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 ムー大陸中北部 マーフ国 北部の宿場町 キーテジ

 背後にそびえ立つ大連峰ヴィンディアから流れてくる灰色の雲が、ジリジリと照りつけるマーフ国の強烈な太陽を和らげて、僅かに過ごしやすくなった午後――

 「あちゃー……こりゃひどい」

 対魔導師犯罪警察組織"トランプ"は" 諜報軍クラブ 副将軍エース"リケ・ピスドローは思わずそのレンガ色の頭を掻いた。




―――― fact hunting追い詰められた事実 ――――




 ムー大陸南部から発生し、被害が北上している薬物事件。

 その調査で掴んだ容疑者"ギルティン"の足取りを、このキーテジの町まで掴み、更にその先に踏み込もうとした矢先だった。
 情報を得ようと向かったハンターズの裏ギルドは無残なまでの瓦礫と、その粉塵まみれであった。

 足元に散乱する瓦礫の一つにそっと手を添えた。
 リケ(微かに魔力が残ってる……)

 「何か用かい?」

 背後から不機嫌そうな男の声。振り向くと、そこにはバーテンダー姿の屈強な男が後ろに手を組み、リケを見下ろしていた。

 威圧的な一睨みなどものともせず、リケはにこりと笑顔を振りまいた。
 リケ「店長さんですかぁ?」

 男はリケの魔導師バッヂを目にし、更に不機嫌そうに睨みつけた。
 「そちらは魔導師先生かな?」

 その、刺々しい物言いに、リケは嫌な予感がした。


 ◆


 「……なに、ここ……」

 近くの建物の物陰から、リケの様子を見つめている二つの影。真っ白のふわふわの髪にオオカミの尻尾を生やした金の瞳の青年、ヤクトミ。ミルクティー色のベリーショートに猫の尻尾を生やした猫目の少女、ラプリィ。
 W・B・アライアンスの情報を掴もうとリケの後をつけていたヤクトミとラプリィは、平和なキーテジの街並みとは切り離されたかのような瓦礫の山を目の当たりにし、息を飲んだ。

 ラプリィ「何かあったのかな……」
 心配そうなラプリィとは裏腹に、ヤクトミはどこか安堵に似た期待感がこみ上げていた。
 ヤクトミ(爆弾か爆炎魔法くらいでしか、"あんなこと"ありえねえ……まさか、ホントにシャンドラ……!?)


        


 ◆


 リケ「うちの協会員が……それは大変申し訳ないことをしました……賠償はさせていただきます。どういう者でしたか?」
 男は思い出したくもないと苦々しい表情を浮かべた。
 「男2人に女1人の三人組だよ」

 それは、リケの想定と違っていた。考え込むように腕組みし、うつむきがちに、その視線はさまよった。
 リケ(三人組……けど、1人は女性か……)

 男は続けた。
 「1人は金髪の長髪で……まあ、常識人っぽかったが……」

 リケ「……金髪の長髪……」

 男はそうそうと頷いた。
 「耳が尖っていたから、エルフだな、ありゃ」

 リケ(……エオル・ラーセン……?)

 「もう一人のほうが一番凶暴でな、ここを"こんな"にしたのもそいつなんだが、こいつがまた特徴的な格好しててな」
 リケ「特徴的……!」
 男はさらに思い出したくもないと凍えるように両肘を抱えた。

 「銀髪にウサギみてぇな赤い目した黒づくめのやつさ」

 リケは息をのんだ。

 リケ(銀髪赤目! シャンドラ・スウェフィード! ……けど……)

 残り一人の女性というのは、いったい誰なのか。皆目見当もつかない。
 リケ「……もう1人は……?」
 男は記憶を辿るかのように顎に手を当て、中空を見つめた。
 「黒い髪の女……それ以外はあんまし印象に残っていない。大人しそうな女だったぜ」

 リケ(確かスペードに来たタレコミもW・B・アライアンスは三人組と……三人目はギルティンと仮定して動いてしまったけど……もしかして違う……?)
 そして、決定的な言葉が男の口から吐かれた。

 「そいつら、ギルティンとかいう男を探してて、」

 リケ(え!?)

 「どうもそいつとの間で、ほら、最近ここいらで流行ってる 魔薬ドラッグ、それで何かトラブったみたいでよ」
 リケ「トラブった?」
 「詳しくはわからんが……そいつら、この町の宿でもトラブル起こしてたみたいだぜ?」

 ギラリと光るグリーンの瞳を真っ直ぐと、リケは男を見上げた。
 リケ「……その宿の場所、ご存知だったりします? それと……」


 ◆


 リケが去ったのを確認し、ヤクトミとラプリィはそろそろと男の元へ近づいた。
 ヤクトミ「あの……すいません。ちょっとお尋ねしたいのですが……」
 振り向いた男は少し驚いたように目を見開くと、すぐさま仏頂面に戻った。
 「……何か用か」
 ヤクトミ「……多分先ほどの女性と同じことを尋ねると思うんですが……ここ、一体どうしたんです?」
 男は心底面倒くさいと、そっぽを向きながら素っ気なく答えた。
 「頭のおかしい魔導師にやられたんだよ」
 ヤクトミ「魔導師!? それってどんな、」
 「それと」
 男はヤクトミの言葉を遮った。

 「今の女からの伝言だ」


 "仕事の邪魔したら、採用担当に言い付けるわよ"


 ヤクトミ(そりゃねーぜ……)
 トボトボと背中を丸め、頭を抱えながら町を歩くヤクトミに、ラプリィのイラつきは頂点に達した。
 ヤクトミ「うおっ!?」
 突然、背中を思いきり蹴られ、ヤクトミはそのまま頭からすっ転んだ。
 ヤクトミ「イッテェ〜……何すんだよ!」
 ラプリィ「うっさいわね! さっき蹴った時なんて、ビクともしなかったくせにっ!」
 ヤクトミ「ハァ!?」
 ラプリィ「凹んでるその時間がもったいない!」
 ヤクトミ「や……人間落ち込むもんは落ち込むんだから、仕方ねぇだろ」

 ラプリィ「……んぎっ!」
 突然、ラプリィはうずくまった。

 ヤクトミ「は!? 何!」
 ラプリィ「足、痛……っうぅ〜」


        
        

 ――間――

 医者はしげしげとラプリィのふくらはぎを見ながら淡々と答えた。
 「つっただけですね」
 なんだよ、とヤクトミはガックリとへたり込んだ。
 ヤクトミ「ビビらすなよな……」
 当の本人、ラプリィは診察台の上でギャイギャイと騒いだ。
 ラプリィ「うっさいな! "つる"なんて生まれて初めてなんだからっ! ビックリするでしょ! 普通!」

