように重い空気を裂くように、ジョーカーは快活に口を開いた。
 ジョーカー「トウジロウ!」
 トウジロウ「……は? なに?」
 ジョーカー「"リーシェル"はどうした?」
 トウジロウ「来ぇへん」
 ジョーカー「いつまで休みなんだ?」
 トウジロウ「さぁなぁ」
 あからさまに不愉快そうな顔で、チラチラと自分と同じ黒髪を睨むトウジロウに、ジョーカーは「ダメだこりゃ」と呆れた溜め息をついた。
 ジョーカー(……あんまし"こっち"に頭働いてねぇな、こりゃ……)
 
 トウジロウのあからさまな不快感を示す視線など合わすことすらせず、カグヤは真っ直ぐと前を見据えたまま口を開いた。
 カグヤ「上司のスケジュールも把握できないとはな。無能にも程がある」
 トウジロウ「あぁっ!?」
 今にも殴りかからんという程の勢いでトウジロウはカグヤを睨みつけた。

 リケ(カグヤさんっ! それ、うち(クラブ)にも当てはまりますって……)
 ジョーカー(はー……まったくこいつらは……)

 そこまでだ、と手をたたき、二人の黒髪のいがみ合いを制止すると、ジョーカーは気を取り直した。
 ジョーカー「まぁ、キング不在の場合はエースが代理で出るものだからな。とりあえず定例会を始める。リケ、今日の議事録をダイヤにも届けるよう総務に連絡頼む」
 リケ「はい!」
 ジョーカー「じゃあ、それぞれ報告を頼む。まずはクラブ!」

 定例会は各軍が一か月の活動内容を報告し、互いに情報共有を行う場である。
 トランプは、4軍が4軍ともすべての活動内容を把握し、互いに出せる資源は惜しみなく貸与しあうというスタンスである。
 それぞれが一通り報告を終え、ジョーカーが解散の合図を出そうとしたとき、カグヤが待ったをかけた。

 カグヤ「……先日、マスター・ユディウスとマスター・マリアがいらしたと聞いたが、一体なんのためにいらしたのだ?」
 トウジロウは我関せずと盛大に欠伸した。
 ジョーカー(カグヤはお前に聞いてんだろうが! まったく……)
 ジョーカーはあえて空気を読まず、笑って見せた。
 ジョーカー「まぁ、またしょうもない用事だろうが……トウジロウ! どうなんだ?」

 トウジロウ「今"話題"のW・B・アライランスの捜査資料よこせー言うて来はってん」
 ジョーカー「ほう? で、どうしたんだ?」
 トウジロウ「好きなだけやったわ」
 それは一体何事だとカグヤの顔色が一変した。
 カグヤ「何だと!? 貴様、何を考えて……」
 トウジロウ「別にええやろ、どうせすぐ捕まえんねんから」
 ジョーカー「新人ったって、魔導師の端くれだぞ? ずいぶん強気だな。なんだ、お前が出るとでも言うわけじゃあるまいし」

 トウジロウ「出るで?」

 その場の空気はついに凍りついた。リケは息を忘れているのではないかというくらい目を丸くしてトウジロウをただ見つめ、カグヤは眉間をつまみ、ジョーカーは「落ち着け自分」と頭をガシガシと掻きむしった。
 カグヤ「……隊規(トランプの掟)逸脱もいいところだ、新人相手にエースが出動するなど、もってのほか」
 ジョーカー「……オイオイ……魔導師の端くれったって……新人だぞ?」
 
 トウジロウ「こないだケガ完治してん。リハビリがてら、俺行ったろ思てな」
 トウジロウは何一つ悪気のない笑顔を向けた。
 トウジロウ「ま、目の前の問題すぐ片付くし。あ! つーわけやから、俺の"アーティファクト"使用許可出してーな」
 そこまでするか、ただ暴れたいだけだろう、とカグヤはトウジロウを侮蔑を込めて睨みつけた。
 ジョーカー「"そこまで大事"じゃないだろ。使用許可は出さん。出さなくても片は付くだろ?」
 トウジロウ「"あいつら"そろっそろ日の光浴びな、ええ加減錆びてまうで」
 ジョーカー「お前の腕が錆びついていなきゃ、問題なかろう?」
 トウジロウはニヤリと笑った。
 トウジロウ「そらそうや」

 突然、執務室のドアが勢いよく開いた。

 「わりー! 大遅刻! もう始まっちゃった!?」


        
        
        
 頭のてっぺんだけ短く立ち上げたツンツン頭の、首筋までのこげ茶の髪、灰色のくっきりした二重の釣り目、そして、顔の左上から右下にかけて大きな傷のある小柄な男が両手に大量の袋を抱えて、慌てて入ってきた。

 ジョーカー「リーシェル!」
 トウジロウ「おー大将! もう終わったで?」
 「マジで? わりーわりー」と人懐っこい笑顔で、リーシェルと呼ばれた男――スペードのキング リー・シェンは紙袋から箱のようなものを取り出し、手際よくひとりひとりに手渡した。
 シェン「これ、土産ね!」
 渡された箱をしげしげと見つめながら、ジョーカーは怪訝そうに眉根を寄せた。
 ジョーカー「土産? なんだ、今回嫁さんとこ帰ってたんじゃないのか?」
 屈託のない"いつもの"笑顔で、シェンは快活に答えた。
 シェン「ああ、半分は帰ってて半分は旅行! あいつ、土産これ食いたいっつっててさ」
 カグヤは手元の箱を見下ろした。リケはわくわくしながらシェンに尋ねた。
 リケ「へえ! どこのお土産なんですか?」

