30.The V.I.P.s prev next
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 ファリアスの町はずれ。
 岩山の中腹にポッカリと空いた洞穴の奥の奥――"黒い三日月"アジト リーダー・ロロの部屋。



―――― The V.I.P.s予期せぬ出来事 ――――



 部屋の角に追い詰められたロロの手下たち。手下たちに牙を剥く、力士のように屈強な髭面の巨漢ギルティン。そして、

 ギルティン「……なんだぁ、嬢ちゃん魔導師だったのか」

 凛と背筋を伸ばし、邪悪な笑みを浮かべるギルティンを鋭く捉える翠の瞳。リケはジャケットの背に隠していた短剣を取り出し、静かに鞘に手をかけた。
 ギルティン「ガハハハ! そんなちっぽけな"ディナーナイフ"! 俺のぜい肉でも切り分けようってか」
 リケ「先日トランプが逮捕した"ギルティン"は悪魔に取りつかれていたわ? あなたもそう?」

 突然ギルティンの顔から笑みが消えた。歯茎をむき出しリケを睨みつけ、溢れ出さんばかりの怒りに任せ吼えた。
 ギルティン「俺をぉ! あんな小物と一緒にすんじゃねえぇよ!」
 ランプの明かりが点いたり消えたりを繰り返し、家具がガタガタと独りでに揺れだした。

 部屋の角に追いやられていた手下たちは一斉にドアを目指し駆け出した。
 ギルティンのこの世のものと思えぬ悍ましさをたたえた狂気に満ちた瞳が、端を横切ろうとする手下たちに向いた。
 ギルティン「うぜえぇえ」
 巨大なボンレスハムのような手が振りかざされた。同時にリケは鞘から剣を抜いた。その剣は刃の表面には幾つもの宝飾が施され、宝飾を繋ぐように稲妻のような直角の溝が刻まれていた。
 ギルティンはその宝剣に目が行くと、側を走り抜ける手下たちのことなど頭から吹き飛んだといった様子で食い入るようにそれを見つめた。
 ギルティン「んあぁ? どーっかで見たことあんな、それ」

 手下たちが全員退室したことを確認するとリケは口を開いた。
 リケ「"ラハト・ケレブ"、聖なる炎の剣よ」
 ギルティンの顔に焦りが走った。
 ギルティン「アーティファクトか!」

 宝剣の切っ先が、真っ直ぐとギルティンに向けられた。
 リケ「"乗っ取り"を解除して、"その人"から出てきなさい」
 チラチラとちらつくランプの明かりを反射して、キラキラと輝くその宝剣に暫く見入り、そしてギルティンは再び邪悪な笑みを浮かべた。
 ギルティン「そいつを奪えば"フォビアリへの貸し"になる、お前の死体を持って帰れば"パーヴァーへの貸し"になる」
 リケ("貸し"……仲間がいるの?)
 そうしてギルティンの豪快な笑い声が高らかに響き渡った。
 ギルティン「一石二鳥だ! 最高だぜ! 嬢ちゃん!」
 次にリケが瞬きした瞬間、目の前の視界は塞がれた。ほぼ垂直に上を見上げると、向けられていた邪悪な笑み。
 そうして高々と振り上げられた巨大な腕。


        


 ギルティン「ムン!」
 降り下ろされた手の中に、リケの姿は無かった。ギルティンの肩の肉にズシリと埋まる小さな足。降り下ろされた宝剣は確実にギルティンの首を捉えていたはずだった。

 ギルティン「一日に何べんもはねられてたまるかよ」
 直ぐ様宝剣を持つ小さな手に伸びる巨大な掌。

 リケ「"爆風圧ブリス・レ"!」

 強烈な突風の"塊"がギルティンの頭部に直撃し、リケ自身も突風の衝撃に煽られ紙のように吹き飛んだ。天井を蹴り、ヒラリと着地したリケは粉塵舞う、遥か遠くの部屋まで綺麗に空いた穴を見据えた。

 リケ「ひぇーっ! ビックリした!」
 そうしてジャケットを脱ぎ捨て、クルリと手の中で一回転させた宝剣を肩に担いだ。
 リケ(あの手……掴まれれば骨なんか軽く粉々ね)
 そうして粉塵で煙る一帯に、軽く手を滑らせた。

 リケ「"微風扇ブール・ウス"」

 リケの手に煽られたかように、遥か遠くの粉塵までリケの正面に道を開けた。

 その先に、ギルティンの姿は無かった。

 リケは宝剣の柄を握り直し、風の精霊に耳を澄ませた。
 
 一呼吸置いた次の瞬間、鼓膜を揺する破壊音。吹き出す粉塵。

 リケのすぐ横の壁が崩壊し、その向こうからギルティンの巨体が姿を現した。
 ギルティン「ガハハハ! 潰れろ!」
 宝剣がギルティンの巨大な拳を受け止めた。ミシリと音を立て床に埋まるリケの両足。
 リケ「あなたはアーティファクトを畏れないのね」
 ギチギチと音を立て、ギルティンの拳からの怪力に悲鳴を上げる宝剣。
 ギルティン「ガハハハ! 嬢ちゃんがソイツの使い方を知らねぇようだからなぁ! ただの"ナイフ"と変わんねぇよ!」
 リケ「そう」
 短く答えると、宝剣の刃に埋め込まれた宝石から炎が吹き出し、稲妻のように刃の上を走る溝に青緑の光が宿った。ギルティンは顔色を変え拳を離し、後ずさった。