 医者は首を捻った。
 「それにしてもおかしいね。獣人は筋肉の作りが僕らよりずっとしなやかだから、つるなんて凄く稀だと思うんだけど」
 ラプリィ「それは……」

 ラプリィは少しの間視線を落としたかと思うと、キッとヤクトミを睨みつけた。
 ラプリィ「コイツを力一杯蹴りつけてやらなきゃ気が済まなかったからよ!」
 ヤクトミ「あのな……」

 顎をさすりながら、医者の顔は微笑んでいた。
 「ご兄妹ですか?」

 どこをどうしたらそのように見えるのか、突拍子もない質問にヤクトミはキョトンとした。
 ヤクトミ「は……?」
 まさに"猫"なで声で、ラプリィは甘えるように医者の袖を引っ張った。
 ラプリィ「そうなんですぅ! お兄ちゃんが苛めるので助けてくださぁい」
 ヤクトミ(ヤロー……)

 次の医者の笑顔はどこか悲しそうに見えた。
 「家族が無病息災であることはとても幸せなことです。どちらもいがみ合ってばかりでは、いざというときに後悔しますよ」
 ラプリィ「ん?」
 ヤクトミ「……どういうことです?」

 医者の、ラプリィに向けたまなざしはどこか眩しげだった。
 「職業柄ね……先日も妹さんが亡くなった方がいましてね……そうそう、そのご兄妹を引き合わせたのが旅の魔導師様でして」
 ヤクトミ「魔導師?」
 医者は頷いた。
 「ええ、妹さんの身元が確認できずに困っていたところ、エルフの魔導師様が知り合いかもしれないと確認しにいらして、」
 ヤクトミ(エルフの魔導師……!?)

 「まるで自分の身内のよ、」
 ヤクトミ「その……!」
 いきなりヤクトミが大声を出したので、医者は少々驚いたようだった。そして、その次の言葉を待った。

 ヤクトミは生唾を飲み込んだ。

 ヤクトミ「……銀髪赤目の魔導師も……一緒じゃなかったですか……?」
 「おや、お知り合いですかな?」
 ラプリィ「え!」

 ヤクトミ(マジかよ……! こんな偶然!)

 「お兄さんをここまで連れてきてくださったのが、まさしくその銀髪赤目の魔導師様だったのですよ。しかしあの方、あの色素は……」
 ヤクトミ「……その魔導師たちはどちらに……?」
 医者は肩をすくめた。
 「さあ? そこまでは……まあ、旅人としてこの町に来られたからには、たいてい砂漠越えか山越えかのどちらかになりますけどね」
 ヤクトミ「どちらか……」
 すぐさま、その金色の瞳はラプリィに向いた。

 ――砂漠から来たから、山を越えたか……どうする……? この娘があんな山に耐えきれるとは……

 ラプリィ「じゃあ決まりね!」

 なんとなく、予測はついていたが、全く期待したくは無かったリアクション。ひとまず、ヤクトミはとぼけたふりをしようと考えた。
 ヤクトミ「……は?」
 ラプリィ「山! 何? あんた行きたくないんなら、あたし1人で行くからいいけど!」

 相変わらず、向こう見ずで何の確証もない強気な発言。幼馴染であるシャンドラをどこか彷彿とさせるが、決定的な違いは無力さ。ヤクトミはため息をついた。
 ヤクトミ「お前わかってんの? 表出て空見上げてみろよ」
 ラプリィ「見たわよ、さっき。でもね、あたしは行かなくちゃダメなの!」
 ヤクトミ「行って、……そもそも会ってどうすんだよ」
 ラプリィはヤクトミを見据えたまま、大きく息を吸った。

 ラプリィ「わかんないっ!」

 ヤクトミ「ハァッ!?」

 ラプリィ「けど会いたい! それじゃあダメなの!?」
 あまりのその勢いはテコでも動きそうにないことが見て取れた。ヤクトミはため息をついた。

 ヤクトミ(……こりゃ何言ってもダメそうだな……)


 ◆


 リケ(さて、期待のルーキーくんは諦めてくれたかな〜?)
 一つため息をつくと、次には仕事モード。リケは顔を引き締めた。

 ――マスター・ガルフィンのゼミ生、ヤクトミ・ヴルナス。シャンドラ・スウェフィードが学生時代に仲が良かった……お友達を連れ戻しにって可能性もあるわね〜……

 もしそうであるなら、はっきり言って捜査の邪魔だ。これで本当に諦めてくれたらよいのだが。
 リケ「さて、参ったな」

 裏ギルドの店主に言われた"宿でのトラブル"について早速調査した。
 トラブルの内容は大まかには次のような内容であることが分かった。

 【宿で勤務していた女性と薬物を取り合った末、薬物は女性の口に】
 リケ(W・B・アライランスは薬物を持っていた。つまりそれ以前にギルティンと接触があった)

 【しかし、その後女性の体調が悪化。たまたま出くわした宿泊客に見つかった】
 リケ(そして窓から逃げた。一緒にいた"黒髪の女性"を抱えて……)

 ――W・B・アライランスの三人目のメンバーは"黒髪の女性"……ではギルティンとの関係は……?――

 いろいろ考えを巡らせ、足を止めたのは先ほどの裏ギルド。やはり、裏の裏まで舐めた情報を得るには、ここが一番だ。

 瓦礫を集めていた店主の男はまた来たのかと迷惑そうに顔をしかめた。
 「今度はなんだ」
 対照的に、リケは愛想良くニコリと笑った。

 リケ「ギルティンという男を知っていますか?」

 一瞬、店主の口の端がピクリと動いたのを、リケは見逃さなかった。男はリケと目を合わせなかった。
 「もし知ってたとしても、我々には"話さないルール"がある。"ルールは一つ"……」

 リケ「"無関心"!」

 わかってるよ、とリケはニカリと明るく笑って見せた。
 リケ「でしょ?」
 「わかってんなら……」

 リケ「" 真空間サ・イルース"!」

 一瞬にして、リケと男の周りの音は全く無くなった。無音の世界。男は自分の耳がおかしくなったのではないかと何度も耳を叩いた。
 そのような男の様子とは正反対に、リケは馴れたように紙とペンを取り出し、サラサラとペンを走らせた。

 "先ほどの質問を答えて。周りにも私にも、今は聞こえないから"

 男はこのまま音を聞こえなくされては困るとしぶしぶ、自分の声が聞こえないというのはフワフワとしたなんとも形容しがたい不思議な感覚だったが、知っていることをパクパクと"話した"。
 リケ「 魔法分解ウス・ウリアス」

