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 小屋中に満ちた殺気。したたる冷や汗。

 ムー大陸 ナイム国南部 ヴィンディア連峰"乗り越えた先の絶望オーバーザホロウ" 7合目。

 木々生い茂る中にひっそりと佇んでいる山小屋。
 その山小屋を囲う対魔導師犯罪警察組織トランプの男たち――

 追い詰められ、逃げ込んだ山小屋で、フィードたちW・B・アライランスは袋の鼠となっていた。

 そして、その状況に追い討ちをかけるように、山小屋にズカズカと入ってきたのは魔導師界最強の男――市松桃次郎。


 W・B・アライランスはこれまでで最大のピンチを迎えていた。




―――― warmless cradle warmth冷たいゆりかごのぬくもり ――――




 剣を握る手から脈動を感じる――エオルの心臓は脈打つ度に体ごと飛び跳ねているようだった。

 エオル「フィード」
 フィード「んだよ」

 ゴクリとエオルの喉が鳴った。
 エオル「"偉大なる7人の魔導師グランドセブン"イチマツ・トウジロウの武器は、」
 フィード「さっき両手剣専攻キリスゼミがどうのっつってたろ。要はお前と同じ両手剣……」
 エオル「の、……二刀流だ……!」
 フィードは素っ頓狂な声を上げた。

 両手剣はその名の通り、人が両手で持つ、破壊力重視の、重量があり、長さがある、または大ぶりの剣のことを指す。

 フィードはトウジロウの2メートル近くある筋骨隆々とした図体を見つめた。
 対してエオルはトウジロウの手元を見つめていた。

 エオル(両手剣の二刀流なんて離れ業をやってのけるのが、あの強靭な手首リスト……!)

 二人の視線を集めるトウジロウ本人は溢れんばかりの余裕が詰まった不敵な笑みを浮かべた。
 トウジロウ「人のことジロジロと……何企んどんのんか知らんけど、安心しいや。武器は使わへん」
 エオル「なっ……!」
 フィード「なめやがって!」

 勢いよく飛び出したフィードはトウジロウの正面で地面を蹴り上げると、体をぐるりと水平に回転させ、踵をトウジロウのこめかみめがけてブチ込んだ。

 鈍い音を立てて踵が収まった先は、トウジロウの手のひら。フィードは更に蹴り足の膝を曲げ、体を回し――しかし、フィードの動きはそこで止まった。

 トウジロウは手のひらの中にあるフィードの踵を握りしめると、グルンとフィードを振り回し、そのまま床にたたきつけた。

 フィード「がはっ!」

 よしの(フィード様!)
 木製の床は激しく割れ、フィードの体は深く床にめり込んだ。

 さらに追い打ちをかけんと、トウジロウは激しく咳き込むフィードの足を引きずり、引き寄せた。

 エオル「させるか!」

 鋭く放たれたエオルの剣は軽々と避けられ、その弧は音を立てて空を切った。

 次の瞬間、トウジロウはエオルに向かいフィードを投げつけ、二人は激しく衝突した。
 エオル「ぃいっづっ……」
 フィード「……っでぇ〜……」

 もだえる二人の魔導師を尻目に、トウジロウはズンズンとよしのに近寄ると、「おら」と手を差し伸べた。
 よしのはカタカタと震えながら目を見開き、トウジロウの鷹のような鋭い漆黒の瞳を見つめた。


        


 トウジロウ「名前は」
 よしの「……染井……よしの……」
 トウジロウ「…………ちゃう、本名や。ジパングに身元確認とったるさかい」
 よしの「え……? 染井、よしのです……」
 トウジロウ「このアマ! ドアホ! 確認とれへんやんけ! 本名名乗れ言うてんねん!」
 何を言われているのか全く分からない。よしのはあまりの混乱に瞳が潤んだ。


 「わけわかんないこと」

 「言ってんじゃねーよ、このハゲ!」


 心底面倒臭そうに振り向くと、二人の魔導師がフラフラとしながら構えていた。

 トウジロウ「……血ィ流さなわからんらしいな」

 パリッと張りつめた空気が変わった。

 エオルの体の奥底の無意識が、ヤバイヤバイと警鐘を鳴らしているのがわかった。剣の柄を握る手にジワリと嫌な汗が出た。

 よしの「ま、待ってください……」

 よしのはトウジロウの腕にしがみついた。
 トウジロウ「あァ!?」
 イライラしながらよしのを見下ろした、その隙をフィードは見逃さなかった。

 フィード「よそ見してんじゃねえよ!」

 トウジロウ「あん?」

 "銀髪の魔導師はパンチを繰り出してくる"、容易に想像できるそれを受け止めようと、トウジロウは顔すら向けずガードの手を出した。
 がしかし、寸でのところで後ろに飛んでそれをよけた。

 "熱"がトウジロウの顔を掠めた。

 フィード「チッ!」

 酸素を貪る音を立て、フィードの手には真っ赤に燃え盛る炎。

 珍しいものを見た、とトウジロウの口に物見気分の笑みが宿った。
 トウジロウ「ウワサの"魔法拳"か」
 早々に見飽きたと言わんばかりに、トウジロウは咥えていたタバコを思い切り吸って短くして床に捨てると、新しいタバコを咥えた。

 そのさも余裕綽々だという所作に、フィードの頭はカチンと鳴った。
 フィード「余裕こいてんなよ!」

 襲い来る炎の拳を軽々と避け、ついでに咥えていたタバコにフィードの炎をつけた。
 二人の魔導師とは隔絶するようなゆったりとした時間の中で、トウジロウはリラックスした煙を吐いた。

 トウジロウ「なるほど、ライタにはええな。いや、マッチか」
 フィード「でけぇ図体のくせしてちょこまかと……」

 ヒョイと体を折りたたんだトウジロウの頭のすぐ上を、エオルの剣が掠めた。

 エオルの剣先は青く輝いていた。

 こちらは完全につまらなそうに、トウジロウは鼻で笑った。
 トウジロウ「こっちは魔法剣か。こっちのんが使えそうやな」

 フィード「なーんーだーとーーーーっ! この野郎!」
 エオル「フィード! 挑発されてるんだって!」
 目を爛々と血走らせながら、フィードはニヤリと余裕のない笑みを浮かべた。
 フィード「こんなおちょくられかたは初めてだぜ……!」
 エオル(完全に頭に血が登ってるーー!)