 ギルティン「てんめぇえぇソイツをしまえ!」
 リケ「あなたが"その人"から出るのが先よ」
 周囲の空気がざわめいた。

 ギルティン「その生意気な口、引き裂いてやる」

 ギルティンのフェルトのような髭と髪が体表を伝って全身に広がる。遅れて黒や灰色といったブチ模様が広がると力士のような屈強な巨体は水で戻した乾物のようにムクムクと脹らみ、服は裂け、黄色く薄汚れた牙が飛び出し、瞳の横に更に二つの目が開き、脇腹から巨大な腕が更に二本飛び出した。ズシンと音をたてて"横たわった"イルカほどの太さの長い尾。鋭く伸びた長い爪がリケに狙いを定めた。
 こわい。。。

 ギルティン「予定変更だぁああパーヴァーへの貸しはもういぃいい」
 宝剣の炎に鋭さが増し、短かった短剣は一瞬にして炎の大剣に姿を変えた。
 ギルティン「殺す」

 次の出来事を頭で理解する前に、既に尾の先端はリケの顔の前にあった。


        
        
        
 いくつもの破壊音。

 複数枚にかけて穴の空いた壁。その先で瓦礫に埋もれた体を起こしたリケの目の前は灰色と黒のブチ模様に遮られた。振り上げられた鋭い爪が、チラチラと揺れるランプの灯りを反射した。

 宝剣の炎が弧を描く。

 ギルティンは紙一枚スレスレに後ろに飛び退き、壁を破壊しながら勢いを殺して距離をとった。ギルティンの大きく裂けた口の端がつり上がった。
 ギルティン「あぁあぶねえぇえなあぁああ」

 宝剣を構えるリケは背中に違和感を感じていた。
 リケ(肋骨か内臓やったなコリャ……早くカタつけないと)
 すぐにでも手で押さえたい激痛だったが、相手に怪我を悟らせるわけにはいかなかった。リケは平然として立ち上がり宝剣を構えた。

 リケ「目的はなんなの? なぜテロ行為を?」
 ギルティン「おまえがあぁ死んだらあぁ教えてえぇやるよぉお」
 まるで紙切れのように壁を破壊し、その巨体はリケめがけて飛びかかった。
 宝剣は炎を増し、リケもまたギルティンに向かい飛びかかった。
 ボタリと嫌な音を立て落ちたのは、巨大な尻尾。同時にその断面から真っ黒の煙が噴き出した。
 リケが宝剣を一振りすると充満した黒い煙は早霧のごとく消え失せたが、断面からは絶え間なく黒煙が噴き出している。

 ギルティンは四つの目を一斉にリケに向けた。
 ギルティン「いってぇえなぁあぁ」
 リケ(……"空中で避けた"……)
 腕を切り落とすつもりだった。いや、切り落としたつもりだった。だが、寸でのところでギルティンは体を捩り皮一枚上に炎を掠めた。ほぼ音速の世界での、人間ではあり得ない驚異的な動き。リケの顔に苦笑が満ちた。
 リケ(止まってるようにでも見えてるのかね、わたしの動き)
 そうして静かに宝剣を構えた。
 リケ(当たんなきゃ、意味がない)

 ギルティンは四つの前足を地面につき、大木のような後ろ足を上げた。それは今にも獲物に飛びかからんとする、猫の様だった。
 風の精霊がリケの耳元で囁いた。
 リケ(全員逃げたようね)
 その、ほんの一瞬の緩みとも言えぬ僅かな安堵を狙ったかのように、見上げたすぐ目の前には大人一人ゆうに丸飲みできるほどの巨大な口。
 リケは剣を盾に構えた。

 巨大な口の端がつり上がった。
 ギルティン「脇ががら空きだぜ」

 巨大な、壁のような肉球が、リケの側面の視界を塞いだ。リケは弾いたガラス玉のように吹き飛んだ。複数の部屋を突き破ったその先に、ギルティンもまたいくつもの壁を破壊しながら飛びかかった。だがそこにリケの姿は無かった。
 ギルティン「かくれんぼかぁあ? わかるぜえぇ人間臭ぇえ」

        
        
        
        
 息を切らし、ギルティンから距離をとった壁の影。気づかれぬよう炎を消した宝剣を握り、リケは参ったと髪をかきあげた。
 リケ(一撃一撃が、重すぎる)
 巨体に似合わず、魔導師の反射神経を持ってしても対応しきれないスピード。これは、部下が何人も殺られるはずだとリケは理解した。
 リケ(……"時間の精霊属性"か)