 まるで何事もなかったかのように建物の向こうの雑踏が耳に戻った。周りに音が戻ったのだ。男はその感覚を確かめるように何度も耳をさすっていた。
 これもまた男とは正反対に、淡々と、リケは機械的ににこりと笑い、謝礼を渡した。
 リケ「ありがとう」

 裏ギルドを後にして表通りに出る一歩前の路地で、リケは壁に寄りかかり腕を組み、片手を頬にあてた。

 リケ(ギルティンは先日までの数日、裏ギルドでいろいろな者に薬を渡していた。渡し方は自分で直接というのと、町で雇った適当な男を使ったもの。しかし、宿でW・B・アライランスが騒動を起こしたのと同じタイミングで町から姿を消した。行き先はわからない……と。読唇術には自信あるから間違いはないはずだけど、いまいちギルティンとW・B・アライランスとの関係性がハッキリしない)

 ふと、別の切り口で考えてみるという道が頭をよぎった。
 リケ「……2つは切り離して考えるべき……?」





        


 ◆


 パンゲア大陸 ヴァルハラ帝国 グラブ・ダブ・ドリッブ魔導師協会管轄地区  対魔導師犯罪警察組織トランプ本部

  対魔導師犯罪第一軍スペード将軍キングの執務室にノックの音が響いた。
 窓辺に腰掛け、肉まんを頬張りながら書類に目を通していたシェンは口をもごもごさせながら答えた。
 シェン「ふぁいよ」
 ノックの主は秘書だった。
 秘書「失礼します。クラブのエースがご報告があると」
 シェン「んー!」

 リケ「失礼します」
 いつもの屈託のない笑顔で、シェンは書類から顔を上げた。
 シェン「お疲れさん、リケ」
 滅相もない、とリケは頭を下げた。その拍子にレンガ色の髪からサラサラと砂が落ちた。
 リケ「あ! 申し訳……」
 その慌てふためきように、シェンはゲラゲラと笑い声をあげた。
 シェン「んな急がなくても、シャワーくらい浴びたってバチ当たんねぇって!」
 リケ「いえ、またすぐに戻りますので……」
 肉まんの最後の一欠けらを口に放り込み、シェンはニヤリと笑った。
 シェン「中間報告ってことね」

 窓際の椅子いリケを促し、シェン自身も部屋の隅の椅子を引っ張って腰かけた。

 リケ「物的証拠はありません。あくまで聞き込みによる状況証拠です」
 シェン「OK、どーぞ」

 そうして主観を抜いた、人々の話した内容のみをシェンに伝えた。

 シェン「……んー、いまいちギルティンとW・B・アライランスの繋がりが見えないなァ」
 リケ「やはりそうお思いになりますか」

 シェンは腕に重ね付けしている皮や木などのバングルをクルクルと回した。
 しばらくの間、沈黙が流れた。

 そして、シェンは手を止め、突然笑い出した。

 シェン「アハハ! こりゃ スペードウチの"とりあえず行ってみる"作戦は失敗だなあ!」
 リケ「タレコミを信じてとりあえず行ってみるってやつですか?」
 シェン「ハハ! そうそう! まぁ、いい感じにW・B・アライランスには出くわしたらしいし」
 リケ「捕まえたのですか!?」

 シェンは足を組んで背もたれに肘を乗せた。

 シェン「や、まだ追ってる途中。ほんとに三人なのかも不明」
 リケ「出くわしたのに三人なのかも不明なのですか?」

 シェンは苦々しく笑って何度か頷いた。リケはその表情で状況を理解した。

 リケ(トウジロウさん、部下とうまくいってないのか……)

 この話はこれで終了と、逸れた話を軌道修正するように、シェンは笑った。

 シェン「とりあえずキーテジの人たちが知ってる内容はわかったよ。問題はその先だな」
 リケは頷いた。
 リケ「ギルティンとW・B・アライランスは切り離し、捜査対象をギルティンに絞ります。本当に関係があれば、いずれW・B・アライランスにも行きつくでしょう」
 シェン「うん」
 リケ「これからの方針ですが、キーテジに来たということはヴィンディア連峰越え目的と仮定し、キーテジ登山道からのルートで行きつく、大きめの町を中心に当たって行こうと考えています」
 シェン「任せる。ただ、町だけでなく、通行量の多いとことかにも気を配っておいて」
 リケ「ええ、そのつもりでいます。ではそろそろ」

 リケは疲れた様子で椅子から立ち上がった。
 シェン「……一息ついてけよ?」
 その一言に、なんのと疲れた顔が引っ込んだ。
 リケ「一刻を争いますから」

 いつになく真面目な顔でシェンはリケを見つめた。

 シェン「そんなとこ悪いけど、体調管理も仕事のうちだぞ。責任感てのはそれからでいいんだよ」
 青いなとリケはニヤリと笑った。
 リケ「お若いですね」
 シェンはキョトンとした。
 リケ「理想論ですよ。現実はそうもいきません。こうしている間にも薬物汚染は広がっていますし、頑張ってくれてる部下たちの諜報活動の事務処理は溜まっていきます。私だけ休むわけにも行かないでしょう?」
 シェンはため息をついた。

 シェン「それさ、自分何のために働いてんだろとか、思わない?」

 リケ「お気遣いありがとうございます。でもねスペードのキング、それは仕事が好きで、その好きな仕事を全力で一生懸命やってたら、行き着かない考えなんですよ。充実ってやつです」
 そうしてニカリとシェンに劣らない屈託ない笑顔で執務室を後にした。

 一人になった部屋で、シェンはポリポリと頭をかいた。

 シェン(間違ったことは言ってないと思うけど……おれじゃリケに説得力ないな……)

 その灰色の瞳は閉じたドアへと向いた。

 シェン「"クラブのキング"様はどこで何やってんのかねぇ」




        


 ◆


 ムー大陸北部 ヴィンディア連峰

 猛吹雪も止み、膝まであった雪もまばらになり、大岩の群れの9合目と森林広がる8合目の間――

 エオルはふと背後を見上げた。

 重たい雲が頂上付近を隠している。

 エオル「完全に悪天候は抜けたっぽいね」
 前を歩くフィードはニヤリと笑った。
 フィード「後は下りだけだな」
 エオル「……よしのさん、大丈夫? 疲れてない?」

 エオルの隣を歩いていたよしのはにこりと笑った。
 よしの「はい」

 その笑顔に、エオルとフィードは同時に同じことを思った。
 (……この人意外に頑丈だ……)
 