 トウジロウ「ハンッ! こないな程度で青筋立てとんのんかい。 自分ケツ何色やねん、なあ?」
 フィード「うっせーんだよ! このハゲ野郎!」

 フィードはトウジロウの顔面めがけて拳の炎をぶち込もうとした。しかし、またしても軽々と避けられ、そのままガラリと開いたフィードの側頭部に拳がめり込んだ。

 まるで紙切れのように、フィードは大きく吹っ飛び頭から壁に突っ込んだ。
 エオル「フィード!」
 頭を抱え悶絶するフィードに、トウジロウは咥えていたタバコをポイとその額の上に投げ捨てた。
 エオル「いっ!?」
 フィード「ぶわちっ!」
 脳天を突くあまりの熱さに、フィードは慌てて飛び起き、涙目で額をゴシゴシと擦った。
 フィード「てんめ〜!」

 もう興味がないと、トウジロウはフィードに背中を向け、エオルに向かった。
 トウジロウ「なんや、こんなもんか? 今回の新人どもは」
 エオルは無言で剣を構えた。
 ヤレヤレと溜め息をつきながら、トウジロウはニヤリと笑った。
 トウジロウ「目ェだけはええねんけどな」


        
        


 よしのは目の前のこの大男の、これまでの敵との明らかな違いをまざまざと感じていた。
 トウジロウが小屋に入ってからこれまで、武器を抜いたエオルはほぼ無視、フィードは攻撃が一つも当たらず、むしろカウンターばかり食らっている上に、完全におちょくられている。
 これまでのトランプの隊員たちは、アーティファクト持ちでなければ武器をしてほぼ互角だった。

 それをどうしたことか、アーティファクトどころか武器すら持ち合わせぬこの男に、完全に翻弄されているではないか。

 よしの(いいえ、きっとお力が出せていないだけです! 狭い小屋である上に、周りが囲まれているから……)


 「さすがよしのちゃん! でもこれはそれ以前の問題だね〜」
 ――若い男の声


 よしのはキョロキョロと辺りを見回した。しかし、声の主らしき姿はどこにもない。
 よしの「え?」

 クリス「ミャー!」


 トウジロウ「ん? 猫?」
 よしのに視線を向けたその瞬間を逃すまいと、エオルは矢のごとく切りかかった。

 トウジロウはよしのの腕の中の猫に目をやったまま、軽々とエオルの連撃を避け続けた。

 エオル(う……当たらない……! 的はこんなにデカイのに!)
 トウジロウ(はー……完っ全、教科書キリス通りやな。おもんない。ヤツキリスのお気に入りなだけあって筋はええが、それまでや)

 フィード「でやっ!」

 トウジロウ「ん?」
 フィードは後ろからトウジロウの背中にしがみつき、脇の下から手を通して腕を押さえた。

 フィード「ふっふっふ。捉えたぞ」
 エオル「ナイス!」
 両腕をとられ、完全に胸ががら空きのトウジロウに、すかさずエオルの剣が切りかかった。

 トウジロウ「アホか」

 トウジロウはくるりとエオルに背中を向けた。

 エオル「げ」
 フィード「どわぁ!」
 エオルの剣はフィードの前髪に触れるか触れないかのところで止まり、ほぼ同時にフィードも後ろへ飛び退いた。

 丁度そのタイミングで、フィードの鳩尾にトウジロウの回し蹴りがめり込んだ。
 フィードは再び壁に叩きつけられた。

 フィード「げほっ」
 頭を打ちすぎたか、フィードの鼻から鮮血が滴り落ちた。

 震える手で、よしのは口を押さえた。
 よしの(フィード様……!)
 トウジロウを真っ直ぐと見据えながら、フィードはよろりと立ち上がった。その手はみぞおちを抑えたままだった。
 エオル「フィード!」

 乾いた笑みを浮かべながら、トウジロウは煙草に火をつけた。
 トウジロウ「今ので肋骨イッたな。 呼吸がおかしいで? 肺にでも刺さったんちゃう?」
 そうして、まるで小ばかにしたような笑いを向けた。

 エオル「フィードッ! さがって!」

 フィード「く……げほっ……口切っ……ただけだ」
 トウジロウ「お前の口は二つあるんかい」

 早く手当をしなければ。顔をゆがめ、エオルは唇を噛んだ。
 エオル(明らかに苦しそうじゃんか……このおばか!)

 トウジロウ「降参しィや。ほんなら病院くらい連れてったるわ」

 エオルはフィードの様子をうかがった。明らかに病院に連れて行かなきゃヤバイ――だが、その射るような赤い目は死んではいなかった。
 その目に応えるように、エオルは再び剣を構えた。

 トウジロウ「死にたいらしいな」


 よしの「だめーーーーーーーーーーーーーっ!」


 ガスンと鈍い音を立て、よしのがトウジロウの後ろ頭に殴りつけたのは、小屋の隅に積まれていた10キロの小麦粉の麻袋。

 頭を擦りながら、すかさずトウジロウの鷹のような鋭い瞳がよしのを睨みつけた。
 トウジロウ「……って〜〜〜〜! 何すんねん、このクソアマァ!」

 しかし、振り返った先は白い煙。

 殴った衝撃で袋から小麦粉が漏れ、それはもくもくと小屋中に広がった。

 トウジロウ「……はっ!」

 トウジロウの口の先には火のついた煙草。部屋中に広がった小麦粉の煙。

 慌ててタバコの先を握りつぶそうと手を伸ばしたが、煙草の火はジジッと音をたて――


 激しい爆音とともに、山小屋は粉々に吹き飛んだ。


        


 小屋の周りにいた隊員たちは思わず身を屈めた。

 しかし、爆風の一つも来ない。
 変わりにヒヤッとした不自然な冷気が流れてきた。

 「あれ…?」

 隊員たちは恐る恐る目を開けた。

 顔の前にあったのは巨大で分厚い氷の板。


 ――氷雪魔法"氷縛結界フロストフラワー"
 敵を氷付けにする魔法――

 その氷塊の周りには蓮の花びらのように氷の板ができるのだが、どうやら目の前にあるのはそれらしい。だが、これほど巨大なものは百戦錬磨の隊員たちの誰一人として目にしたことはなかった。


 (爆発の熱風でもびくともしないなんて……なんて魔力だ!)
 (つーか、あとちょっと小屋に近かったら俺たちまで氷付けじゃんかよ!)