 時間の精霊は、もともと治癒魔法や一部の補助魔法で使われる精霊である。リケの操る風の魔法とは畑違いであるのと同時に、魔導師の世界において攻撃系の魔法に使用されることもないため、スペード軍やハート軍のように、あらゆる特殊なパターンの戦闘業務をこなしているわけでもないリケには全く別次元の相手だった。

 壁一枚隔てた向こう側に、巨大な気配を感じた。

 ギルティンの荒々しい鼻息が、息づかいが、壁越しにリケの背中の毛穴という毛穴から感じ取られた。

 意を決し、リケは宝剣を握り直し、飛び出した。

 飛び出したその先に、ギルティンの姿はなかった。

 リケはしまったと辺りを見回した。

 次の瞬間、正面の部屋の壁が吹き飛び、中から四つ目の猫の化物が飛び出した。リケの頭上に、巨木のような太い腕が襲いかかった。
 リケ(ヤバ……)

 「"身転如律令パラレルダンス"」

 どこからともなく飛んできた"札"がギルティンの頭に触れると、ギルティンの巨体はまるでそこから切り取られたかのように忽然と姿を消した。同時に遠くで大きな衝突音が鳴り響いた。

 リケはキョトンと鼻ピアスに蒼い瞳の端正な顔立ちのその男を見つめた。
 リケ(ロ、ロロ・ウー!?)

 蒼い瞳は冷たくリケを見下ろした。
 ロロ「俺の大事な楽園を壊しやがって」
 そうしてジリジリとリケに歩み寄った。
 リケ(うお! あたしと戦う気!?)
 リケは身構えた。


        


 ところが当のロロの歩みは力無く、ついには大きく息を吐いて頭を抱え、しゃがみこんでしまった。

 子どものような猫なで声で、ロロはリケに話しかけた。
 ロロ「おねえさん、おれの墨汁探してくんない?」
 訳がわからずリケはキョトンとした。
 リケ「ぼ……ボクジュー?」
 ロロ「そ〜墨汁〜。おれの部屋メチャクチャになってて、何処に何があるんだか」
 遠くで上がった世にもおぞましい断末魔にも似た雄叫びが、地面を小刻みに揺らした。

 リケ「後で見つけます、とにかく今はこの場から……」
 ロロ「おれんち汚しといて出てけだ?」
 ロロの声は低かった。
 ロロ「てめぇが出てけ! クソブス!」

 この状況で何を言い出すのか、リケは呆れたと溜め息をついた。口を開きかけた時、遠くから壁を突き破る破壊音が響いた。それは徐々に近づいてくる。
 リケ「調子悪いんでしょう!? フラフラじゃない! 後にして!」
 ロロ「女がおれに命令すんな」
 リケ「命令!? 違うってばっ!」

 最後の壁を突き破り、四つ目の巨大な猫が瓦礫とともに飛びかかった。リケとロロは同時に左右に避けた。四つの目は一斉にロロに向いた。
 ギルティン「てめぇ! 懲りずにまた現れやがったかあ!」

 ギルティンの人外の姿に全く臆すること無く、むしろ頭に昇りきった血にまかせ、ロロは指を差しながら捲し立てた。
 ロロ「ふざけんな! ここはおれんちだ! つーか! テメェの妙な洗脳のせいで、玄関で"あいつら"おれの顔見て逃げ出したじゃねぇか! 何吹き込みやがった!」
 まだ言い足りていなかったが、なにせ"墨汁"が足りない、ロロはほんの僅か一瞬意識が遠退いた。

 その僅かな時間はギルティンを冷静にさせるのに十分だった。
 ギルティン「……お前……ケガどうしやがった?」
 ロロは静かに見下したような薄ら笑いを浮かべた。
 ロロ「他人ゴミと交換してきた」
 ギルティン「意味わかんねえぇえ……まあいい、法力強えヤツはぁあ、食えば力が貰えるうぅ」

 四つ目の巨大猫はニタリと邪悪な笑みを浮かべた。
 ギルティン「てめぇは今日の晩飯だ」
 ロロ「寝言は寝てから言うもんだぜ。おれが寝かしつけてやるよ、永久にな!」
 ギルティンとロロは互いに探り合うようににらみ合い、風一陣吹くことすらためらわせるような凍てつく時間が流れた。

 先に動いたのはギルティンだった。巨木のような六つの足を蹴り、真横に跳んだ。直後、空を切る炎の剣。
 ロロは舌打ちし、ギルティンが避けたために破壊した壁を見つめた。
 ロロ「邪魔すんなっつったろ、クソババァ……」
 蚊の鳴くような弱々しい力のない声だった。リケもまたギルティンがたった今破壊した壁の先に向かい宝剣を構えた。

 リケ「そんなフラフラしてギルティンとやりあえる訳がありません……私は今からあなたの救助を優先します」
 ロロ「は?」
 そうしてリケはズカズカとロロに近付くと、その胸ぐらを勢いよく掴んだ。すかさずロロもリケに掴みかかるが、力の入らないその腕は、ただただリケの服を掴むのに精一杯で、リケに引っ張られるまま、ヨロヨロと出口に向かわせられた。抵抗するすべが無いあまり、ついにはロロはしゃがみこんだ。
 ロロ「おれはここにいるんだっつってんだろ! とっととその薄汚ぇ手ぇ離せよ!」