 気圧の変化や薄まった酸素などで普通の人間なら体調を崩してもおかしくはないくらいの標高だが、よしのは変わらずピンピンしていた。

 フィード「まあいい」

 フィードは自分の黒いコートをよしのの頭に放り投げた。
 よしの「びっくりした!」
 エオル「ごめん、これだけ天候がいいと条件が"悪すぎる"んだ」
 あたりは大岩がまばらとなり、8合目からの森林まではまだ距離がある。
 エオル「追っ手に見つかりやすくなるからね」
 よしのは口をキュッと真一文字に結んで頷くと、コートのフードを目深に被った。




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 『居ました! 大分ポイントからはずれていますが、エオル・ラーセンと……シャンドラ・スウェフィードを確認! それと、もう一人……黒い布を被っているので身なりはわかりませんが……』

 
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 風魔法での部下からの交信。

 対魔導師犯罪警察組織トランプ 対魔導師犯罪第一軍スペード W・B・アライランス捜査隊 陣営。
 テント内でヴィンディア連峰キーテジ登山道の地図を広げた机の上に長い足を乗せ、椅子にもたれかかっている交信相手の男――捜査隊隊長 スペードの副将軍エース 市松桃次郎。

 ターゲットを発見したということさえ分かれば他はどうでもよいことなのに、いちいち詳細を伝えようとしてくる部下にイライラしながら、トウジロウはようやく口を開いた。
 トウジロウ「どいつがどいつやろが別にええねん、サッサとポイントに追い込めや」

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 (なんだよ、ジパング人のくせに)
 『……了解』

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 険悪な雰囲気で交信は切れた。

 トウジロウの後ろで、やりとりを黙って聴いていた秘書官リシュリューは重苦しく口を開いた。
 リシュリュー「……エース」
 トウジロウ「仕事に私情持ち込むなんぞ新人以下や。どいつもこいつも使われへん」
 リシュリュー「エース!」
 あまりの傍若無人ぶりに、ついにリシュリューは声を荒げた。

 トウジロウ「やっかまし……なんや!」
 リシュリュー「お分かりですか?! 今のチームの空気! これじゃキングがトランプにいらっしゃる前と同じではないですか」
 地雷を踏む気持ちで訴えかけたその言葉に、全く悪びる様子もなく返ってきた返答はこうだった。
 トウジロウ「言われらせーやなァ」
 その言葉からは、微塵も関心というものが伝わってこなかった。

 リシュリュー「キングの意図を汲んでください!」
 トウジロウ「意図もクソも、エース出動レベルやからオレが出た、必要やから部下もつけた、それだけやろが」
 リシュリュー「本当にそれだけでしたら、私がここにいる必要もないでしょう!?」

 流れを分断するようにフーと煙を吹き出し、タバコをぽとりと落とすと、ゲタの歯でグリグリと火をもみ消した。

 トウジロウ「原因はなんや?」
 リシュリュー「えっ?」
 トウジロウ「"この空気"なっとる原因や」
 リシュリュー「……それは……」
 トウジロウ「なんや、答えられんのんかい」
 リシュリューは恨めしそうにトウジロウを睨みつけた。

 トウジロウはニヤリと笑った。

 トウジロウ「同じ問いをな、 大将キングにもしてん、二年前」
 リシュリュー「……存じております、私もその場にいましたから」
 トウジロウ「大将も答えられへんやったなぁ」
 リシュリュー「……そうでしたね。ですが答えられなかったのではなく、答えなかったのですよ、あれは」
 トウジロウ「代わりに答えたろか?」
 リシュリュー「……エース」
 そうして自嘲的にニヤリと笑った。

 トウジロウ「俺がジパング人やからや」

 青い瞳は悲しそうにトウジロウを見つめた。
 リシュリュー「あなたがなんとかしようと努力してきたことは存じております。でも、その努力の方向が間違っているんです! 同じジパング人であっても、ハートのキングにはちゃんと……」

 激しい音を立てて蹴り上げられた机は一瞬宙に浮き、グワングワンとしばらく音を立てて左右に揺れた。

 トウジロウ「……次はあれへんで」
 すぐにでもこぶしを振り上げられそうな空気に気圧されながらも、リシュリューはかまわず続けた。
 リシュリュー「ハートのキングと比較したわけではありません。あなたはご自分の生まれのせいにしすぎだと言いたいだけです」

 雷のような怒鳴り声がリシュリューの耳をつんざいた。
 トウジロウ「聞こえへんのか? 黙れ言うてんねや!」

 負けじとリシュリューも再び声を荒げた。
 リシュリュー「いいえっ! あなたのためにもスペードのためにも、黙るわけにはいきません!」

 ついに痺れを切らしたか、トウジロウはゆっくりと椅子から立ち上がった。
 トウジロウ「……ならホンマに黙らすしかあれへんなぁ」

 リシュリュー「な……!」


        


 ◆


 「全く、なんなんだよ、あのクソジパング人め!」

 「本当、"結果が全て"って感じがやな感じだ!」

 「ま、クビにされたくないから大人しく従うしかないけどさあ!」

 山道を獣のようなスピードで走る3つの影。

 「仕掛けるぞ!」

 岩の森から視界が開ける直前で、三つの影は別々に散った。


 ◆


 突然、前を歩くフィードは足を止めた。同時に、エオルも足を止め背中の剣に手を伸ばした。
 エオル「……来たね」
 返事の代わりに、フィードはニヤリと笑った。

 「 かまいたちラス・イルト!」

 よしの「きゃ!」
 何の前触れもなく巻き起こった激しい突風。併せて周囲の岩や地面が音を立てて抉れた。
 エオル「よしのさん!」
 よしの「だ、大丈夫です。驚いただけで……」

 フィードは辺りを見回した。岩陰に隠れているのか、敵の姿は見えない。ちょうどいい、とその目は爛々と輝き始めた。

 フィード「暴れるぞ」
 エオル「へっ!?」

 低い轟音とともに肺に響くほど空気が震え、フィードの両手から勢いよく炎が噴出した。その炎に照らされ、満ちる悪魔のような笑み。

 ――魔法拳・ 小爆炎グラン・デ――

 フィードは空高く飛び上がるとそのまま近くの大岩に拳をねじ込んだ。

 大岩は鼓膜が破けそうな破裂音とともに粉々に砕け散った。その陰から、トランプの制服を着た男が一人、白目を向いてドサリと仰向けに倒れた。

 別の物陰から、その様子を覗く鋭い瞳。
 (あんな近くであんな爆音……そりゃあひっくり返りもするぜ……)

 キィンと耳なりが止まず、エオルが何か言っていたが、よしのは全く聞こえなかった。
 エオル(ああもう! よしのさんも聞こえてない! 魔法は暴れるためのもんじゃないでしょ、あいつは、もう!)