 リシュリューはその蒼い瞳をゆっくりと開いた。

 屋根のようにそびえる氷の板を通して太陽の光がキラキラと乱反射していた。

 リシュリュー("氷縛結界"の花びらでみんなを守った……この魔法にこんな使い方……)

 ハッとして、リシュリューは蓮の花のように重なる分厚い氷の板になりふり構わず飛び乗った。

 リシュリュー「トウジロウ!」

 花の中央部は巨大な氷の蕾を中心に小屋のがれきが散らばっていたり、氷に埋まったりしており、爆発の衝撃の激しさが伺えた。

 こめかみから、リシュリューは血の気が引くのを感じた。

 慌てて近くの瓦礫をどかし、上司の行方を捜した。
 リシュリュー「トウジロウ……! トウジロウッ!」

 トウジロウ「やかましい、こっちや」

 リシュリューの背後で瓦礫がガラガラと崩れた。中から煤と傷だらけのトウジロウが不機嫌そうに現れた。

 安堵の溜め息とともにリシュリューは暖かな笑顔を向けた。
 リシュリュー「……エース……ご無事で……!」

 ゴホッと一度咳き込んで口から黒い煙を吐くと、トウジロウの鷹のような瞳は空高くそびえる蕾のてっぺんを捉えた。

 トウジロウ「やられた」

 その視線の先――蕾のてっぺんには、白い煙とともにシュウシュウと音を立て、大きな穴が開いていた。

 リシュリュー「エースの氷を溶かした!?」
 トウジロウ「……戻る」

 いつもの調子なら完全に頭に血が上っていそうなこの男が、この場で言いそうもないその発言に、リシュリューは目を丸くした。

 リシュリュー「え……!? まだ近くにいるかもしれないのですよ!? すぐに他の隊員を」
 トウジロウ「あかん、追うな」
 リシュリュー「……どういうことですか……?」
 ヤレヤレと至極面倒くさそうな溜め息の後、煙草に火がともった。

 トウジロウ「……こら"いくつか"報告せなあかんわ」
 リシュリュー「え……?」


        


 ◆


 数日ぶりの雲一つない晴天。

 積もった新雪。キラキラと太陽の光を乱反射して、目を細めなければ前が見えない。

 ザクザクと音を立て、男は数メートル前の少年を必死で追っていた。

 「坊や! そんな格好でこんな雪山の中! 危ないよって!」

 飾りのついたマントを頭からスッポリと被った褐色の肌の少年は、素足でサクサクとよどみなく雪の中を進んで行く。

 「坊や! お父さんかお母さんは?」

 ただただ、少年は無言のまま進んで行く。

 やがて、少年は立ち止まり、地面を指差した。

 男はゼーゼーと息を切らし、やっとこさ追いつくと、少年の指し示す先に目をやった。

 「あれ!?」

 一部だけすっぽりと雪が溶け、覗いた茶色の地面のその上に、3人の男女が倒れていた。

 「これを教えようとしてくれたんだね……!」

 語りかけた言葉は虚しく宙に消え、男の目の前に先ほどまでいたはずの少年の姿は、どこにも無かった。



        


 ◆


 パチパチと暖炉が弾ける音。

 心地よい暖かさに、エオルはぼんやりと意識を引き戻された。
 目の前は温もりある木の天井。視線は自然とオレンジの光差す暖炉に向いた。
 暖炉の前には火を眺めるよしのと、その膝の上で気持ちよさそうにゴロゴロと鳴くクリス。

 エオル「……よしのさん、大丈夫……?」

 その一声に弾かれたように振り返ると、その顔はすでに今にも泣きそうだった。飛び込むように駆け寄ると、さっそくその頬に雫が伝った。
 よしの「私は怪我一つございません。御加減はいかがでございますか?」
 エオル「平気。ここは?」
 よしの「……少し山を登ったところの集落のようです。ここの方に、助けていただいたのですよ」
 エオル「……え? トランプから?」

 問われた瞳を困ったように伏せ、よしのは首は横に振った。

 よしの「それが……ここよりさらに上で、雪の中に倒れていたそうで……」

 ――あいつの仕業か?

 エオル「……フィードは?」

 よしのの視線がエオルのすぐ隣を指した。
 よしの「まだ、お目覚めになっておりません」

 ぽっかりと口を開け、"死んだように"寝息をたてている銀髪。エオルはむくりと起き上がり、おもむろにフィードの顔の前に手をかざした。

 エオル「……ガス欠してる」
 よしの「ガス欠……?」
 エオル「うん。魔導師って体に魔力っていう魔法使うエネルギー溜めてるんだけど、それを使い切った、もしくは使い切った上にさらに足りない分を代わりに生命エネルギー使った状態。……こりゃ三日は目が覚めないな」
 説明されてもなお、よしのはよくわからなかったが、エオルから「ものすごく疲れた状態」と補足され納得した。

 よしの「……あ、お腹空きましたでしょう? 少々お待ちくださいな」
 そうしてよしのはパタパタと部屋を出ていった。


 暖炉のパチパチという音だけになった部屋で一人、エオルは天を仰いだ。

 ――……剣すら抜かせることができなかった……。


 しばらくの間、固く目を瞑った後、おもむろにベッドから降りると窓の外を覗いた。

 暗い。夜のようだ。窓から漏れる光が地面に積もる雪をオレンジ色に照らしていた。

 エオル「…………何も、できなかった……」
 ポツリと漏れた言葉。その蚊の鳴くような声は暖炉の立てるパチパチという音にかき消された。

 エオル


 ……かのように思えた。

 「全くその通りだな」
 昏々と眠り続けるフィード以外、誰もいないはずの部屋で、若い男の声。

 エオルは暖炉を振り返った。

 暖炉の前には気持ちよさそうに丸まっているクリスしかいない。
 エオル「……誰?」

 「この村には気をつけろよ。シャンドラが目を覚ますまで、よしのちゃんを危険な目にあわせるな」

 エオル「……気をつける? 何を!? ていうか、誰だよ!」

 それ以降、一切声はしなくなった。

 エオル(……何なんだ!?)