 リケもついに堪忍袋の尾が切れた。
 リケ「いい加減にしなさいっ!」
 ロロはきょとんとリケを見上げた。
 リケ「子どもじゃないんだから! あなたの大事なものは何! この家!? 部下たちとの生活!? そんなもの、そもそもあなたが死んだら、意味のあるもの!? つまんない意地張ってないで、素直に他人を頼りなさい!」

 ロロから抵抗する力が無くなったのを確認し、リケは改めてロロの手を引いた。
 リケ「ほら、とにかく、」
 ロロ「……しゃがめ、あんたから10時の方向から来るぞ」

 リケは反射的に腰を落とした。間髪入れず、壁をなぎ倒し、リケの頭上を巨大な牙が横切った。ガリガリと地面に音を立て、巨大な四つ目の猫は着地し、リケたちに向き直った。

 ちょうどその時だった。ギルティンの頭部を光弾が直撃、爆発とともに辺りに粉塵が立ち込めた。
 煙る視界の中、ギルティンの四つの目玉はグリグリと上下左右に回転した。
 ギルティン「目眩ましか」


        
        
        
 「いや〜、どうもどうも」

 ロロを背負い、リケの手を引き、煙から抜け出たのは、

 リケ「おっそい」
 ロロはしまったとため息をついた。
 ロロ「おれがトンでる間に抜け出したのか……あんた悪運強いな」

 粉塵にまみれるクロブチメガネにライトブラウンのクセっ毛。ウランドはニコリと笑った。
 ウランド「貴重な体験をありがとうございました」
 ロロは肩を竦めた。
 ロロ「どういたしまして」

 リケ「……ハートのエース! 一応伺いますが、」
 ウランド「あ、すいません、手ぶらです」
 リケはやっぱりなと眉間を摘まんだ。
 リケ「相手は時間の精霊属性の悪魔よ。特殊な能力は今のところ確認できていないけれど、人外の怪力と反射神経、少なくとも人間の能力では太刀打ちできない」
 ウランドはニヤリと口の端をつり上げた。
 ウランド「肉弾系以外のアーティファクトか法術の力が必要ですね、ところで」

 ウランドは背中でぐったりとなだれかかるロロに目を向けた。
 ウランド「……手を貸していただける状況ではなさそうなところ、大変恐れ入りますが、」
 ロロ「謝罪が棒読み、前置きの意味ない」
 ウランド「あ、じゃあご協力いただけるということで」
 ロロ「一言も言ってないし」
 小さくため息をついて、ロロは体を起こした。
 ロロ「おれの部屋にある墨汁が必要だ」
 リケ「ハートのエース、ロロ・ウーの自室は一番奥、今向かっている方向(出口)とは真逆だわ」
 ウランド「では仕方ありません」

 ウランドは足を止めた。そこは丁度アジトの中庭部分、出口まであと少しのところだった。
 ウランドは背負っていたロロを降ろすとそのまま来た道を逆走した。
 リケ「ちょっと! 単独行動!」
 ウランド「まあまあ、ちょっと行って取ってくるだけですから〜」
 今度はロロがウランドを呼び止めた。
 ロロ「あんた"墨汁"って何か知ってる?」
 ウランドは足を止めロロに視線を向けた。



 ウランドが去った後、リケはヤレヤレとため息をついた。
 リケ「ほんとあいつは……」
 ロロ「おれらもヒマないよ? おねぇさん」
 リケ「そうですね。ギルティンの注意をこちらに引き付ける必要があります。どうせあのバカ、ギルティンの相手もしようと考えてるでしょうし」
 ロロは長い溜め息を吐き、重たい体を引きずるように広間の角に向かうと指先を噛んだ。そして指先からあふれでる墨汁で地面に文字を書き始めた。
 リケ「何?」
 ロロ「ちょっと強めの結界。この広間に誘い込んで閉じ込める」
 そうして四隅に文字を書き入れると、ロロはしんどそうに重い溜め息をついた。
 リケ「……大丈夫?」
 ロロ「あんたがな」
 リケはニヤリと笑うと宝剣を撫でた。
 リケ「誰に向かって言ってるの?」

 するとロロは持っていたナイフで手首を切り裂いた。
 リケ「ちょっと!?」
 ロロ「へーき」
 ボタボタと床に落ちる黒い液体に息を吹き掛けると、みるみる形を変え、このアジトの間取り図となった。そしてその中央でうろうろと蠢く猫の絵を指差した。
 ロロ「これ、あのデブ猫な。今いる位置」
 リケ「あら便利。道士っていうのは何でもアリね」
 ロロ「そうでもねぇよ。こいつ、たぶん今、おれたちを追うかあのクロブチメガネのおにいさんを追うか迷ってるみたい」
 指差した先にはまっすぐと奥に向う黒い点。
 ロロ「ついでにこのひと、あの猫避けて行く気、さらさら無いみたい」