 ふと足元に落ちる影。背後から、巨大な斧が襲いかかった。

 刃物のぶつかる空気の振動で、敵が背後にいることに気付いたよしのは反射的に後ろを振り返りかけたが、慌ててフードを握り締め、俯いた。

 ギリギリと刃物と刃物が拮抗する。
 エオル(あっぶな〜! 一瞬反応遅れた! 耳が使えないせいじゃんか! もー!)
 巨大な斧は激しい摩擦音を立ててエオルの剣を振り払い、距離を取った。

 ――こいつ……耳が使えないせいで一瞬反応が遅れたな……! だが、――

 (それは俺も同じか……!)
 エオル(それは向こうも同じ……!)

 剣を握る手に感覚がない。手がビリビリと痺れているのを感じた。
 エオル(斧か……この剣だと厳しいなぁ)
 気を落ち着けるようにため息をつくと、エオルは小さく「前言撤回」と呟いた。

 その口から紡がれる呪文の粒に呼応して、空気中の水分が繋がり、水滴となり、エオルの剣に集まり始めた。トランプ隊員は、持っていた巨大な斧を軽々と肩に担ぎ、ニヤリと笑った。
 「魔法剣か」
 エオルは剣を振りかざした。

 そのトランプ隊員が間一髪避けた、その後ろの大岩は真っ二つとなった。トランプ隊員は目を見張り、感嘆の声をあげた。
 「若い割に随分精度がいいな」
 エオルは剣を構え直した。斧を持つトランプ隊員は黒いコートを被ったよしのに目を向けた。
 (やつがギルティンか? 大男と聞いてるが……随分小柄だな……)
 よそ見をしている、これは攻め込む絶好のチャンスだとエオルはトランプ隊員に飛びかかった。

 まばたきする間もなく刃物と刃物が火花をあげて離れては交差する。
 「魔法剣も確かなら剣の腕も確か! 勿体ねぇなあ!」
 すぐに、エオルは目の前で交わる斧に違和感を感じていた。あの大岩は両断できて、なぜこの男の斧はビクともしないのかと。
 エオル(……あれ……?)




 フィード「……ん?」

 「よそ見は禁物!」

 エオルの戦いの様子を見ていたフィードはその声に振り返った。振り返った先のトランプ隊員は笑っていた。
 「いい目だね」
 そのトランプ隊員の手から放たれた円盤のようなものを、フィードは軽々とよけた。
 フィード「遅ぇ!」

 その時だった。

 フィード「ぬおっ!?」

 円盤の端から数本の光の槍が飛び出し、そのうちの数本がフィードをかすめた。フィードはヨロリとわき腹を押さえた。抑えた指の間から、真っ赤な血が流れだした。円盤はクルクルと回転しながら、持ち主の手中に収まった。
 まさか、とフィードは苦笑した。

 フィード「魔導師専用道具……じゃあねぇな」
 トランプ隊員は笑いながら指の上で円盤をクルクルと回していた。

 「ご名答」


        




 ――アーティファクト『ヴィジャヤ』!――

 「こいつは熱を操る」
 男は再び円盤を投げた。同時にフィードも呪文を唱え始めた。

 円盤はフィードの周りをぐるりと一回りすると、その軌跡を追うように炎が噴き出した。
 フィード「ぅあっぢ……!」

 「ハハハ! 炎が熱いなんて、初めてか? "爆炎魔法学科の問題児"くん」
 熱風を一息でも吸えば気道が焼け爛れる。フィードは口元を袖で抑えながら、ギロリと円盤のトランプ隊員を睨みつけた。
 フィード(こりゃ初めに1人倒しといてよかったな)
 まるでその考えを見透かされたかのようなタイミングで、そのトランプ隊員はわざとらしく「おっと」と声を上げると、初めにフィードに倒されたトランプ隊員に向けて手をかざした。

 「 強制覚醒クァル・ウェル」

 フィード「げ!」

 倒れていたトランプ隊員は頭を抱え、むくりと体を起こした。それを確認し、次にフィードの表情をニヤニヤと見つめ、指でクルクルと円盤を回しながら、トランプ隊員は腰に手を当てた。
 「前回お前らの相手した奴らの話から、お前ら先制がお得意だってこと、わかってっから」

 起き上がったトランプの隊員が後ろから付け加えた。
 「チームに治癒魔法のやつを配置した。有り難く思いな! 新人ごときにこんな構成豪華すぎだぜ」

 苦しい表情を浮かべていたフィードはコロリとその表情を不敵な笑みに変えた。
 フィード「本当光栄なオモテナシだな! オマケにアーティファクト持ちが……"2人"もか……!」