 シェン「ムー大陸は観光大国マーフ!」

 一瞬、その場の時間がピタリと止まった。

 ジョーカー「おいーーーーーっ!」
 慌てて周囲の空気を読もうと、シェンは周りの人間の顔をきょろきょろと見た。
 シェン「えっ? なにっ?」
 トウジロウ「大将……そこでスペードうちんとこんヤツら、見ぃひんやった?」
 シェン「は? 何かあったの?」

 ――説明中――

 腹を抱えるシェンの笑い声が室内に響き渡った。
 シェン「アハハ! そりゃあとんだすれ違いだなぁ!」
 カグヤは溜め息をついた。
 カグヤ「笑いごとか!」
 シェン「や、だって次モモが行ってくれんだったら、もう解決も同然だろ」
 カグヤ「……楽観視しすぎだろ」

 シェンはニヤリと不敵な笑みをカグヤに向けた。
 シェン「楽観視じゃないよ、信頼さ」
 ジョーカーはデスクの上で両手を組んだ。
 ジョーカー「なら、お前もW・B・アライランス逮捕にトウジロウが行くことは賛成なんだな?」
 シェン「はい、その方が早く片付くし、本人も久しぶりにやる気だし、いいことづくめだと思いますけど」

 ヤレヤレという顔でジョーカーはカグヤに苦笑いした。
 ジョーカー「とのことだ。スペードの問題だし、スペードのキングがOK出したんだから、もう何も言えん。きちんと案件を"エース出動レベル"に引き上げておくように」

 カグヤ「……では定例会は解散ということで」
 カグヤは淡々と執務室を後にした。
 トウジロウは閉じた執務室のドアを睨みつけた。
 トウジロウ「ケッ!」
 シェン「モーモッ!」
 トウジロウ「わかっとるがな!」

 ジョーカーはヤレヤレと再び小さく溜め息をついた。
 ジョーカー「リーシェル! 会の内容はあとでトウジロウに展開してもらえ! 今月の定例会は解散! W・B・アライランスの件、頼んだぞ」
 「はい!」




 「はぁ、はぁ、」

 自分の息遣い、自分の服の衣擦れの音、自分の手を引いてくれる、前を走る金髪の男の手のぬくもり。それら何一つ感じることなく、ただただ自分自身の"まったく身に覚えのない行動"に、混乱する頭は現在の状況に全く追いついていなかった。

 前を走る長い金髪の男――エオル・ラーセンは口を開いた。
 エオル「よしのさん! 大丈夫?」
 あご下で切りそろえられた黒髪の、独特の巻き衣装の少女――染井よしのは自分の名前を呼ばれ、反射的に答えた。
 よしの「はい……」
 エオル(生返事だなあ……)
 次に、エオルは隣でブスッとしながら走っている銀髪赤目の黒づくめに声をかけた。
 エオル「フィードは! 本当にもう大丈夫なの!?」
 声をかけられた当人――シャンドラ・スウェフィードは前を見据えたまま視線を合わせず頬を膨らませた。
 フィード「あ〜あ! どっかのクソどもが"ヤツ"のハナ取ってくりゃあもっと元気になるのによ〜!」

 "ヤツ"とは――



 ひょんなことから犯罪者として追われる身となったフィードとエオルは、道中偶然出会った記憶喪失の少女・染井よしのの記憶を取り戻すため一路北を目指していた。  その途中、追手に襲撃され命からがら逃れた一行は、凶悪な人食いミミズ"サンドワーム"の巣に迷い込み、逃げている最中であった。
 エオル「ハイハイ、元気いっぱいみたいでよかったよかった」  フィード「お!」  一行はずっと直径5、6メートルほどの洞窟を走っていたが、ここにきて突然視界が開け、だだっ広い空間へと出た。一行は足を止め、その空間を見渡した。  天井まで20メートルくらいだろうか。周囲の壁はその倍以上の直径のだ円形に広がっていた。その壁面の一部には、今まで通ってきたくらいの穴が開いていた。  エオル「あっちだ!」  穴の近くまで駆け寄って、一行の足は止まった。
  
        
 ひどい異臭。
 黒い土のような塊の中には、ところどころ白いものが見え隠れしている。
 エオル「人骨だな……」
 その穴は今までのように奥までは続いてはおらず、5メートルほどですぐ壁であった。
 フィードはゲラゲラと笑いだした。
 フィード「あいつのウンコかよ〜! 便所だ便所〜!」
 エオルは恨めしそうに横目でフィードを見た。
 エオル「キミ、そーゆーネタ好きだよね……」

 困ったわと、よしのは首をかしげた。
 よしの「どうしましょう……行き止まりですね……」
 エオルは頭を抱えた。
 エオル「あ〜……さっきの分かれ道、逆だったか……」
 天井を見上げながらフィードは徐に呟いた。
 フィード「……風の精霊は元気みたいだぞ」