 溜め息をつき、リケはアジト奥へと再び走りだした。同時にロロの首根っこはリケの小さな手につまみ上げられた。
 ロロ「おれ、動くの結構しんどいんだけど」
 リケ「逃走されては困りますからね」
 ロロ「足引っ張るよ?」
 平然としてリケは答えた。
 リケ「ギルティンを閉じ込めてもらうまでは頑張って」
 ロロ(こいつのが悪魔だし……)


        


 半壊した壁越しに、バチリと鉢合わせた四つの紅い目とクロブチメガネ。

 間髪入れず大小不揃いな牙の連なる巨大な口がウランドに襲いかかった。

 ゴロリと肩で一回転し、踏み潰されたらひとたまりもないギルティンの腹の下をギリギリすり抜け背後に回ると、キョロキョロと自分の行方を探すギルティンに手を鳴らしてみせた。
 ウランド「こちらです」
 ギルティンは振り返った。

 ギルティン「なんだてめぇ、いきなり現れやがって。イワンは何してやがる!」
 ウランド「イワンさん? 詳しく存じませんが、お仲間がいらっしゃったのですか」
 ギルティン「てめえー……魔力高ぇなあぁあ」
 ウランド「悪魔殿に評価いただけるとは光栄ですね」
 ギルティン「あの僧侶の前菜だ」
 ウランド「話が飛び飛びなのですが……私と会話をする気は、」
 涎がボタボタと滴り落ちる大口を開け、ギルティンは飛びかかった。ウランドは真横に跳び、それを避けた。
 ウランド「……ないんでしょうねぇ」

 そうしてニヤリと口の端を吊り上げた。
 ウランド「悪魔なら、いくら魔法を使っても、"死なない"」
 ウランドの周りをチリチリと火の粉が舞い始めた。
 ギルティンもまたニヤリと口を吊り上げた。
 ギルティン「目が正気の人間じゃねえぇぇお前ぇ犯罪魔導師ってぇやつかぁああ」
 ウランドは心外だとわざとらしく笑って見せた。
 ウランド「ひどいですね、真逆ですよ」

 リケ「こっちよ!」

 対峙するウランドとギルティンの側面から、リケの鋭く凛々しい声が空気を貫いた。
 リケ「ウラ! あんたはさっさと自分の仕事!」
 ウランドは苦笑した。そしてクルリと方向を変え、走り出した。
 ギルティン「逃がすかあぁあ」
 すかさず大木の幹のようなギルティンの太い前足がウランドの行く手を阻んだ。

 ロロ「おい、ブサ猫」

 ギルティンの四つの目の端に映るは空色の瞳とその拳。ギルティンはその腕ごと食い千切らんと牙を剥いた。

 ロロ「"身転如律令"」

 その瞬間、ギルティンの下顎が"忽然と姿を消した"。
 ロロ「言ったろ、バラして海に沈めるって」
 黒煙が吹き出す中、ギルティンの四つの紅い瞳が一斉に光り出した。

 ――殺す!

 脳みそに直接響く、逆上した声。
 ギルティンの背中から翼のようにさらに巨大な腕が生え、体毛が延び鬣のように無数の蛇と化し、額に第五の瞳が開くと、それらは一斉にロロを睨み付けた。背中の巨大な腕が周囲の壁をなぎ倒しながら振り回された。
 続く炎の宝剣の一閃。
 ギルティンは新たに背中に生えた腕をバネに大きく後ろへ跳んだ。

 ギルティン「うぜぇえ」

 対峙する一匹と二人。

 リケはギルティンに宝剣を構えたまま、今にも意識を失いそうなほどフラフラと顔色の悪いロロの様子を伺った。ロロはニヤリと笑った。
 ロロ「ちょっと、倒れそう」
 リケ「ものすごく倒れそうよ。なんのためにクロブチメガネのお兄さんにあなたの墨汁取りに行かせたと思ってるの、あなたはおびき寄せるだけでいいの、墨汁が手に入るまで無駄な体力使わないで」
 前方で鼻息荒く今にも飛びかからんと自分を見据える巨大な猫にロロは蒼い瞳を向けた。
 ロロ「ごめ〜ん、あのクソ猫見たら苛ついてしょうがないからさ〜」
 リケ「お・さ・え・て! さあ、このまま結界の中に誘導するわよ」
 リケとロロは同時に走り出した。


        


 ロロ(あ、ヤベェ)
 急激に体を激しく動かしたためか、想像以上に、体が重たい。術を使ったせいで、更に"体内の墨汁"が減ったらしい。体の精霊の巡りが悪い。後ろを振り返ると真っ直ぐ自分めがけて突進してくる化け猫。
 ロロ(眠てぇ……)
 ついにはロロの足は完全に止まってしまった。飛びかかる巨大な猫。背中の巨大な腕が地面を大きく抉った。岩盤は激しく割れ、遠くの壁まで亀裂が入った。
 間一髪、リケに背負われ、ロロは難を逃れた。
 リケ「も〜今回は男を背負ってばかり!」
 そうボソリと呟くとリケはそのまま走り出した。夕焼けのような真っ赤な髪を見下ろしながらロロは力無く笑った。
 ロロ「リアルにごめんなさい」
 リケ「いいわ! あとでしっかり仕事してくれれば!」
 ロロ「……あんた〜、男だったらよかったのにぃ〜」
 リケ「どういう意味よ!」