 エオル「フィード!」
 フィードを囲う炎が目の端に入り、エオルは"危うく"後ろを振り返りかけた。

 一瞬のすきを狙う、そのエオルの頭上には斧の首。エオルは寸でのところで剣を盾に翳したが、
 エオル(競り負け……るっ!)
 その時、あることに気が付いた。

 刃と刃が触れ合っている部分から、エオルの魔法剣の力が無くなり、剣が刃こぼれを起こしている。

 エオル「ん……!?」
 そのエオルの表情にトランプ隊員はニヤリと笑った。

 「アーティファクト・『スラーンドの斧』。能力は"精霊の粉砕"――つまり?」

 エオルは目を大きく見開いた。
 エオル「……魔法の無効化!?」

 次の瞬間、エオルの胸から盛大に鮮血が舞った。
 よしの「エオル様!」

 「ハハハ! まさに"魔法を切り裂く斧"! どうだ! 優等生く………ん?」
 何かに気づいたように、トランプ隊員はふとエオルから視線を外した。

 円盤のトランプ隊員も、起きたトランプ隊員も、ある一点を見つめた。



 ◆



 トウジロウ「ほんなら、黙らすしかあれへんようやな」
 リシュリュー「何を……!」

 『はあい☆』

 突然、風魔法による通信が作戦室に響いた。それはいつもの聞き慣れた声だった。

 リシュリュー「キング!」

 シェン『調子はど〜う?』

 トウジロウ「……何や」

 シェン『機嫌わるっ! お前リシュリュービビらすなよな〜!」

 トウジロウは中空を睨みつけた。対照的にシェンの声はおどけていた。

 シェン『あ、今めっちゃ睨んでるっしょ!?』

 アハハ〜とシェンの無邪気な笑い声が響いた。
 トウジロウ「……用件は?」
 次に聞こえた声のトーンは低かった。

 シェン『リケから新情報! W・B・アライランスの3人目のメンバーについて、ギルティンである可能性が低くなった』

 リシュリュー「え!?」
 トウジロウ「……根拠は?」

 シェン『目撃情報! 誰も彼も3人目は女の子だってさ』

 思いがけぬ情報に、トウジロウは思わずイスから立ち上がった。
 トウジロウ「女ぁ!? どんな?」
 シェンは淡々と答えた。

 シェン『"黒い髪の変わった格好"の女の子らしい』

 盛大に舌打ちし、トウジロウは苦い顔をした。
 トウジロウ「黒い髪なんぞなんぼでもおるやんけ……変わった格好いうのは?」

 シェン『民族衣装ぽいけど、どこのものかはわからないらしい』

 おもむろに煙草を箱から取り出しトウジロウは考え込むように静かに咥えた。次に聞こえたシェンの声のトーンはいつもの高いものだった。

 シェン『参考になったー?』

 トウジロウ「ならへん」

 シェン『あそ』

 これまでとは打って変わり、落ち着き払った様子で、トウジロウは煙草に火をつけた。
 トウジロウ「一つわかったことは、」
 リシュリューは眉間を抑えた。

 トウジロウ「この"とりあえず作戦"は失敗やったいうことやな。この部隊を"エース出動レベル"から下げて今動いてるやつらに任すわ。ギルティンは別で追う」
 ところが、どういう意図か、シェンから聞こえたのはため息だった。

 シェン『まあ、せっかくだから一回戻って体制立て直そう。ちなみにそれは、今の部隊の任務が終わってからな。隊長はお前なんだから、最後までやれよ』

 何を言っているんだ、この上司は、とトウジロウは小さく舌打ちした。
 トウジロウ「焦らなあかんやろ」

 シェン『リケが調べてる。スペードうちは手がかり失ったんだ。無駄に動くより、目の前の仕事をついでに片付けたほうが効率いいじゃん』

 トウジロウ「はぁ!? 異議ありや!」
 ほとんどトウジロウの言葉を遮るようにシェンは間髪入れずに返した。

 シェン『ダーメ! 認めない。リシュリュー! よろしくね』

 リシュリュー「かしこまりました、スペードのキング」
 通信は切られた。なおも中空を睨みつけるトウジロウ。場に少しの間沈黙が流れた。

 リシュリュー「さて、"キングの意図"を再確認したところで……」
 トウジロウ「……自分らトランプの仕事を何や思てんねん、なぁ!?」
 大きく息を吸い、リシュリューはトウジロウを真っ直ぐ見上げた。
 リシュリュー「全ては効率化のためですよ。ハッキリ申し上げますが、あなたと隊員たちの関係が枷になっているんです!」
 トウジロウはただただ苦々しい表情を浮かべ煙草を噛みしめた。リシュリューは険しい表情で締めくくった。
 リシュリュー「他に異議が?」
 当てつけのように、トウジロウは煙草を乱暴に投げ捨てた。

 トウジロウ「……さっさととっつかまえて、戻る」


        


 ◆


 「お、女……?!」

 隊員たちのポカンとした視線が集まる先――よしのは涙でいっぱいの目で、エオルの血が滴る斧を持ったトランプ隊員を睨みつけた。


 ――これは、白ゴリラさんたちのときの、あのヘドロのような気持ちとは違う――まだ、護れる!!――


 あれほど言ったろうが、とフィードは舌打ちした。
 フィード(あんのアホ!)


 「目が、黒い……え? ジパング人……?」


 注目を逸らすように、突然の大きな熱気。一気にオレンジに照らされた周囲。次の瞬間、意識が吹っ飛ぶかと思うような爆音とともに揺れる地面。
 フィードは魔法で自分の周囲の地面を吹き飛ばし、炎をかき消した。

 「やるね……!」

 目の前のトランプ隊員などまるで目に入っていないようだった。フィードはよしのの元へ駆け出した。
 すかさず、円盤がフィードのこめかみを襲う。フィードは自分の顔の横に、円盤に向け手のひらを滑り込ませた。

 フィード「低・爆炎破ニアフ・グレ・ネルド」


 円盤は爆発で吹き飛び、勢いを失ってカラカラと地面に転がった。
 立ち込める白煙。
 次の瞬間、その煙の中から、大きな影がフィードに飛びかかった。最後に起こされたトランプ隊員だった。

 フィード「ぐへっ!」

 ズザァと音を立て、フィードは馬乗りに右手をひねりあげられ、取り押さえられてしまった。
 フィード「重てぇな! 畜生! どけよ!」
 うるさいな、とフィードの右手はさらにひねりあげられた。食いしばる歯の間から、うめき声が漏れた。





 そよそよと流れる風はやがてよしのの周りに集まり、白い光を放ち始めた。エオルは息をするのも精一杯という蚊の鳴くような声で口を開いた。
 エオル「よしのさ……にげ……」
 よしの「お守りします……! 今度は、生半可な気持ちではありません!」

 光と共に、よしのの周りに5つの宝珠が浮かび上がった。

 「何だ……!?」
 トランプ隊員は思わず斧を構えた。


 よしの「ボウイサナ!」


 どこからともなく、しぶきが顔にかかる。その場の一同が、よしのの遥か頭上を見上げた。

 しぶきとしぶきが集まり、それはやがて巨大な龍の形を作った。さらにしぶきが龍に集まると、龍は巨大なクジラの形となった。


 ボウイサナ――爆流攻!――


 強烈な鉄砲水は一瞬のうちにトランプの隊員たちを飲み込んだ。

 よしの「せんゆ!」
 ボウイサナが青い宝珠に戻ると、黄緑色の宝珠が輝き出した。
 黄緑色の光の中から小さな狛犬が飛び出し、すぐさまエオルの傷をなめ始めた。傷はみるみるうちにふさがった。

 服を払いながらフィードは立ち上がった。
 よしの「フィード様も!」
 フィード「いや、かすり傷だ。それより、さっさとずらかるぞ!」

 フィードが言い終わる前にすでにエオルはよしのを担いでいた。


 ◆


 「痛え〜……」
 「なんだったんだ」
 「俺のアーティファクトでもどうにもならなかったぞ……」

 トランプの隊員たちはびしょ濡れになりながら、むくりと起き上がり、辺りを確認した。
 鉄砲水と一緒に、だいぶ山を下ってしまったらしい。さっきまでいたところがかなり小さくなっていた。
 そして、三人が三人、同時に同じことを考えた。よぎるは漆黒の鋭い眼光。

 ――このままではまずい!――

 「除隊になってたまるかよ!」
 三人は先ほどの戦闘地帯へ急いだ。


 肩で息をしながら、たどり着いたそこには真新しい血痕。
 「エオル・ラーセンの血痕! これを追っていけば……!」

 しかし不思議なことに、あれだけの出血をしたというのに血だまり以外に血痕のひとつも残っていない。

 「この短時間で手当てを……!?」
 「まさか! あれだけの出血だぞ! 治癒魔法じゃなければ無理だ」
 「グダグダ言っててもしかたない! とにかく探そう!」

 その時だった。遠くから聞こえた爆発音。血相を変えかけていた三人は肩をすくめた。


        