 ――魔導師はそれぞれ専門の魔法によって、その魔法を引き起こす「精霊」の状態が見えるようになる。    ※エオルの流水魔法では水の精霊、フィードの爆炎魔法では火と風の精霊。
 エオル「へっ!? 精霊? 水の精霊は全滅に等しいけど……じゃなくて! 風の精霊が死んでないってことは……」  フィード「……どっかに外に空気通す抜け穴がありそうだな」  エオル「……戻るのが早いか、空気穴探すのが早いか」  遠くから洞窟に反響して、不気味なうめき声のような鳴き声が聞こえる。      エオルは肩をすくめた。  エオル「探した方が早そうだね。フィード! 風の精霊、どっから入ってきてるか見えない?」  目を細めながらフィードはあたりをグルッと見まわした。  フィード「あー……ウンコのせいで(空気が汚れて精霊が)よく見えねー」  そうして元来た穴に視線を向けニヤリと笑った。  フィード「まあ、ここでやつをお出迎えって手もあんぜ」  エオル「ここで応戦か……まあ、フィード以外ならこの広さ、十分かな」  フィード「待てコラ! なぜ俺様が頭数に入っとらん!」  わざとらしく溜め息をついてエオルはジトリとフィードを見た。  エオル「あのね……こんなほぼ密閉空間で爆炎魔法なんて使ってみてよ! 一瞬で空気無くなってお陀仏だよ!」  フィード「なにーーっ!?」  エオル「いやいや……なにじゃなくて……やるなら魔法無しでやってね」  フィードは舌打ちした。  フィード「せっかく俺様の魔法拳を振るうチャンスが……」  エオル「キミのっているか……まあもう少し研究が進んだら実用化されるだろうね」  フィード「あっ! 特許取ってねぇ! ビッグビジネスのチャンスが……」  エオル「……ねえ、魔導師の研究成果って特許取れないの知ってる?」    よしのの緊張した声が広間にこだました。  よしの「エオル様! どうやらいらしたようです!」  フィード「だぁーかぁーらっ! 俺様を頭数に入れろーーーっ!」  脳みそが直接揺らされるようなおどろおどろしい金切声。  一行がやって来た穴に視線を向けると、"ハナ"の上あたりからポタポタと黒い液体を垂らすサンドワームが頭を覗かせていた。
        
        
 エオル「この部屋に入ってくる前に叩いちゃおう! 魔法使うスペースがあるうちにね」
 よしの「はい!」

 次の瞬間、エオルの横を走り過ぎる黒い影。
 
 エオル「え!? ちょっとフィード!?」
 フィードはサンドワームの目の前でフワリと地を蹴ると、そのまま高く上げた踵をサンドワームの脳天に振り下ろした。

 激しい落下音とともにサンドワームの頭は地面に叩きつけられ、辺りに黒い液体が飛び散った。そしてすぐに砂煙が上がった。
 ヤレヤレとエオルは溜め息をついた。
 エオル「……まったく……よしのさん! 俺たちは魔法で後方支援に回ろう!」
 よしの「はい!」
 よしのの周囲に浮くヤサカニが、よしのを中心としてクルクルと回転し、正面に青い宝珠が回ってきた。
 よしの(えっと……)
 改めて、よしのは背筋を正し、息を吸い込んだ。
 
 よしの「"ボウイサナ"!」

 "水"という文字が浮かぶ青い宝珠が輝きだし、光の中から全身が水で形作られた龍――"ボウイサナ"が現れた。

 ボウイサナ ――"爆流攻ばくりゅうこう"!――

 水龍の口から滝のように強烈な圧力の水が吐き出され、真っ直ぐサンドワームの頭に命中した。うめき声をあげ、サンドワームは苦しそうに頭を振り上げた。その勢いで、穴の天井がガラガラと崩れ出した。
 エオル「げっ!?」
 フィード「い゛っ!?」
 よしの「あっ!」
 ボウイサナは水を吐くことを止めた。
 エオル(ヘタにダメージを与えると暴れて洞窟を崩しかねないな……)
 
 ――一撃で一瞬のうちにキめる必要がある……!――

 エオル「フィード! 戻って!」
 フィードはサンドワームの傍を離れ、エオルたちの場所へ走った。

 エオル(よしのさんの龍のおかげで水の精霊が出てきた!)
 エオルは呪文を唱え始めた。

 フィード「これでケリつくな」
 フィードのつぶやきを聞き、よしのは思い立ったようにエオルの前に立ちはだかった。


        
        
 エオル「えっ!?」
 よしの「……殺してしまわないでください……お願いします……」
 フィード「ハァ!? だったらこのまま大人しく食われろってのか!」
 よしのは首を横に振った。
 よしの「……もともと悪いのは、おうちに勝手に上がり込んでしまった私たちです! なのに……」
 フィード「殺しちまうのは悪いってか? 俺様はヤツのメシになんのはごめんだ」
 よしの「そ、それは……」

 エオル「よしのさん」

 よしのの肩に手を置いて、エオルはゆっくりと語りかけた。
 エオル「あいつは"クリミナル・モンスター"って言って、人をたくさん食べてる悪い魔物なんだ。食べられてしまった人の家族とか……あいつのせいで悲しみを抱えている人がたくさん出てきているんだよ。これ以上そんな人を増やさないためにも、ここで倒した方がいい」
 よしの「……」
 エオル「ま、アイツにとっては生きるために必要なことをしているだけで、死んだら他の人たちが救われるってのはただの人間のエゴだけど」
 フィード「テメーが"生きるためには仕方ない"。それが魔法圏の人間の考え方だ」
 よしの(お互い生きるため……)

 ――どうしてこの世界はみんなが等しく幸せにはなれないのでしょうか……――
 フィード「つーかそんなこと言ったらそもそも、メシも調理前は生き物だしな。つーか、てめー」  フィードはよしのにデコピンした。  フィード「ブレすぎ。家畜は神の贈り物だとか、誰かのために戦うとか、やっぱりかわいそうだから殺すなとか、半端な覚悟で言うな」  エオルはフィードの足を思い切り踏みつけた。  フィード「いってぇ! 何すんだよ!」  うつむくよしのに、エオルは明るく声をかけた。  エオル「ま、"そーゆーの"は俺たちに任せとけばいいんだよ。あとで祈ってあげよう。それが俺たちにできることだよ」  よしのは目をこすり顔を上げると、笑ってみせた。  よしの「はい……!」  フィード「ちっ! 甘ぇなぁ、てめーは」  エオル「辛いのばっかだと飽きるでしょ! さてと、」  ガレキに押しつぶされて身動きが取れなくなっているサンドサームに、エオルは再び呪文を唱え始めた。  エオル「流水槍スプ・リエル・ロー!」  エオルの手元から、水が弓のように伸び、矢のような形の水が、水の弓にかけられた。  エオルは矢を握った手を離した。  それは鈍い音とともにサンドワームの頭を貫通した。つい今さっきまでそこにあった、サンドワームの荒々しい息遣いは消え失せた。  よしのは固く目をとじ、手を合わせた。  よしのがサンドワームのそばで祈り終え、付き添っていたエオルは後方で首をかしげているフィードに気づき、近寄った。そして改めてサンドワームの場所を見る。  エオル「……あれ?」  フィード「おい、そういやあ……」