 視線は自然と謎の男の言葉の中に出てきたフィードに向いた。ぴったりと閉じられた瞳は開きそうもない。

 エオル(フィードが起きるまで……?)

 しばらくフィードの(決して頭のよさそうでない)寝顔に視線を止めていたが、考えても仕方ないとよしのを探すことにした。
 丸太を組んで作られたログハウスのような家。暖炉の部屋を出るとたちまち冷気が身を包み、明かりのない廊下が続いていた。
 そこから廊下を進むと、ドアから漏れる光が見えた。

 笑い声が聞こえる。

 よしの「ありがとうございます」

 よしのの声に引き寄せられるように、エオルはドアを開けた。



 ドアの向こうは小さな台所とダイニングが広がっていた。

 「おっ! 起きたって?」
 テーブルに肘をつき、中年の猟師のような髭面の男は嬉しそうな笑顔を向けた。

 「あんた、まだ無理しちゃダメよ」
 台所によしのと共に立つ初老の恰幅の良い女性は、心配そうに、子どもをあやすような声をかけた。
 まさかここまで来るとは思っていなかったようで、よしのが慌てて駆け寄ってきた。

 よしの「お目覚めになったばかりですのに……どうかご無理はなさらないでください」

 その自分の状態とは対照的な様子に、エオルは笑った。

 エオル「大丈夫だよ。それより……」
 両手を広げ、"この人たちは?"というジェスチャーをしてみせた。
 よしの「テーブルにおかけになっていらっしゃる方が、」
 男は屈託のない笑顔で手を振った。
 パウーモ「パウーモだ」
 よしの「私たちを助けてくださったそうです」
 言われた本人は恥ずかしそうに頭をポリポリと掻いた。
 パウーモ「よせやい」
 エオル「あなたが……! ありがとうございました」
 パウーモ「よせって!」

 次によしのは初老の女性に目を向けた。

 よしの「そしてこの方がミーワルさん」
 にっこりと暖かい笑顔が向けられた。
 ミーワル「ようこそ! ラシャ村へ!」

 どうやらここは名のついた村らしい。それが分かっただけでも、さらに安堵した。

 エオル「エオル・ラーセンです。いろいろお世話になってしまったみたいで」
 ミーワル「いいえ! ここで会ったのも神のお導き! ゆっくりしてって頂戴!」

 神という単語に、エオルはまさかと目を丸くした。

 パウーモ「ハハハ! 隠さなくたっていいさ! ジパング人様といるんだ。言わなくったってわかるさ!」

 その言葉にさらに嫌な予感に襲われた。

 エオル「……何をですか……?」
 白々しいなとパウーモは笑った。
 パウーモ「何をって! あんた"も"神使教だろ!」

 よしの「あ、いぇ」
 エオルは慌ててよしのの口を抑えた。

 エオル「アハ……ハハハ……えと、お二人も……?」

 パウーモ「俺たちだけじゃないさ」

 エオル(……まさか……)

 ミーワル「改めて、ようこそ! 隠れ神使教徒の村へ!」

 わずかの間。言葉の意味を飲み込むのに一呼吸おいてから、エオルは一気に血の気が引いた。

 エオル(マァジでぇすかぁぁああぁあーーーーーー!)


        


 パウーモ「もう一人は?」
 よしの「あ、まだ……」
 つまらなそうにパウーモは足を投げ出した。
 パウーモ「そっかー」
 ミーワル「お腹空かないかい?」

 口の中が無意識に唾液で溢れる、かぐわしい香辛料の香り。テーブルに木製のスープボウルになみなみと注がれたシチューを置かれた。ミーワルはエオルににっこりと笑顔を向けた。
 エオル「あ……ありがとうございます……!」
 シチューの暖かさが胃に染み渡った。

 パウーモ「しっかし、なんたってあんなところに倒れてたんだい?」
 シチューを口に運びながらエオルは答えた。
 エオル「それが、よくわからなくて」
 そのテンプレートのような回答に、パウーモはため息をつきながらテーブルに突っ伏した。
 パウーモ「あんたもか」
 エオル「……よしのさんも?」
 よしのはうつむいた。シチューを運ぶは手が止まった。
 エオル(よしのさんがイチマツ・トウジロウを小麦粉の袋で殴って、小麦粉が舞い上がって真っ白になって……それから……?)

 記憶がない。すっぽりと、抜け落ちている。

 エオル(……あれ? 本当にわからない……)

 パウーモ「あの子どもも連れなのかい? 姿が見えなくなったけど……」

 全く身に覚えのない話に、一体何の話なんだとエオルはキョトンとパウーモを見つめた。

 エオル「…………こ、子ども?」
 パウーモ「黒い肌でー……顔はマント被っててよく見えなかったけど……」

 よしの「え……!」
 エオル(黒い肌、マントで見えない顔……それってまさか……)


 ――チェシャ猫!?――


 パウーモ「登山道からかなり外れてたし、普段この村の人間も用事なんてない所だったから、あの子いなかったらあんたら死んでたよ」
 エオル「な……!?」
 よしの(……また……助けていただきました……)
 パウーモ「あの子は大丈夫なのかい?」
 とりあえず、心配そうなパウーモになんとか安心を与えなければとエオルは笑ってみせた。
 エオル「ええ、放っておいていただいてかまいません」
 パウーモ「え……? そう言うなら……」

 そうだ、とミーワルは手をたたいた。
 ミーワル「よかったら天使様に会っていかないかい?」
 よしの「……天使様? あの、誰かが亡くなった時に飛んでくる……?」

 エオルは砂漠でラプリィと共に助けた天使のことを思い出した。

ミーワル「その天使様のずっと上の階級の天使様さ!」

 エオル「……天使、"様"の階級?」
 パウーモとミーワルはきょとんと顔を見合わせた。
 ミーワル「なんだい、天使様の階級について触れない宗派なのかい?」
 エオル("悪魔の階級"についてなら詳しいんですけど……)
 こんなところから説明なのか、とパウーモはヤレヤレと口を開いた。

