32.4.シェンと蠱毒屋3 prev next
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 「ムキーーーッ! なんなのよっ! あいつっ!」
 バタバタと悔しそうに暴れまわるリンリン。

 ザパイから魔蟲ウイルスを譲ってもらう代わりに出された条件。
 それはザパイに代わり依頼主の旦那の不倫相手を殺すこと。

 「受けなくていいよ〜シェン〜! 魔蟲は諦めようよ〜!」

 シェンは新市街の方角を見つめ、考え込んでいるようだった。
 「ダメもとでやってみるか」
 「え?」

 ポケットを漁り、目当てのものが無いことを確認すると、その足で冒険者ギルドハンターズへ向かった。




 「ペンある?」
 あまり聞かない依頼に、ハンターズのカウンターの店員は不思議そうだった。

 いかにも安価であろう羽ペンを手に入れると、シェンが懐から取り出したのは、
 「あっ! その写真!」
 「ザパイの懐からくすねてきた」
 依頼主が提出したターゲットの写真だった。

 写真の中央にサラサラと文字列をしたため、次に折り鶴にすると、そっと息を吹き掛けた。
 折り鶴は風もないのにくるくると回りだすと、独りでに羽ばたいた。

 羽ペンを返却しがけに、店員が声をかけた。
 「あれ道術だろ? あんた、道士かい」
 「まあ、似たようなもんさ」




 ヒラヒラと羽ばたく折り鶴の後を追って、町中を縫って歩き、やがて辿り着いたのは草花溢れるバルコニーが印象的な、鱗のような屋根の長屋。その一室で鶴は静かに着地した。
 「ごめんくださーい」
 長屋から出てきたのは若い女性。女性は怪訝そうにシェンの頭から爪先まで観察していた。

 「……どちら様?」
 「呪い屋代行っす〜」

 その屈託のない笑顔に女性の警戒心は薄れたようだった。ドアにもたれ掛かり、女性は微笑んだ。
 「呪い屋さん? この長屋は訪問販売お断りですよ」
 「あ、そういうのじゃないっス。ちなみに誰か呪いたい人とかいます?」
 買わないわよ、などと念を押しつつ、時間に余裕があるのだろうか、女性少しの間考えを巡らせていた。

 「……いるわね、一人」
 「彼氏の奥さん?」
 慌てふためいた様子で女性はシェンを家の中に引き入れた。

 「なんなの、あなた」
 「彼氏の奥さん、あんたを呪ってるよ」




 新市街のとあるカフェ。
 数時間前に呼び出した呪い屋業に、今度は呼び出されたとあって、依頼主の婦人はどこか落ち着きのない様子で現れた。
 だが、テーブルにかけていた若い女性と目が合うと、一体どういうことかと真ん丸と開いた目をシェンに向けた。
 「まあまあ、とりあえず座んなよ」
 婦人はシェンを指差し、声を張り上げた。
 「どういうつもりよ」

 「この人もおばさんを呪いたいってさ」
 今度は女性が食ってかかった。
 「あたしは実際に実行まではしていないわ! このおばさん、頭おかしいんじゃないの!?」
 「お互い、どっちもそれだけ憎しみあってるってことだろ? なんでさ?」
 婦人は女性を睨み付けた。
 「こいつが私の旦那に色目を使ったからだよ」
 「色目って! 向こうから声をかけてきたのよ! あんたが女として終わってるからじゃないの」
 「なんですって!?」

 「おぉ、怖っ!」

 ポツリと呟いた一言が、女たちを凍り付かせた。
 「何が怖いっていうのよ! こっちはね、」
 「た〜ぶんだけどさ」
 シェンは笑顔がどうしても苦くなるのを隠すように、グレープフルーツジュースをすすった。

 「お前ら二人の旦那さん? 彼氏さん? も、同じこと思ってると思うよ」

 女たちは言葉が出ない様子だった。
 「自分の妻をこけ下ろす女の子を、好きになるか? 外の知り合いを呪い殺しまでする妻を、愛せるか? お前らの顔、鏡で見てみなよ、悪魔みたいな顔してるぜ?」

 女たちは互いに顔を見合わせた。テーブルに肘をかけ、シェンは身を乗り出した。
 「おばちゃん、絶対いい人だと思う。呪いなんかに手を出したら後悔するよ、いくら後悔しても、消えない事実になるよ。一体誰がハッピーになるのさ?」

 婦人は不倫相手を睨み付けた。その瞳からは、涙が溢れた。
 「だって、口惜しい〜〜〜〜」

 次いでシェンの灰色の瞳が不倫相手を捉えた。
 「好きな人の奥さん泣かせて、いい気分になる?」
 不倫相手は静かに席を立った。
 「冷めた。帰る」

 そうして婦人と二人きりテーブルで、ようやくいつもの屈託のない笑顔から苦みが消えた。
 「さすがにもう呪おうなんて、思わないよね? "当社"はクーリングオフ制度もございますよ? ……今ならまだ、間に合うよ」




 「……誰が仕事を取り消してこいと言っタ?」
 呪い屋の店内に、ザパイの静かな怒りが飛んだ。シェンはわざとらしく口を尖らせた。
 「だって、ザパイが失敗した仕事の尻拭いをしろって話だろ〜?」

 「なんでオレの失敗みたいになっているんダ! お前が邪魔したからだろウ!?」
 「まーまー、ケツ拭ってやったんだからさー」
 そうして図々しくも再び差し出された手。

 なおも食って掛かろうとするザパイに店長は笑いながら煙管をふかした。
 「トランプの連中に関わるとこうなるって、わかってんだろ? 真逆の仕事なんだから。ちょっかいかけたアンタが悪い」
 「ちょっかいをかけてきたのはこいつダ……」

 ボールペン

 「いいから早いとこどっか行ってもらいな! うちの商売あがったりだよ!」

 忌々しいと舌打ちするザパイにシェンはいつもの空気を読まない屈託のない笑顔を向けた。
 「毎度あり! また何時でも代行するよ!」
 「二度と頼むか!」





―――  trick beat ( シェンと蠱毒屋3 )―――






2012.6.9 KurimCoroque(栗ムコロッケ)