        
 この広い空間から外へ続く出入り口はサンドワームの巨体と瓦礫でふさがれていた。

 ――で……出られない――

 フィードはうだっとし始めた。
 フィード「ヤツがこの部屋に入って来よーが来めーが、結局アウトじゃねーか!」
 エオル「つーか、むしろ魔法のスペース確保するより、サンドワームも部屋に入れてタイミング計って出入り口確保するほうがよかったね…… あー! 失敗したー!」
 フィード「後先考えろよなー!」
 エオル「その言葉、そっくりそのままお返しするよ」

 しばしの沈黙――

 フィード「……やっぱり、俺様の魔法しかなくねーか? もともとこういう岩削る用の魔法だし」

※爆炎魔法のもともとの用途は掘削や古くなった大規模建造物の解体が主。
 エオル「んー……危なすぎるよ……て言っても、結局滝もそのまんま落ちたし……バクチってあんまし好きじゃないんだけどなぁ……」  フィード「知らず知らずに案外人生ってギャンブルだぜ?」  エオル「君の場合はね。まぁでも、」  エオルは不敵な笑みを浮かべた。  エオル「"手下"は"ボス"について行くしか道はないしね。W・B・アライランスのボスさん?」  フィード「お前だけだったらどうでもいーけど、よしのもいるしな。絶対なんとかしてやんよ」  よしの「きゃ!」  突然、サンドワームの頭上の瓦礫がガラガラと崩れ始めた。  フィード「げ!」  エオル「さっき暴れたときの崩落、サンドワームの体の厚みで今まで支えられてたのか! それが体の力が抜けた分……」  エオルは口の横に拡声器になるように手をあてた。  エオル「よしのさん! どこまで崩れるかわかんないから、そこから離れて!」  しかし、崩落は収まらず、洞窟の壁はサンドワームの頭上を中心にガラガラと崩れ始めた。  エオル「うわ! ちょっと、真面目にヤバい! 生き埋めになっちゃうよ!」  フィード「……クリスは?」  エオルはフィードのあまりに突拍子もない言葉に一瞬ポカンとした。  エオル「へ!? さっき舟から降りちゃったじゃない!?」  フィード「はー……そうか……」  フィードは唇に親指を当て、出入り口を見つめた。
――どこにどの魔法をどのくらいの強さで打てばいいのか……――
 エオル(難しいな……これだけのもろい岩盤……下手したらここが崩れ去る前に無理やりここを崩すことになる……)  大きな轟音と地響き。よしのの頭上から、巨大な岩が落下してきた。  エオル「よしのさん!」  よしの「ひゃっ!」  激しい電流音。よしのの周囲を取り巻くヤサカニの結界によって、よしのの頭上に落下した大岩は粉々に砕け散った。  エオル「うわ……みんなでヤサカニそのの中に入ってたら普通に無事助かりそうだね……」  よしの「はっ! そうですわねっ! どうぞお入りくださいっ!」  エオル「や…たぶんアーティファクトは主以外は拒絶されると……」  ガラガラと音を立て、崩落はより一層激しさを増していった。  エオル「フィード! 思った通りにやっちゃって! 少なくともよしのさんは無事で済むと思う!」  よしの「えぇっ!? そんな!」  フィード(よしのが無事なら賭けてもいいか……)  フィードはサンドワームの倒れる出入り口の方向にゆっくりと手のひらを向けた――その時だった。  崩れゆく広間の中に弦楽器の音。あきらかに場にそぐわぬその音にフィードの手は止まった。
        
        
 フィード「なんだ?」
 エオル「えっ?」
 よしの「あっ」
 音の方に目を向け、よしのは思わず両手で口元を押さえた。

 ガラガラと崩れゆく外壁の、天井近くの岩の出っ張り――

 決意
 一行の視線の先には、異国の弦楽器を携え、ふかぶかと顔を隠すようにマントを頭からすっぽりと被った褐色の肌の10歳前後の幼い少年が座っていた。

 フィード「いつからいたんだ?」
 エオル 「おーい、坊や! 迷子かい! 危ないからこっちにおいで!」

 少年から視線を外さず、よしのはポツリと呟いた。
 よしの「……チェシャ猫さん……」

 エオル「え!?」

 少年は弦を鳴らし、再度一行の注目を集めると、静かにある一点を指差した。

 その指が示す方向は――

 フィード「……ヤツの便所じゃねーか」
 エオル「……サンドワームの"アレ"になれってわけじゃあなさそうだけど……一体どういう……」
 再び少年に視線を向けたが、すでにそこに少年の姿はなかった。
 エオル「消えた!?」
 よしの「チェシャ猫さん……」

 フィード「何だよ意味わかんねーなっ! ったく、魔法ぶっ放そうとした途端に妙な邪魔しやがっ……」
 フィードは一瞬唇に親指を当てると、再びサンドワームの便所を見た。

 フィード(まさか……?)