 やがて視界が拓け、中庭部分にたどり着いた。同時にロロはリケの背中を踏み台に、部屋の中央へ跳んだ。リケはせき込みながら怒鳴った。
 リケ「あなたね!」
 ロロ「来るよ」

 まるで滝を弾くように壁を易々と破壊して、巨大な猫は中庭に飛び出した。そして中央の"憎き餌"を見つけると真っ先に飛びかかった。ロロはニヤリと笑った。
 ロロ「来な、ブサ猫」
 だが、当の"ブサ猫"は何かに気づくと、直ぐ様後退りして、奥の薄暗い洞穴へと姿を消した。暗がりから見つめる五つの紅い瞳。頭の中に、直接声が響いた。

 ――あぶねぇええ、なんだか聖水くせえぇえぞぉお

 リケが宝剣を一振りすると忽ち炎が噴き出し、そのまま暗がりの紅い瞳目掛け走り出した。
 リケ(ロロ・ウーの結界に追い込む!)
 ニタリと三日月に笑う五つの目。ギルティンは再び中庭に出たかと思えば、ガリガリと音を立て、壁を登り、天井まで来ると一気に天井を蹴り上げた。
 巨大な落下物は音速を越えたスピードで中庭の中央に落下した。その衝撃で床は割れ、捲り上がった。部屋の四隅の結界文字は亀裂で分断されていた。ギルティンはニヤリと笑った。

 ――俺を閉じ込めようなんざぁあ甘えぇえ

 ロロ「バカだなァあんた」
 リケ「……一般人を守るのは魔導師のツトメです」

 ロロの膝の上でぐったりと動かないリケ。ギルティンの落下攻撃の瞬間、とっさにロロを押し退けたリケの背中は爪痕で深く抉れていた。
 さらには傷の端から僅かずつ黒い煙が上がっていた。それは徐々に傷口から拡がっていった。
 リケ(しまった……"堕天"か……)
 悪魔に負わされた傷による"呪い"の一種。全身に回れば"魔の眷属の化物"となる。魔法圏での治療法は切除のみ。
 ロロ「あーあ、"堕天"だな」
 リケ「逃げなさい」
 ロロ「犯罪者逃がしちゃうの?」

 リケはニヤリと笑った。
 リケ「人命優先」

 ロロはニコリと子どものようにはしゃいだ笑顔を向けた。
 ロロ「じゃあ、おれも真似っこ〜」
 リケ「はっ?」
 そうしてリケの側に落ちていた宝剣を手に取るとリケの背中の傷の真上でロロは手のひらを切り裂いた。そうして切り裂いた手のひらを固く握りしめた。
 リケ「ちょっと!?」
 ボタボタと墨汁が振りかかると、傷口から立ち上っていた黒煙は忽ちにおさまった。

 リケ「さっきも思ったけどなんなの?」
 ロロ「墨汁だよ……」
 そうして聖水の臭いでボタボタと涙を流しながらどこそこ構わず暴れまわるギルティンに目を向けた。
 ロロ「あんたらで言うところの"ユニコーンの血清"入りの」
 そうしてニヤリと笑った。
 ロロ「目が五つもありゃあ、痛みも倍だろうなぁ、かわいそうに」

 ――てめぇええ!

 頭に響くその叫び声は、脳みそが破裂するのではないかと思うほどだった。
 かろうじでなんとか開けた瞳でロロの姿を捉えると、ギルティンは飛びかかった。
 ロロはびっしりと経文が刻まれた太い腕を捲り立ち上がった。


        


 ズン、と辺り一帯の空気が振動した。

 ギリギリと締め上げる音を立て、ギルティンの背中から生える巨大な手と組み合わせる形で対峙する白い腕。全身真っ白の陶器のようなツルンとしたメタリックの滑らかなボディに長い尾、背中から広がる虎の模様。

 リケは苦しそうな息遣いの隙間から呟いた。
 リケ「誰……?」
 ロロ「あ、やべ、フーじゃん」

 フーは足の爪を地面に立て、ギルティンを前に押し出すと、そのまま腕をグルリと回してギルティンのバランスが崩れたところに強烈な上段蹴りを捩じ込んだ。ギルティンの巨体は紙切れのように吹き飛び、大きな破壊音とともに壁に埋もれた。

 ハラハラとフーの身体から札が一枚、二枚、光の粒子となり次々と消え、中から美しい小豆色の髪が姿を現した。振り返ったその鶴のようにシャープで美しい顔は真っ直ぐとロロに向けられた。

 リケ(この子! ウランドと一緒にいた……)