 生き物が死んだときに魂を食べにやって来るのが一番下の"エンジェル"。
 通常は魂を食べたエンジェルは胎児に入り、それが胎児の魂となる。
 しかし、魂を食べる際、一つの魂を多くの天使が食べるため、魂を食べた天使と魂は1対1とはならない。

 つまり、胎児の数と天使の数も同等にはならない。
 胎児に宿れなかった天使はまた他の魂を食べる。
 そうしていつまでも胎児に宿れず、ただ魂を食べ続け肥大化した天使を、魂を食べた数に準じてさらに階級を上位のものとしている。

 エオル(――パウーモさんの話を要約するとこんな感じか……どこをどうしたら信仰の対象になるんだか……ぜんぜん理解できない)

 そうしてふとよしのに目を向けた。
 エオル(……よしのさんだったら理解できるんだろうなあ)

 よしの(……魂を食べる……た、大変失礼ですが……こ、怖い)  ←ドン引き

 ミーワルは目を輝かせた。

 ミーワル「ね! どうだい!? せっかくジパングからいらっしゃったんだし、ね?」
 よしの「……えっと……」
 エオル(あ、困ってる)
 ちょっとタンマ、とエオルの挙手が割って入った。
 エオル「あのー……明日とかでもいいですか? 疲れが残ってて……」
 気づかなくて悪かった、とミーワルの大きな笑い声が響いた。
 ミーワル「そうだよね! ごめんごめん! じゃあ明日の夜に」

 その一言に、エオルは違和感を感じた。天使は日光の下じゃないと活動できないという知識はあったからだ。
 エオル「……どうして夜に?」
 パウーモ「ほら、日中は活動してるだろ? この村の教会を寝床にしててさ、夜に休みにやってくるんだよ」
 日中以外、どのようにしているかなどという知識はなく、そういうものなのかと納得した。いや、せざるを得なかった。

 エオル「そうですか、ではせっかくなのでぜひ、明日の夜に」


        


 ◆


 夜も更け、村の明かりも消えた頃――

 雪に月明かりが反射して、仄明るい。

 外気を吸い込むと鼻の奥が痛い。

 吐く息は白すぎて、視界を邪魔する。

 小屋の裏庭に出たエオルは剣を抜き、静かに構えた。

 風の音しかない。

 目を閉じる、その瞼の奥には。

 山小屋の天井に届くんじゃないかというあの威圧感。

 タバコの煙。

 黒い坊主頭。

 鷹のような漆黒の鋭い瞳。

 不敵な笑み。


 エオルは頭の中を振り払うかのように剣を振った。

 だが、脳裏に焼き付いて離れないあの、――恐怖感。

 絶対的に力の及ばないあの、――無力感。


 しゃがみこみ、前髪をかきあげ、俯いた。
 エオル(ダメだ……完全に気持ちが折れてる……のがわかる……)

 こういうことを自分で気づいてしまうことほど、やっかいなものはない、とエオルは思った。

 辺りに静寂が立ち込めた。

 エオル「……んん?」

 こんな、誰もが寝静まる真夜中に雪を踏む音。しかも、一人や二人じゃない。
 ふと、エオルは小屋の影から村の広場に目をやった。

 村の人々が大勢出てきており、村の奥に集まっていった。

 エオル(こんな時間に……?)

 何の気なしに、気づかれないよう後を追った。

 人々が集まった先は村から少し外れた所にある他より大きめのログハウス。そのてっぺんには十字架の飾り。
 エオル(教会……ああ、礼拝ってやつか?)

 しんしんと、降り始めた雪がエオルの体を震わせた。
 エオル(寒っ!)
 そういえば、考え事をしながら外へ出たため、まともな上着すら着ていない。
 エオル(戻ろ……)


 ◆


 「おお……天使様……」
 「なんと神々しい」
 「神使教に幸あれ」
 教会の中は異様な熱気に包まれていた。

 その奥の暗がりで、蠢く巨大な影。

 影は口を開いた。

 「村人以外の匂いがする」

 わたし! わたし! とミーワルは嬉しそうに手を上げた。
 ミーワル「うちに! うちに今ジパング人様と、おつきの人がいるんですよ」

 影から、視線を感じた。

 「食べたい」

 ミーワル「え?」

 「ジパング人と、付き人の魂、食べたい」

 パウーモ「な!」

 ミーワルの口の端は吊り上った。



        


 ◆


 翌朝は少し吹雪いていた。

 ミーワル「おはよう! よく眠れたかい?」
 眠り眼を擦りながらエオルは眠たい体を起こした。
 エオル「あ……はい」

 隣のベッドのフィードは相変わらず大口を開けて寝ている。ミーワルに視線を戻すと、ニカッと眩しい笑顔が待っていた。
 ミーワル「朝ご飯できてるよ」

 ダイニングにはテーブルに座るよしのと三人分の料理。
 エオル「あれ? パウーモさんは?」
 ミーワル「今日はおとなり」
 エオル「きょうはおとなり……?」
 ミーワル「あの人僧侶でさ、ローテーションで村中の家に泊まりに行くのさ」
 どうやら村の聖職者は回覧板のように村中の家々に順番に止まる歩く風習らしい。
 エオル「あ、ああ! 僧侶だったんですね! パウーモさん」
 ミーワル「もう一人の子はまだ起きないのかい?」
 エオル「ええ、でももうじき目覚ましますよ。すみません、お世話になってしまって」

 水臭いな、とミーワルは笑った。

 ミーワル「何言ってんだい! 神使教徒同士じゃないか!」

 エオルとよしのは複雑そうな顔を見合わせた。


 ◆


 再び、暖炉の部屋。よしのはフィードの布団をかけ直した。

 よしの「大分顔色もよろしくなって参りましたね」
 エオルは荷物を漁りながら「うん」と簡単に相槌を打った。
 荷物から取り出したのは世界地図。何気に、ちゃっかり無事であったことにエオルは胸をなでおろした。
 エオル「ちょっと、ここがどの辺りなのか聞いてくるね」
 よしの(あ……そうでした……次どうするか、決めないといけませんよね……)