 よしのは胸の前で固く手を組んだ。
 よしの「チェシャ猫さんは……私をお2人のもとに導いてくださいました。今度もきっと進むべき道を示してくださったはずです」
 エオル「……不安要素は山ほどあるけど……」
 エオルはフィードの肩に軽く拳を突きつけた。
 エオル 「賭けるよ、俺は。君に」
 フィード「……ま、それしか選択肢がねーしな」
 エオルは苦笑した。
 エオル「まぁね」

 フィードはサンドワームの便所の前に立った。
 フィード「こっちを壊すぞ」

 フィードの小さくも力強い肩越しに、エオルとよしのは力強くうなずいた。

 崩落はさらに激しくなってきた。

 フィードは目を瞑り、静かに呪文を唱え始めた。

 エオル(大気が震えてる……大きい魔法だな)
 フィードの様子を見つめるよしのの肩を抱き、エオルは1歩、2歩と後ずさった。
 エオル「よしのさん、ちょっと離れよう。あと、耳、塞いで」
 よしの「はい……!」

 フィードは目を開き、便所に向けて手をかざした。

 フィード「爆炎破グレ・ネルド!」

 よしのは耳を塞いでいる手越しに鼓膜が破れるかというくらいの轟音と、全身を強く前から後ろへ抑えつけられるような衝撃に襲われた。


 自分が一体どうなったのか分からないまま、やがて風が収まり、よしのは思わず瞑っていた瞳をゆっくり開けた。


        

        
 そこには、真っ赤な夕日がよしのを照らしていた。

 よしの「あ……」
 エオル「よしのさん大丈夫?」
 耳元から聞きなれた声。そして、背中が妙に温かいことに気づく。ふと、顔を上げると、
 エオル「痛てっ!」
 よしの「痛たっ!?」
 エオルの顎とよしのの頭がぶつかった。
 混乱したままよくよく確認すると、自分の下にエオルの体がある。というのはよしのの視点で、エオルの膝の上によしのがすっぽりと座イスに座るように収まっている、というのが正しい。
 エオル(あ、もしかして何が起こったか、わかってない?)
 頭を掻いて、エオルは笑った。
 エオル「よしのさん小さいから、爆風で飛ばされちゃったんだよ」
 それをエオルが慌てて受け止めた、という次第だった。よしのは慌てて飛び退いた。
 よしの「きゃーー! 申し訳ありませんっ!」
 エオル「いや、俺は大丈夫だよ。それより、いつの間にかヤサカニ消えちゃってたから、よしのさんのほうが危なかったし」
 よしの「そういえば……」
 よしのは試しにヤサカニを発動させた。フワリ、と再び4つの宝玉が姿を現した。
 エオル「壊れてはなさそうだね」

 はるか前方から、夕日をバックにフィードのだみ声が響いた。
 フィード「オイ! てめーら! 早くしねぇとミンチになんぞ!」
 爆発のあと、一瞬安定していた崩落。しかし、再びパラパラと上から砂が落ち始めていた。
 エオル「急ごう! よしのさん!」
 エオルはよしのに手を差し出した。
 よしの「は、はいっ!」

 一行が脱出して間もなく、大砂瀑布と砂の大河の間の一部が崩落した。
 崩落の風を背中に受けながら、一行の笑い声が風音の隙間を塗った。
 エオル「どうやら、"トイレ"が一番、岩盤が薄かったみたいだね」
 フィード「もし一発でぶち抜けなかったら、ウンコまみれだったけどな〜」
 エオル「ウンコまみれで窒息死とか最悪だね」
 フィード「ギャハハ!」
 
 よしの「あの…」
 フィードとエオルは同時によしのに視線を向けた。
 エオル「あ! ごめん! 女の子いるのにこんなアホな話……」
 よしの「いえ……その……」
 よしのはうつむいて目を合わせようとしなかった。
 エオル「ん? 何?」
 
 よしの「て、手を……」

 言われてエオルは気が付いた。
 エオル「あっ! ごめん、忘れてた!」
 エオルは繋いでいた手を離した。まずいことしたな、とエオルは機嫌を伺うように笑って見せた。
 エオル「ごめんね?」
 よしの「あっ! いえ……その、大丈夫です……」
 よしのは俯いたままだった。

 エオル「そーだ! 結局、今どの辺りか分からなくなっちゃったよ……荷物も全部砂の底だ。地図もなければコンパスもない」
 フィード「あ〜……チェシャ猫また出てきて教えてくんねーかな」
 エオル「ちょっと!……確かにおかしな点はたくさんあったけど、今は情報を整理できる状況じゃないよ」
 フィード「わーってるよ」

 「ミャー」

 遠くから甲高い鳴き声。
 よしの「クリスちゃんですわ!」
 よしのは駆け出した。その方角には、かなり遠くだが黒いまん丸の影が見える。フィードは笑った。
 フィード「あいつ、遠くから見るとゴマ粒みたいだなあ!」
 エオル(あれ? そういえば)
 ふと思い出し、エオルはすぐ隣のフィードを見下ろした。
 エオル「さっきクリスは? って言ってたけど、あれ何だったの?」
 フィードは笑うのをやめ、エオルを横目でチラリと見た。
 フィード「……急に腹減ったんだよ」
 エオル「おやつ感覚なの……」
 よしの「エオル様! フィード様! 大変です! クリスちゃんの様子が……!」

 よしのの切羽詰まった声に、フィードとエオルが駆け寄ると、クリスがプルプルと震えていた。
 フィード「あ? 何やってんだよ、お前」
 フィードは吊し上げるようにクリスのしっぽをふん掴み、激しく上下に振った。
 エオル「ちょっと! フィード! かわいそうだよ!」

 ゲロ!