 ◆

 エオル「フィード! トランプのやつらに居場所教えるようなもんでしょー!?」
 フィード「うっせーな! もうバレてんだから同じだろ!?」

 「待てーーっ!」

 一行は先ほどとは別のトランプのチームと鉢合わせ、出会い頭にフィードが爆炎魔法を放ち、ひるんだ隙に逃げているところであった。

 エオル「……なんか……トランプの方々が徐々に集合なさってるような……」

 空に飛びかかるような、ワーワーという男たちの怒号。徐々にそれは増え、そしてそれは後ろだけでなく、横からも、そして前からも聞こえ始めた。

 エオル「もうだーめーだー!」
 フィード「おい! とりあえずあの山小屋に逃げ込むぞ!」

 その視線の先には小さな山小屋。

 エオル「何言ってんの! 袋のネズミだよ!?」
 フィード「このまま行ってもな」
 エオルは重苦しいため息をついた。


 山小屋内――じんめりとかび臭い、年季の入ったログハウス。入り込んだ途端、エオルは堰を切ったように突っ伏した。
 エオル「終わりだ……何もかも……」
 よしのは小屋の隅に積み上げられた非常食か何かの詰まった麻袋を積み上げた上に腰掛けた。
 よしの「……申し訳ありません……出過ぎた真似を……」
 エオル「いや、……まさかアーティファクトがあんなトンデモ兵器だとは思わなかったし……正直助かったよ」
 フィード「まぁ、いずれはバレるもんだろーしな」
 エオル「切り替え早っ!」
 その恨めしそうな視線は窓際で外の様子を窺うフィードに向けられた。その視線に、向けられた本人も気づいたようだった。
 フィード「そんなもんだろ。いつまでもウジウジ立ち止まってても世の中に抜き去られるだけだぜ。時間は流れてんだ」
 エオル「すんませんね……っていっても、どうすんのさ! もう完全に取り囲まれてるよ!」
 そのエオルの慌てようを、フィードはニヤリと鼻で笑った。
 フィード「ヤツらにとって、身元不明のよしのがいる限り、少なくともこの小屋にデカい魔法ぶち込むこたぁねぇ」
 エオル「うん」
 フィード「後は……どう逃げるかだなあ」
 エオル「うん。それを今相談持ちかけたつもりだったんだけど」

 フィード「籠城だな。食いもんあるし」
 差された人差し指の先には、よしのが腰掛けている麻袋。食べ物だったのか、とよしのは慌てて立ち上がった。
 エオルは麻袋の表示を覗き込んだ。

 エオル「小麦粉……多分山越えで荷物減らすために置いてったんだろうね……でも君、絶対「こんなもん食えるかっ!」って言うと思うよ、3秒で」
 フィード「んなこたねぇ! 俺様はいざとなったら何でも食えるくらいハングリー精神……」
 エオル「はいはい」
 フィード「最後まで聞けー!」

 ふと、エオルは俯いた。

 エオル「君とのこんなやり取りも……多分最後だよね」
 フィード「はぁ?」
 エオル「だってそうでしょ……窓の外見えてるよね?」
 フィードは窓の外に目をやった。

 エオル「よしのさん、ごめん。君をジパングに送ってやれなくて」
 よしの「エオル様……」
 きゅっと眉間にしわを寄せ、よしのはエオルの前に立った。

 よしの「私、以前、落ち込むのもエオル様らしさだと申し上げました」
 その唐突なよしのの言葉にエオルはきょとんとした。
 エオル「え? うん……」
 よしの「でも、今は違いますわ! それは落ち込みでもなんでもありません、ただの諦めでございます! 諦めのその先に、何か得られるものがございましょうか!? 今のエオル様はエオル様らしくありません!」

 視線は窓の外に向けたまま、フィードはよしのの剣幕にニヤニヤと笑っていた。
 フィード「あーあー、怒られてやんの」
 我に返ったよしのは慌てふためいた。
 よしの「……はっ! ももも申し訳ございません!」

 対照的にエオルはくすくすと堪えきれず笑っていた。
 エオル「なんか、よしのさんの言葉って、妙に説得力あるよね」
 よしのは申し訳なさそうにうつむいた。

 よしの「あわわわ……ででで出過ぎたことを……」
 ついにエオルは声を上げて笑いだした。
 エオル「ハハハ! よしのさん、面白い!」
 よしの「ええっ!? そそそうでございますかっ!」

 フィードは2人のやり取りを楽しそうに眺めていた。
 みゃあと一声鳴き、クリスはフィードの肩の上に乗り、窓の外を見た。


 ……カラン……コロン……


 フィード「おら、そろそろ本気で作戦立てっぞ!」


 カラン……コロン……


 エオル「そうだね、やっぱり隊員の薄いとこから強行突破かな……とりあえず暗くなるまで粘れたら……!」


 カラン、コロン、


 フィード「じゃあよしのにまた人質役やってもらって粘るか」


 カラ、コロ


 よしの「なんなりと!」
 エオル「よし! 決まり!」


 空間を割るような音を立て、蹴破られたドア。その先から現れた姿に、エオルは固まった。




 「何が決まってん?」




        


 鬼!

 黒髪の坊主頭に漆黒の瞳、ピアスだらけの耳にタトゥで覆い尽くされた両腕、トランプの隊服に下駄を履いた筋骨隆々とした大男――

 その、あまりにも有名な出で立ちに、エオルはその場にへたり込んだ。
 フィード「なんだ、テメェ」
 大男は呆れたようにわざとらしい溜め息をつきながらフィードを見下した。

 エオル「グ……"最強の七人の魔導師グランドセブン"……トウジロウ・イチマツ……!」

 よしの「ぐらん……?」
 ごくり、と喉を鳴らし、エオルはトウジロウを注視したまま答えた。
 エオル「……魔導師たちの師匠、スペリアル・マスターより強いとされる、"最強の七人の魔導師"のことだよ……」
 知らなかったと言わんばかりにフィードはわざとらしい声をあげた。
 フィード「へぇ〜! そうなんだ〜!」
 エオル「超有名人だよ……"最強の剣の使い手エド・アーサーの再来"、"千年に一人の天才"……それから……」
 自分を無理やり落ち着けようと言葉を発するエオルの額は冷や汗が滝のように流れていた。

 対照的にさもつまらなそうにトウジロウは煙草の煙をはいた。その時、目の端に移った少女の姿。
 トウジロウ(……ん?)
 よしの(あら? この方、私と同じ……?)