 ロロはニヤリと薄ら笑いを浮かべた。
 ロロ「術が強力すぎて札が持ちこたえられてないね、バランス悪い術〜……足止めにもなんねぇし。何しに来たの?」
 フー「うっせー! せっかく助けてやったのにケチつけてんじゃねえよ! ついでに言うと、誰かさんがあたしの仮面をどっかにやってくれたから、こんな紙っ切れで代用しなきゃなんないだっつーの!」
 そしてビシリとロロを指差した。
 フー「"転乾道"! 道士協会の命によりお前を捕らえに来た」
 そのまっすぐなオリーブ色の瞳には最早一点の曇りもなかった。ロロはいつもの薄ら笑いを浮かべた。
 ロロ「おれのこと吹っ切っちゃった系〜? さみし〜」
 フー「茶化すな、大人しくしな」
 そうしてロロの胸ぐらを引っ張り上げた時だった。
 リケ「後ろ!」

 フーは胸に札を当てた。
 フー「"白瞼如律令"」

 胸に当てた札は白く輝くと、札の形をした白い光が何枚もバラけ、一瞬にしてフーを包み、光の中から再び白虎の肢体が姿を現した。
 背後まで来ていた巨木のような太い足を取り、捻って勢いを殺すと、白虎の長い爪を広げた。ギルティンの下顎があった部分から立ち込める黒い煙がフーの顔にかかる。

 リケ「瘴気に当たっても平気なの? 便利な"ボディスーツ"ね」
 ロロ「ただし、時間制限ありだ。後先考えた術じゃない」

 振り上げられた白虎の爪の衝撃波に、ギルティンは再び壁まで吹き飛ばされた。同時にフーの体からハラハラと札が落ち始めた。小豆色の長い髪を揺らし、ギルティンに向かい走りながらフーは再び札を胸に当てた。
 フー「"白瞼如律令"!」
 一瞬の光の中から再び現れた白虎は地を蹴り高く飛ぶと足の爪をギルティンに向けた。
 ギルティンはその巨体を無理矢理起こすと飛び退いた。間髪入れず、白虎の体はギルティンの体が横たわっていた岩盤を叩き割り、平坦だった地面は、もはや割れた岩盤で、まるで制止した荒波のようになっていた。
 ロロ「結界のケの字も無ェなァ」
 フー「螺羅ロロ! その女連れてとっとと逃げな!」

 ――させるかァ!

 ギルティンの太い腕が出入口の壁を砕き、割れた巨石に出入口は塞がれた。

 フー「テメェ! 何すんだよクソデブ猫!」
 リケ「大丈夫よ! 奥にもう一人魔導師がいるから!」

 フーは初めてリケをまじまじと見た。
 フー(魔導師……他にもウランドの仲間が来てたのか)
 ギルティンの雄叫びが上がった。

 ――お前らぁあぁ全員んんぶっ殺すぅぅう

 フー「ああもう! クソッ! 何なんだよコイツ! 螺羅! あんたのペット!?」
 ロロ「ちが〜う。……そういや誰だっけ?」
 リケ「ブレーメン製薬という魔薬業者のギルティンという男よ」
 フー「ギルティン!?」

 声を上げた拍子にフーの体からバラバラと札が剥がれた。そしてフーのオリーブ色の瞳が正面の巨大な化け猫を捉えた。
 フー「ギルティン? こいつが?」

 フーは鼻で笑った。
 フー「"新製品"でヤラかしでもしたのかい? バカなヤツ」
 リケ「……"新製品"……?」
 フー「前会った時に"魔蟲ウイルス"っつー開発中の新製品があるっつってた」
 リケ「"魔蟲ウイルス"?」

 ――それは俺じゃねぇえぞぉお! 女ぁあ! そりゃあぁどこのどいつだぁぁ

 フー「だから、"ギルティン"だって。ブレーメン製薬の」
 ギルティンは沈黙した。絶句というか混乱というか、呆気にとられ、言葉を失っている様子だった。フーはキョロキョロとギルティンとリケとを交互に見た。
 フー「あれ? あたしなんか変なこと言ってる?」

 リケは激痛に悲鳴をあげる体を起こした。
 リケ「……あなたも"ギルティン"の影武者!?」
 ギルティンは吼えた。

 ――本物の"ギルティン"は俺だぁあ! どこのどいつだぁあ勝手なことをしてやがるのはあぁ!

 リケ(内部分裂が起きている!? こいつを抑えるだけじゃテロは収まらない!?)
 そうしてロロに視線を向けた。
 リケ「生け捕りで本部に連れて帰りたいわ、墨汁さえあれば可能?」
 ロロ「見逃してくれたら協力したげる」
 リケ「あなた、足元見れる立場?」
 ロロ「見た目が絶望的なブスなら性格もドブスだな」
 リケ「決まりね」
 ロロ「一片も同調してねーよ」

 そうして今まさに札を取り出したフーに視線を向けた。
 ロロ「殺すなって。魔導師先生からのお達しだ」
 フー「無茶言うな、次でトドメ差すつもりだよ。あんた捕まえる体力なくなっちゃ困るんでな」
 ロロ「ま〜そう言わずに〜。もうじき墨汁来るからさ〜」
 フー「は? 墨汁が"来る"?」

 背中の激痛に震えながら重い足で立ち上がり、リケは宝剣を構えた。
 リケ「ごめんなさい、それまで手を貸して」
 フーはくしゃくしゃと頭をかきむしった。
 フー「わーかったよ! 寝てな、ねぇちゃん」
 そうしてクルリとギルティンに向け振り向くとじっくりと様子を窺うように見据えた。

 ――ちくしょぉぉどうなってやがるうぅう

 そしてギルティンは吼えた。

 ――イワンんん! "奴ら"のとこに戻る準備をしておけぇえ口引き裂いて吐かせてやるぅうう!