 エオルが部屋を出ようとしたとき、コンコンと窓を叩く音に、2人の視線は窓に向いた。

 窓から見えたその姿に、よしのは満面の笑顔で窓を開けた。
 よしの「パウーモ様! どうされました?」
 どこか急いた様子のパウーモは、ヨイショと窓から部屋に入りズカズカと部屋を進み、そしてフィードの顔を覗きこんだ。
 パウーモ「もう一人くんはー……まだ起きてないみたいね」

 エオル「ど……どうされました?」
 パウーモのひょうきんな顔は険しく引き締まっていた。

 パウーモ「あんたら、夜になる前に、誰にも見つからないように村を出な」

 よしの「え!?」
 エオル「……何か理由が……?」

 2人の視線から逃れるように、パウーモは視線を逸らした。
 パウーモ「……傾倒は人を盲目にする」

 よしの「けいとう?」
 エオル「盲目?」

 パウーモは暖炉の前に座り込んだ。その丸い背中は小さく見えた。ちらちらと揺れるオレンジの光を受ける、ぼんやりと虚ろな瞳は沈みきって淀んでいた。

 パウーモ「この村は、魔法圏から追われてきた人たちの集まりだ」
 エオル(魔法圏との対立……そりゃそっちだって、過激派とかって人たちが暴力を振るっているじゃあないか)

 パウーモ「この、食べ物もろくにない厳しい環境で"自分の信念しんこう"を通さざるをえない、みんなそんな状況に心が折れかけてた」

 その瞳は力なく暖炉を見つめたままだった。

 パウーモ「そんな時だ、天使様がやってきたのは」
 エオル(ん……?)
 パウーモ「村中が喜んだよ。天はこんな状況でも信仰し続けた我々を見ていてくださった、ってね」

 エオル「……天は見ていてくれたとか天使様とか、もしかして一般的な神使教とは違います?」

 そうではない、とパウーモは首を振った。
 パウーモ「初めは、そう、全くの"ジパング正教"よりだったんだ」
 エオル「えーと……」
 パウーモ「ん? ほら、"すべては神の思し召しだから受け入れろ"ってやつさ」
 エオル(ああ、俺が知ってる神使教のことか)

 パウーモ「それが、魔法圏からの迫害やこの厳しい環境から"パンゲア聖教"にみんなの考えが変わっていった」
 エオル「ええーと」
 パウーモ「いや、だから神は天から我々を見ていてくれて、信仰を続ける者を救ってくださるって考え方の神使教。パンゲア大陸の神使教徒たちの考え方がこれだ」
 エオル(い……いろいろあるんだ)

 パウーモ「宗派が変わっても、信仰心さえ変わらなければいい、そう思ってた」

 よしの「そう?」
 エオル「思っていた?」

 相変わらず暖炉を向いたままだったが、パウーモ自身はすでに暖炉を見つめてなどいなかった。

 パウーモ「立派な建物が欲しい、食べ物をたくさん貯めていて欲しい、……誰々の魂を食べたい」

 エオルは昨日見た村はずれの教会を思い出し、よしのは村中に点在する雪室を思い出した。

 パウーモ「みんなは、天使様の言うことを何でも叶えるようになっていった……天使様に気に入られたくってね」
 エオル「ちょっと……今、魂がどうとかって……」

 パウーモの瞼は固く閉じられた。

 エオル「いくら気に入られたいからってそんな……!」
 パウーモ「……悪気はないんだ、みんな。根底にあるのは"救ってほしい"って、ただそれだけなんだよ」

 エオル「……間違ってますよ……!」

 向けられたその笑顔は、諦めと悲しさが入り混じった悲痛な叫びにも似たものだった。

 パウーモ「何が正しくて何が間違いか、それを決めるのは"文化"だよ。あんたらの神使教と、この村の神使教は、"文化"が違う。それだけだ」

 "神使教"というものを、少しでも理解していれば、反論の一つでもできただろうに。エオルにはこれ以上反論の余地はなかった。よしのは胸の前で祈るように手を組んだ。あれこれ頭を巡らせる沈黙の後、エオルはこれ以上の意見をあきらめた。
 エオル「……それで、すぐここを出てけというのは……?」
 納得したか、とパウーモは頷いた。

 パウーモ「天使様があんたらの魂を食いたいと言っておった」

 よしの「私たち……!?」
 エオルは顔をしかめた。

 パウーモ「みんな天使様の言うことを聞くつもりだ!」
 そんなパウーモの様子をエオルは探るように見つめた。
 エオル「なぜそのような助言を? あなたもこの村の神使教徒でしょう?」

 次のパウーモの笑顔は、心の底からのものだというものが見て取れるものだった。
 パウーモ「"この村の"ではなくってさ、俺は"神使教"の神使教徒なんだよ」
 エオル「……言ってる意味がよく……」
 パウーモ「ハハハ! まあそのうちわかるって! まだまだ敬虔さが足んないよ! ……さ、早く支度を!」

 その時、ドアをノックする音が割って入った。ミーワルのようだ。

 エオル「うわ!」
 よしの「……ミーワル様……」

 ミーワル「ちょっといいかい?」

 パウーモ「やっべー! ミーワルさんだ! ちょっと俺、隠れるわ!」
 それだけ言い残し、パウーモはヒョイと窓から飛び出した。

 直後、ドアからミーワルが顔をのぞかせた。

 ミーワル「あれ! こんな寒いのに窓なんか開けちゃって!」
 慌てて窓を閉め、エオルは苦笑いした。
 エオル「冷たい空気吸い込めば、コイツも目覚ますかなと思って……」
 そうしてフィードに目をやった。
 いいことだね、とミーワルは笑った。
 ミーワル「そうかい。ところで、昨日話した天使様の件なんだけど」

 ギクリ。

 ミーワル「今晩でいいよね?」
 とりあえず、その場を取り繕うためだけの愛想笑いをして見せた。
 エオル「今晩ですね、お願いします」
 ミーワル「そうと決まれば! せっかくこの村に来たのも何かの縁! 宴をしようって話になっててさ!」
 宴を執り行う、つまり人が一カ所に集まるということだ。抜け出すには好都合の展開である。