 黒い髪に黒い瞳、黄色い肌。

 咥えられていた煙草はポトリと音もなく落ちた。
 トウジロウ「はァ!? 自分ジパング人!? こないなとこで何してんねん!?」

 エオル(部下から報告受けてない!?)
 フィード(何だこいつ、知らねーのか?)

 しまった、と口を抑えトウジロウは苦い顔をした。
 トウジロウ(あかん……思わず驚いてもうた)
 新しく煙草を咥え、火をつけると、ふぅと煙を吐いた。
 トウジロウ(ま、とっつかまえればわかることやし、ええかァ)

 フィード「落ち着くの早っ!」
 煙草は真っ直ぐとフィードを指した。
 トウジロウ「自分、さっきオレ知らんみたいなことぬかしてたけどな、オレ知ってんで? あー、どこで見たんやったっけ……」
 何言ってんだ、とフィードは顔をしかめた。
 フィード「そりゃあ今を騒がす犯罪組織……」
 トウジロウ「そうや、トランプのインターンシップで見たな」
 フィード「ぬっ!」
 エオル「……フィードがトランプのインターンシップ?」
 全くの、寝耳に水だった。

 相手に広がるわずかな同様に、トウジロウは満足げにニヤリと笑った。
 トウジロウ「オレを知らん言うんはウソやな。大方、そこのヘタレ落ち着かすためにしゃべらそ思てんやろ」
 初めて言われたその言葉に、エオルは鳩が豆鉄砲くらったような顔をした。
 エオル「ヘタ……」
 フィード「フン、部下に反発くらいまくってるくせに、一丁前なことほざいてんなぁ」

 トウジロウ「"こーでも"人の心の機微には敏感やねんで?」
 エオル(嘘だ……)
 フィード(絶対ウソだな)
 気を取り直し、腹をくくって、エオルは立ち上がった。

 フィード&トウジロウ「ヘタレが立った」
 エオル「あのねえ……!」

 そうして静かに剣を抜いた。

 エオル「さすがにキリスゼミの先輩にヘタレとまで言われたらね」
 フィードも構えた。
 エオル「あなたはいくら強くても、唯一欠点がある。それは有名すぎて情報が出すぎてることだ」
 トウジロウ「なあ、あの姉ちゃんがギルティンなん?」
 エオル(思いっきりスルー!)
 フィード「……人質だ」

 よしの(はっ! そうでした! 人質人質……)
 一瞬、自分の役割をまったく気に留めてすらいなかった。
 よしの「た……助けてください〜……」(棒読み)

 トウジロウ(人質ぃ!? しかもジパング人……こらあかんな、イロイロと)
 もくもくと煙が漏れる、吊り上った口の端。
 トウジロウ「ほな、人質救出は最優先やなァ。自分ら、下手に抵抗しても命保証できひんで?」


 小屋の中が殺気で凍りついた。


 ビリビリと、肌が空気で千切れそうな、少しでも動いたら内臓がひっくり返りそうな。

 それでいて、肺に吸い込む空気が、重い。


 よしのはクリスを抱きかかえ、部屋の隅に身を寄せた。


 ◆


 「おいおい、うちのエースさんは無防備に小屋入ってっちゃったよ」
 「俺達は小屋の周りで待機って……信用ねぇよな〜」
 「しかも、俺達退けたのは"あの女"だって、報告してないしな!」
 「細かい報告はいらないっつったのはアイツだぜ!」
 「ハハハ! せいぜい返り討ちにされて恥かけよ」

 リシュリュー「どういうこと?」

 思いがけず後から降ってきた声に、山中でなぜかびしょぬれの三人は、心臓が飛び跳ねた。

 山頂から重たい雲が流れて日差しを遮っては通しを繰り返している。
 風が出てきたようだった。



        
        
        
KT … カイセツ(K)とツッコミ(T)
      またの名を
      カユイ(K)ところにテ(T)がとどく


      

p.1    ■営業スマイル
       諜報活動はこっそり情報を集めたり、人にヒアリングしたり、一言に「情報を集める」といってもいろいろあるみたいです。
       いろんな人や場所に出入りして関わって、という仕事なので、他の軍に比べて「〜費の精算」とか「〜の報告書」とか「トラブル処理」とか事務仕事も多く発生してきます。
       それがリケの執務室が不夜城である理由であったり。

       
p.2    ■そりゃねーぜ
       補足ですが、ヤクトミはトランプに入隊するのが夢。
       
       ■さっき蹴った時
       これは前話の話になります。
       ヤクトミのケツを蹴ったら逆にラプリィがすねを抱える羽目になったってくだりの話。
       

p.3    ■どちらもいがみ合ってばかりでは、いざというときに後悔しますよ
       わかっていてもなくならない。それが人間。
       
       ■それにしてもこの医者は患者の情報をベラベラとしゃべりすぎですね。
       とんだご都合主義です。
       
       
p.4    ■お若いですね。
       シェン 24歳
       リケ  36歳
       10以上も下からあれやこれや偉そうなこと言われてもきちんと上司と扱って丁寧に対応しているリケは偉いですね。
       へんなプライドとか、しがらみ的なものがない、さわやかな女性なのです。
       

p.6    ■かなり久しぶりの魔法拳。
       10話ぶりくらい?必殺技なのに(笑)
       

p.7    ■口元をシャツの端で抑えながら
       のどや肺をやけどしないようにです。
       
       ■治癒魔法「 強制覚醒クァル・ウェル」
       気絶した人を強制的に覚醒させる魔法。
       ただし、単に気絶している状態に限る。(病気とか脳のケガとかで意識がない場合は有効でない)
       
       ■このトランプ3人組の構成
        ・斧のトランプ:斧のアーティファクト持ち
        ・円盤のトランプ:円盤のアーティファクト持ち、治癒魔法使い。
        ・起きたトランプ:?
       
       
p.9    ■食い物あるし
       小麦粉+エオルの水+フィードの火
       たしかに何か食えるものはできそうですね。
       
       ■諦めのその先に、何か得られるものがございますか?
       個人的には一概に何も得られるものがないとは言えないと思いますね。
       諦めたその先にも生きてる限り道は続いています。
       その道を進んでいった先にだって、得られるものはあるはず。
       ……と個人的によしのに反論してみました。屁理屈こきです。
       

p.10   ■エオルはその場にへたり込んだ
       立ち直った矢先に再び心折れるエオル(笑)
       
       ■インターンシップ
       少し前までフィードもヤクトミと一緒にトランプを目指していました。
       そこへんは4.1話を見ていただけるとよいかと。
       
       
       次回、VSトウジロウです。
       最強の名をほしいままにしている男に、どのように切り抜ける!?
       
       
       2010.1.30 KurimCoroque(栗ムコロッケ)
       2012.10.15(改)