 クリスの口から丸い物体が吐き出された。3人が同時に覗き込むと、そこには赤茶色の「土」という文字が浮かんでいる透明な宝玉――

 よしの「もしかして……」
 よしのがヤサカニを発動させると、赤茶の宝玉は磁石のように4つの宝玉の輪の中にふわりと吸い寄せられた。
 よしの「……5つめ……」
 フィード「おい、てめー、どこで見つけやがった」
 フィードは尻尾をつかんだままグルグルとクリスを振りまわし始めた。
 エオル「フィーイードッ! やめなって! 偶然とはいえ、たぶん目的のものも手に入ったんだし!」
 フィード「ちっ! おい、よしの。こいつの汚ねぇ胃液ついてっから、あとで拭いとけよ!」
 よしの「はい!」
 よしのはクリスを抱きしめた。
 よしの「ありがとう、クリスちゃん」

 気を取り直すようにフィードは軽く溜息をついた。
 フィード「太陽の方角から、だいたいの方位はわかる。この砂漠一帯の地図も頭に入ってる。とりあえず一番近くの町に寄って、体制立て直すぞ」
 エオル「一番近くの町? 今日中につけるとこなの?」
 フィード「ここから北西に40キロくらい」
 エオルは溜息をつくと、「よしのさん、ごめん」とよしのを肩に担ぎ上げニヤリと不敵な笑みをフィードに向けた。。
 エオル「走れば魔導師の脚なら夜までには着けるでしょ、ボス?」
 フィード「ボスを走らせるとか、人使いの荒い手下だぜ」
 フィードもニヤリと不敵な笑みを浮かべ、前をまっすぐ見据えた。
 フィード「あと一息、よろしく頼むぜ、手下ども」

 日の傾きとともに、砂漠の地獄の暑さは地獄の寒さへと変わりつつあった。

        
        
        
 ヴァルハラ帝国 グラブ・ダブ・ドリッブ魔導師協会管轄地区 魔導師協会本部――「バベルの塔」最上階広間

 鏡のように磨きあげられた床には11人の黒いローブの影。
 そのうちの一人、ほかの10人の前でロッキングチェアに揺れながら、パイプをふかしている小さな老人――魔導師協会会長 オード・メロワマールはローブのポケットから懐中時計を取り出した。

 会長「時間じゃな」
 ポツリとつぶやくと、広間は冬の水底のような重い静けさをたたえた。

 老人は自分の正面に立つ、10人の黒いローブの集団の中で、ひと際大きな犬男――ガルフィン・フォーンに目を向けた。
 会長「ではまずガルフィン、W・B・アライランス追跡の結果を」
 ガルフィンは軽く頷き、ロッキングチェアの隣に立つと、その場にいる全員の視線を確認した。

 ガルフィン「W・B・アライランスはムー大陸マーフ国東部の町カーシーを北上し、"あの"砂の大河に向かったのだが、……なぜか大河を渡らず舟で河を下っていた」
 ブロンドのカールした長い髪にグリーンの瞳の美女――マリア・フラーレンは怪訝な顔をした。
 マリア「河を、"下った"? そこまで行ったのなら北上したかったんじゃなかったのかしら」
 ガルフィン「わからん。だが、河を下っているところで俺とヤクトミが追い付き、説得を試みた」

 「……"説得"、ということは本当にジパング人が一緒だったのか?」

 黒い髪を後ろに上げた不精ひげだらけの顎、こげ茶色の切れ長の瞳の男――ジャイブ・タイラーは「おいおい、マジかよ」とオーバーなリアクションをとってみせた。
 ガルフィン「……ああ、驚いた。黒髪黒目の黄色い肌に、"あの"独特の民族衣装まで着ていやがった」
 ジャイブ「へぇ!」
 マリア「そんな……」

 「それで?」

 黒い肌に赤い髪の中年の男――ユディウス・ラークはガルフィンに視線を向けた。
 ユディウス「彼らをセイラムにやることはできたのですか?」
 ガルフィンはユディウスの何かを探るようにじっと瞳を見つめた。
 ガルフィン「いや、結論から言うと、セイラムにはやれなかった」
 内心、マリアは胸をなでおろした。
 マリア「逃がしたってこと? なぜ?」
 ガルフィン「俺から逃れるための苦肉の策だろうが……」
 ガルフィンは言葉の先を言いづらそうに渋った。
 マリア「何よ」
 しばらくの沈黙の後、ガルフィンはようやく声を絞り出した。
 ガルフィン「滝へ突っ込んだ。魔法を推進力にして、思い切り」
 目を見開き、マリアは言葉を失った。

 ジャイブ「……それは、お前の力をもってしても助けられなかったってことだろ? なら、ここにいる誰がそこにいても同じだった」
 誰にも見られない袖の中で、ガルフィンの拳は固く握りしめられた。
 ガルフィン「言い訳はない。俺の責任だ」
 ユディウス「そんなことはないよ、ガルフ。ジャイブも言ったけど、君が正しいと思ってとった行動なら、誰もが納得している」