 ミーワル「よしのちゃん、料理うまいから貸してくれないかい」

 まさかの申し出に、エオルの頭は真っ白に塗りつぶされた。
 エオル「え゛」

 何の気なしの、エオルにとって残酷な笑顔。
 ミーワル「いいだろう?」
 エオル「いや、それはちょっ……」

 よしの「はい! ぜひ!」

 何を言い出すのか、とエオルが止めようとした時だった。
 ミーワル「そうかい! じゃあ早速……」
 よしの「その前に、身支度をしたいので後からお伺いしても構いませんか? この服は大切なものなので」
 そうしてスカートの端をヒラヒラとさせてみせた。
 ミーワル「そうなのかい! じゃあ後で台所に来とくれよ」

 そうしてミーワルのいなくなった部屋で、エオルは何を考えているのかとよしのに確認したい視線を向けた。

 エオル「よ……よしのさん……?」
 漆黒の瞳は真っ直ぐと強い視線をエオルに向けた。

 よしの「私、あの方たちの目を覚まして差し上げたいです。自分たちのために他人を貶めるだなんて、神がお許しになるはずありませんと」

 エオル「……どうやって?」
 言われてその目をパチクリと瞬いた。
 よしの「それは……ええと……」

 エオルは大きなため息をついた。

 よしの「あう……す、すみません」
 エオル「あ、いや、今のはそういう嫌な意味じゃなくて」

 その視線はフィードに落とされていた。
 エオル「俺も、だんだんよしのさんのこと、わかってきた」
 よしの「え?」

 エオル「本当に目を覚ませるかはわからないけど、よしのさんの考えに乗った! どうしたらいいか、作戦立てよう」
 よしのは気恥ずかしそうに笑った。


 よしの「文化の違いとおっしゃっておりましたが、もともとはそうではなかったと思います。だって、あんなに良い方たちでいらっしゃいますもの」
 エオル「けどミーワルさんたちにとっては救いに等しい天使様のご意見だからねぇ……ただ、腑に落ちないのは"天使"って存在の位置付けだ。なんでそこまで傾倒するような存在なのか……魔法圏だと、天使はただのライフサイクルの一歯車に過ぎない」
 よしの「天使の位置付け……」

 パウーモ「それはねー」

 突然のその声に、エオルとよしのは飛び跳ねた。
 よしの(いつの間に……)
 エオル(バレた……!?)

 窓はいつの間にか開いていた。

 パウーモ「天使がいないと、新しい命は生まれない、つまり命を司る神のような存在、ようは無条件で奉るべき存在。ご理解いただけた?」
 そうしてにっこりと満面の笑顔を向けた。
 エオル「は……はい……」
 よしの「あの……」

 パウーモの瞳がよしのを捉えた。

 パウーモ「ジパング正教はもっと受け身だと思ってたけど、なんか魔法圏チックだな」

 ギクリ。

 エオル「どどどどこが……」
 パウーモ「いやさ、問題があって、それに対して"何かしよう"っとこがそれっぽいなと思って」
 思いもよらなかったと、当のよしのはキョトンとしていた。
 エオル「ええと、それはどうも」

 そんなエオルとよしのの様子に、何を思ってか、パウーモはクスリと笑った。

 パウーモ「で、どうしようって? 手伝えそうなら手伝うよ」
 エオル「いいんですか?」
 期待がこもりにこもったその言葉に、パウーモは口を尖らせた。
 パウーモ「手伝えそうならっていったじゃん」
 エオル「はは、そうですねー……ええと、」

 一呼吸おいて、エオルは真顔になった。

 エオル「天使って言葉を話すんですか?」
 パウーモ「……質問の意図は?」
 エオル「言葉を話し、死者を待たなくとも魂を手に入れる方法を思いついた。天使に……失礼ですけどそこまで知能があるとは思えない」
 興味深い意見だとパウーモは身を乗り出した。
 パウーモ「つまり、あれだ。天使を追い出せばみんな目を覚ますと?」
 エオル「あー……まあ、結論を言えば」
 パウーモ「歯切れが悪いね、何?」

 エオル「俺、パンゲア大陸出身なんですけど、いるんですよ」
 パウーモ「何が?」

 エオル「化けて騙す魔物ってやつが」

 無精ひげだらけの顎をじゃりじゃりとさすり、パウーモはなるほどと反芻するようにつぶやいた。
 エオル「まあ、まずはその天使様を拝みにいかないと始まらないけど」

 ニヤリと笑い、パウーモは腕組みした。
 パウーモ「それは、手伝えそうだね」

 エオル「あなた方の大切な天使様を疑ってるのに?」
 パウーモ「あれは天使かどうかは正直わからない」
 怪訝そうなエオルの顔を見ながら、パウーモが浮かべた笑みは自嘲的だった。

 パウーモ「たださ、俺はみんなと苦労してきてさ、なんて言うか、限界を感じちゃったんだよね」
 よしの「限界?」
 疲れたため息を一つ、そしてパウーモは天井を見上げた。
 パウーモ「説法ゆめげんじつは救えるって。でも、だめだった……みんな絶望の淵に立たされた。けど、あの本物かどうかわからない天使はどうだ? 一目でみんなの折れかけた心に希望をもたらした」

 エオル(……そっか……)
 よしのは唇をかんだ。

 パウーモ「でも、やっぱり違うよな。人の魂奪ってまで、救われようなんて、違う」
 そうして固く閉じた瞼の裏に映るのは、村のみんなが天使の要望を叶える様を、ただ見ることしかできなかった自分。

 ふと、手のひらに暖かいものが乗った。
 瞼を開くと、よしのが優しく手を重ね、複雑そうに微笑んでいた。

 よしの「人が何を差し置いても救われたいと願うのは、人が生ける物である証拠。間違っているなんてことはありませんよ」

 パウーモはよしのに向かい正座し、手を合わせて頭を下げた。

 パウーモ「……有り難きお言葉……」
 その声は震えていた。

 それらの様子を傍から見ていたエオルはこれまで感じたことのない、神々しさというものを感じていた。

 ――この人、すごい……!――


 よしの「そろそろミーワル様のところへ行かなくては」
 エオル「よろしく」
 パウーモ「お願いします」


 部屋を出てドアを閉じ、独りになると、よしのはコツンとドアに額を寄せた。

 あの、トランプの男が放った言葉が頭から離れなかった。

 "本名名乗れ言うてんねん!"


 よしの(私は……一体誰なの……?)