 「確かに……ただ問題なのは、そのあとの行動ではないか?」

 赤茶色の髪に一重の腫れぼったい瞼の青い瞳、小さいおちょぼ口の人形のようにつるんとした顔の男――キリス・シュナウツァーは抑揚のない声で淡々と続けた。
 キリス「お前はきちんと死体まで確認してきたのか?」
 マリア「確認って……あんた! 砂の大河の滝壺がどんな風か、知らないわけ!?」
 ジャイブ「いや、どんなであれ、死体が確認できなきゃあ、本当に死んだのか確証は得られん。それを含めて"責任"って言ってんだよなぁ! ガルフィン!」
 無表情に、ガルフィンはただ瞳を閉じた。
 ガルフィン「ああ」
 マリアはガルフィンとキリスを交互に睨みつけた。
 マリア「〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
 そんなマリアの様子に、ユディウスは気が付いた。
 ユディウス「マリア、何か納得いかない?」
 腕を組み、マリアはキリスに視線を向けた。
 マリア「結果として、死んだかどうかの確証が得られないから失敗だったってとこは納得よ。でもね、物理的に確認不可能な場所に行って確認して来いって聞こえるのが納得いかない。ガルフやヤクトミ・ヴルナスまで危険なところに飛び込んで命を落としたら元も子もないわ! だったら今回は"失敗"が正解だったと私は思う! 仕方がなかったのよ」
 キリス「仕方ないという言葉や好きではない」
 マリア「……あのねぇ、ボウヤ。この世に白か黒かしかないと思ったら大間違いよ!」
 キリス「魔法を扱うという時点で我々はすでに"危険な場所"にいる。一般人より危険を冒しているのが魔導師だし、それが魔導師の仕事だ。だいたい、いちいち、やれ生徒のためだのなんだのと必要以上に危険に首突っ込んでいるやつのセリフではない。そもそもお前はスペリアルマスターの仕事を勘違いしている。我々の仕事は優秀な魔導師を輩出することだけだ。お前は感情論に任せて本来の仕事から逸脱しすぎている」
 ジャイブ「ちょいちょいちょいキリス……お前も話が脱線……」
 マリアは鼻で笑った。
 マリア「優秀な魔導師ですって!? 笑わせないでよ。市松桃次郎に"追い打ち"をかけたのはあなたよ!? よくそんなこと……」

 周囲がざわめき始めた。
 「まずい……あの2人に市松桃次郎の話は……」

 キリス「それが感情論だと言っているのだ。もしそれが自身の過去の"贖罪"のつもりなら、自己満足と周囲への迷惑以外の何物でもない」
 次に発せられたマリアの声は低かった。
 マリア「……そんなんじゃないわ。単なるポリシーよ」

 「誰だよ……キリスに"あのこと"しゃべったの……」

 キリスは皮肉っぽい笑みを浮かべた。
 キリス「第一」

 再び周囲はキリスに注目した。

 キリス「新人の犯罪魔導師にかまけているヒマがあるなら、自分の夫のことをなんとかしたらどうだ」

 ――その話はダメだ!――

 周囲は凍りついた。マリアが口を開きかけた瞬間――
 会長「"元"夫だ。マリアとはもう何の関係もない。キリスよ、話を脱線させてくれるな」
 マリアは会長の仲裁の言葉など耳に入っていないかのように、普段からは考えられない冷酷な表情を見せた。
 マリア「あの人はもうSSSトリプルS級のクリミナル・モンスターになり下がってるわ。犯罪魔導師どころか、もう人ですらない」
 ガルフィン「マリア、もうよせ」
 ユディウス「もういいよ、マリア」

 周囲がざわざわと再びざわめき始めた。

 会長は少し息を吸うと、声を荒げた。
 会長「マリア! キリス! いい加減にせんか! ここは口喧嘩の場ではないぞ!」

 場は一瞬にして静まった。
 マリア「……申し訳ありません」
 キリス「失礼しました」
 二人とも、心底反省した、という様子は微塵もなかった。

 会長は2人を厳しいまなざしで睨みつけ、それから場を切り替えんと手を叩いた。
 会長「よし、では安否は未確認だがジパング人を連れていることは確認したということじゃな。ユディウス、マリア、ジパング人拉致の声明について、どこまで情報が回っているかはわかったかの」
 ユディウス「ええ。関係各所に探りを入れましたが、あの声明が出されたのは魔導師養成学校アカデミーだけですね」
 ガルフィン「うちだけか……」
 マリア「何を意図してかは分からないけどね。なので、一番懸念されていた対魔導師犯罪警察組織トランプにも、情報は行っていないようでした。ただ、ひとつ問題が」
 会長「問題?」
 ユディウス「次回から、W・B・アライランス逮捕に市松桃次郎が出動するそうです」

 周囲が再びざわめいた。

 ジャイヴ「オイオイ……こりゃヘタすりゃ後がないぜ……」
 会長は声のトーンを一つ落とした。
 会長「なぜ、"そこ"までの騒ぎになっておるのかの……ジパング人の話が本当はトランプまで行っているということは考えられないのか?」
 マリア「いえ、本人は先日のケガのリハビリがてらと言っていたので。また、"スペード"の捜査資料もわざわざ持たせてくれましたが、ジパング人に関するものはありませんでした」
 キリス「"アレ"は普通にウソをつく。そのまま言うことを信用するのはどうかと思うが?」
 マリア(あんた、担当教官だったくせに今までトウジロウの何を見てきたのよ!)
 マリアは出かかった言葉を必死で押し込んだ。

 会長「……マリア」
 マリア「はい」
 会長「お前さんから見て、トウジロウの態度はどうだった? ウソやごまかしがありそうだったか?」
 マリアは胸を張った。
 マリア「いいえ! あの子は確かにウソやごまかしはとてもうまいです。頭がいい。けれど、あの子は他人のためにしかそういうことはしません。なぜなら自分に自信があるから。なので、彼は本当にすべての情報をくれたと私が責任を持って断言します。……先日のケガでついでに頭打って人格変わってなければね」
 マリアはいたづらっぽく会長を見た。

 会長は頷いた。
 会長「生徒一人ひとりに対する観察眼はマリアが一番たけておる。お前さんの言葉、儂は信用しよう。よって、ジパング人拉致の声明はアカデミーだけにしか来ていないと判断しようと思う。異論があれば、言いなさい」
 辺りは静まった。
 会長「では今後についてじゃが、足取りはつかめなくなったが、万が一生存したと仮定し、大砂瀑布から近い町を虱潰しに情報があるかだけでも、探そう。それはガルフィン指揮のもと、ヤクトミに引き続き担当してもらおう。情報が得られるかも運次第ではあるが、今できることはそれくらいかのう。あとは、引き続きトランプの監視をマリアとユディウスにお願いしよう。また状況が変わり次第、皆には集まってもらう。以上じゃ」


        


 解散後、わらわらと塔を下っている途中――

 ガルフィン「……大丈夫か?」
 マリア「あんたがよ」
 ユディウス「どちらもです」
 ユディウス、マリア、ガルフィンはいつものように3人並んで塔を下っていた。

 わずかな沈黙の後、マリアは大きなため息をついた。
 マリア「あたし、ちょっと今日は飲んでくるわ」
 ガルフィン「女一人でか? 寂しいやつだな」
 マリア「あれ? 知らないっけ? あたしの飲み仲間」
 ガルフィン「知るか」
 ユディウス「飲み仲間というか、グチられ係でしょう?」
 マリア「のーみーなーかーまっ! リケ・ピスドローとか」
 ガルフィン「トランプじゃねーか。酔った勢いで情報垂れ流すなよ」
 マリア「は? あんたたちも来なさいよ」
 ユディウスとガルフィンは互いに顔を見合わせ、同時に答えた。
 「遠慮する」


 バベルの塔を後にし、マリアと別れた後、ユディウスとガルフィンはアカデミー職員宿舎に歩を進めていた。

 ふと、ガルフィンはポツリと呟いた。
 ガルフィン「あいつは外からつつかれやすい過去を持ちすぎだ」
 ユディウス「マリアのことですか? 大丈夫ですよ。彼女は強い」
 ガルフィン「……弱みを見せんから逆に不安だ。なんだかんだいって、俺たちより2回りは若い」
 ユディウス「僕が彼女を強いと評価しているのは、そういった点を含めてですよ。弱みや悩み、ストレスのはけ口をキチンと持っている」
 ガルフィン「お前、プライベートでも大変だな……」
 ユディウス「いいえ? 彼女は僕と君に同じことしか吐かないよ。僕らには言えないようなことは、今日みたいに外で発散してるみたい。唯一君に言わなくて僕に言うのは君とケンカしたときのグチくらいさ」
 ガルフィンは肩をすくめた。
 ガルフィン「ヤツに心配は無用のようだな」
 ユディウス「ハハ、今頃かい?」

 ユディウスと別れ、ガルフィンは自分の部屋に向かった。すると、ドアの前に白い髪と白い尻尾を生やした青年――ヤクトミ・ヴルナスがうずくまっていた。ヤクトミはガルフィンの姿を見つけると、慌てて立ち上がった。
 ヤクトミ「あの……すみません、その……待ちきれなくて。話し合い、どうなりました?」
 やれやれ、とガルフィンはため息をついた。
 ガルフィン「その件は明日朝一に伝えると言っただろうが。まったく、お前ってヤツは」
 ガルフィンはヤクトミの頭にポンと大きな手の甲を置いた。
 ガルフィン「生存の可能性を考慮して、捜索再開だ。大砂瀑布付近の町で情報収集を、会長はお前に任せてくれたぞ」
 ヤクトミは背筋を伸ばし尻尾を立てた。
 ヤクトミ「本当ですか!」
 ガルフィン「ただ、今日はもう遅い。明日の朝、計画を立ててから早速行ってもらうぞ。ゼミの2時間前に俺の執務室に来い」
 ヤクトミはガルフィンをまっすぐ見据えた。
 ヤクトミ「はい! ありがとうございます!」

 ヤクトミを見送り、部屋のドアを開け、明かりをともすと、ガルフィンはベッドになだれ込んだ。
 ガルフィン(ヤレヤレ……)
 ふと、正面のガラス棚に目が行った。

 裸足のままバルコニーに出て、ペタリと床に座り、持ってきたグラスにウイスキーを注いだ。

 今日は月がよく見える。

 カラン、というわずかな音に、斜め下のバルコニーに目をやった。
 ユディウスが同じく床に座り、グラスをこちらに掲げている。
 ガルフィンはクッと笑うと、ユディウスに向けて、同じくグラスを掲げた。

 今日は本当に月がよく見える。


        
        
        
KT … カイセツ(K)とツッコミ(T)
      またの名を
      カユイ(K)ところにテ(T)がとどく


p.1    ■会議中にノックもせずに入室してはいけません。
       大変悪い例ですね。


p.2    ■「モモ」
       シェンさんが勝手につけて勝手に呼んでるトウジロウのあだなです。
       シェンさんは基本的にフリーダム。


p.3    ■ウン●
       作者も大好きなネタです。
       
       
p.4    ■爆流攻
       ボウイサナの技の名前。
       
       
p.5    ■ブレすぎ。
       ブレ始めています。よしのは。
       記憶にない神使教の慣習も多少は残っていますが、基本的に神使教って何?から始まっているので、
       無意識にしみついている神使教の慣習と、自分の中で、体験して、考えて出てきた思いがポロポロと出てきています。
       つまり、自分の言動に矛盾が生じてきている、というように他人のフィードからは見えたようです。
       まあ、矛盾が全くない人間なんていない気もするのですが。
       
       ■"そーゆーの"
       汚いこと、みたいな意味合いです。


p.6    ■「お前だけだったらいーけど、よしのもいるしな」
       ちょっとフェミニストを気取ってみたフィード。
       かっこつけマンめ。
       
       
p.7    ■サンドワームのアレ
       アレですよ、アレ。
       
       
p.8    ■「あっ! ごめん、忘れてた!」
       確信犯だったらタラシ(?)ですな。
       エオルタラシ疑惑。
       
       
p.9    ■マリアの過去
       なにかあるみたいですね。
       とりあえず整理すると3つ。
       ・トウジロウとキリスとの問題。
       ・過去の贖罪?
       ・元夫。
       なんなんでしょうね。それはまたおいおい。
       
       
p.10   ■物語には直接関係ないけど、先生方の人間ぽさを出したかったページ。
       でてるかなあ。
       
       
       2009.7.25 KurimCoroque(栗ムコロッケ)
       2012.1.11(改)