 「よしのちゃん? どうかした?」

 振り返ると、ミーワルが心配そうな顔つきで歩いて来ていた。

 これではいけない、とよしのは音を立てて両頬を叩いた。

 ミーワル「ど……どうしたんだい?」
 心配させてしまってごめんなさいなどと言いながら、よしのは笑ってみせた。
 よしの「部屋が暖かくて眠くなったみたいです。大丈夫ですわ」

 ――そうです、今は目の前のことだけを……!

 よしのはミーワルとともに台所に向かった。


        


 ◆


 ヴィンディア連峰"乗り越えた先の希望オーバーザスプレンタ"一合目。

 もくもくと歩みを進める真っ白の髪の男と、その遥か後ろをよたよたとよろけながら滝のような汗をかいているミルクティー色のベリーショートの少女。

 ラプリィ「ゼー……ちょ……ちょっと……」

 数歩先を行くヤクトミは振り向いた。
 ヤクトミ「休憩すっか?」
 その余裕綽々といった様子にラプリィはムッとした。
 ラプリィ「べ、別にそんなんじゃないわよ!」

 そうしてズカズカと早歩きでヤクトミを追い抜いた。

 面倒くさい奴だなと感じながら、ヤクトミはそれとなしに、独り言のように、ぼそりと呟いた。
 ヤクトミ「……俺疲れたから休憩したいな」
 その息は一つも切れてなどいなかった。

 途端に、振り返ったラプリィの目は輝き出した。
 ラプリィ「しょ、しょうがないわね!」

 2人は近くの岩に腰掛けた。ヤクトミはラプリィに水筒を投げ渡した。

 ヤクトミ「そう焦んなよ、先は長いんだから。早くつくことより、ペース配分考えて進まないともたねえぞ」

 偉そうに指示しないでよとラプリィはそっぽを向いた。
 ラプリィ「わかってるわよ! そんなこと! ところで、こんな軽装でいいわけ!? 山の上の方白いけど!」

 どこか懐かしむように、ヤクトミは笑った。
 ヤクトミ「ああ、平気だよ。俺、防寒用の魔法持ってるから」
 ラプリィ「あっそ! ならいいけど!」
 ヤクトミ(……本っ当にかわいくねぇ!)

 そうしてラプリィは再び白くなっている山の上のほうを見た。
 ラプリィ「フィードさんとエオルさんも、あそこを越えたんだよね……」
 ヤクトミ「多分な」
 ラプリィ「何日くらい前に越えたんだろうね」
 ヤクトミ「まあ2人とも魔導師だしな、普通の人間の三分の一くらいで行けるだろ」

 その言葉に、またまたラプリィはムッとした。
 ラプリィ「悪かったわね! 普通の人間で! あんた1人だったら三分の一で行けたんでしょうけど!」
 ヤクトミ「あ、いや……」(ええ〜! そこそうとるの!? 俺は一体どこまで気をつけて発言すりゃいいんだよ!)

 ラプリィ「でも」

 すくりと立ち上がり、小さな指先がヤクトミの鼻の頭を捉えた。

 ラプリィ「どんなに足手まといだろうが、フィードさんとエオルさんに会うためなら、あたしは死んでもあんたについて行くんだから!」

 何をいまさら、とヤクトミはため息をついた。
 ヤクトミ「……あのなあ! マジで足手まといと思ってたら、とっくに置いて行ってるよ」

 ラプリィ「……ほ、本当に……?」

 ヤクトミ「たりめぇだろ! シャンドラのダチは俺のダチだからな」
 ラプリィ「……私、あんたのお友達になったつもりはないけど?」
 ヤクトミ(おいーーーー!)

 ラプリィ「さ! あたしの不安が解消されたとこで、さっさと行くわよ!」

 そう言うとラプリィは軽快に山を登り始めた。

 その背中を見ながらどっと疲れを感じながら、ヤクトミの金色の瞳は山のてっぺんを見上げた。

 ヤクトミ(自然は魔物なんかの数百倍厄介だからな……どうあのじゃじゃ馬の手綱握って危険を回避しながら進むか……)

 あれこれ考え事をしながらヤクトミもまた歩を進めた。


        
        
        
KT … カイセツ(K)とツッコミ(T)
      またの名を
      カユイ(K)ところにテ(T)がとどく


      

p.1    ■ゼミ
       アカデミーでのゼミとは専門の格闘技を習うゼミとなります。
       たとえば
       ・キリスは両手剣専攻
       ・マリアは片手剣専攻
       ・ガルフィンは徒手格闘技専攻
       といった感じです。
       そのほかには飛び道具専攻とか、槍とか鞭とか、いろいろあります。

       
p.2    ■よしのの名前
       新たな謎が投下されました。
       染井よしのと聞いて、なぜトウジロウは本名じゃないとわかったのか。
       その理由は13話で明かされます。
       どうでもいいけど女だろうがイラッとしたら普通に怒鳴るトウジロウ(怖)
       沸点もかなり低いです。
       
       ■ののん
       関西弁の「の」と「のん」の使い方がいまいちわかっていません。
       だれかおせーて。
       
       ■タバコをポイとフィードの額の上に
       大変非常識なことなので、みなさんマネしないでね。
       

p.3    ■ばくはつ!
       粉塵爆発という現象があるそうです。
       これはそれのつもり。
       
       
p.6    ■あいつのしわざ
       ここで言うあいつとはフィードのことです。あしからず。
       

p.9    ■突然事情を話しだすパウーモ
       なんというご都合主義(笑)すんません。
       
       ■つまり、あれだ。
       パウーモ飛躍しすぎ(笑)
       ですが、これはパウーモが前々から思っていたことがつい出ちゃったって感じです。
       10ページ目のように、パウーモはもともと天使に不信感を抱いていたためです。
       

p.10   ■俺、防寒用の魔法持ってるから
       さらりと言っていますが、フィードたちの山越えの時にも話はでましたが、違法です。ヤクトミ自身もわかってます。
       ガルフィンがいたら絶対にしないし、言いませんが、まあ、ラプリィ相手なら別にいいだろうと考えているようです。
ラプリィ

       
       

       
       
       2010.2.27 KurimCoroque(栗ムコロッケ)
       2012.11.5(改)