 リケ("奴ら"! 組織的な部分を匂わせるワード! イワンもギルティンの背後にあるものを知っている)
 想像以上に、このギルティンという男の、いや悪魔の口は軽いらしい。ちょっと取り調べを行えば、ボロボロと真実が飛び出しそうである。
 リケ(ウランド! 早く!)


        


 「はい、これ」

 瓦礫の中をかき分けることに夢中になっていたためか、その小太りで丸眼鏡の青年が背後にいたことに全く気づかなかった。青年が差し出したのはロロ・ウーから話に聞いていた小瓶の特徴とによく似ていた。ウランドは青年と小瓶を交互に見た。
 「墨汁を探しているんでしょう?」
 ウランド「ええ、その通りです。ありがとうございます」
 小瓶を受け取ったことを確認すると青年はクルリと踵を返した。
 ウランド「お待ちいただけますか。なぜ私が墨汁を探していたと?」
 振り向いた丸メガネの青年は人懐こい笑顔をウランドに向けた。
 「僕は黒い三日月のメンバーです。ロロさんには勝って欲しいですからね」
 ウランド「なるほどそうでしたか。助かりました。ところであの悪魔に内壁を壊され、崩落の危険があります。出入り口は今少々危険な状態でして、」
 丸眼鏡の青年は笑った。
 「わかりました。メンバーしか知らない裏口があるのでそこから脱出することにします」

 走り去るウランドの背中を丸眼鏡が捉えた。
 「……あれがパーヴァーさんの"梯子"か」




 荒ぶる猫の息遣い。大きく肩を上下させるフー。
 フーは札を構えた。

 フー「おいまだかよ! もう枚数ないんだけど!」
 ギルティンは首を振った。

 ――小娘だと思ってナメてたぜぇえ。人間ごときと思ったがあぁそろそろ本気で行くぜぇえ

 ロロ「あちゃ〜」
 リケ「いままで手を抜いていたの!?」
 フー「だからさっさとトドメ差しゃよかったんだよ! クソったれ!」

 輝く札に包まれ、中から再び白虎の肢体が姿を現した。
 フー(札じゃ"気"の制御が定まんねぇ、このままじゃ札が尽きる前にあたしの"気"が尽きちまう。お仲間とやらはどこで油売ってやがんだよ!)
 眼前の化け猫はボコボコと体を波打ち、更に体は肥大化していった。体表はどす黒く変色し、額の瞳は左右に大きく裂けさらに巨大な瞳が開き、ロロによって切り取られた下顎は新しく生え、その更に下に切り込みが入るとそこには第二の巨大な口、体毛は無数の人間の腕の形と化した。
 六つの目と鬣の蛇たちの無数の紅い目が一斉にフーに向いた。

 リケ「まずい! フーさん! 下がって」
 ロロ「あいつ下がったところで手負いのおれらは何かできるんだっけ?」
 リケが宝剣を握ると激しく炎が噴き出した。
 リケ「我々の捜査のために一般人を死なせるわけにはいかない」
 ロロ「今のあんたとおれじゃ無理って、福はわかってるよ」

 静かに拳を構え、ニヤリと口の端を吊り上げたフーの喉がゴクリと鳴った。
 フー(この魔力の跳ね上がり、タイマンで張り合える相手じゃねえ……………………ウランド……)



 「お待たせしました」

 中庭の奥からひょっこりと現れたクロブチメガネ。あまりにタイミングよく、願った相手が現れたことに、"白虎"は思わず声を上げた。
 フー「仲間ってあんた!?」
 ウランドは先程まで居なかったはずのその登場人物に気がつくと、きょとんとその"虎柄のボディスーツ"を見つめた。
 ウランド「どちら様?」
 フー「フーだよっ!」
 ウランドは状況を飲み込めず一呼吸置いてから声を上げた。
 ウランド「えっ!」

 リケ「ハートのエース! 早くして」

 徐に、ロロは挙手をした。
 ロロ「"あの姿"になってから魔力が跳ね上がった。今のままじゃ俺の術なんて効きやしねぇ」
 リケ「弱らせればいいのね」
 ぐらつくリケの肩をウランドの大きな手が支えた。そうして墨汁の入った小瓶をロロに投げ渡した。
 ウランド「出口が埋もれてしまっているのですね。今開けますから、退却を」
 リケ「ダメ! あの悪魔、重要情報を握ってる」
 ウランド「とはいえ分が悪すぎます」
 リケは叫んだ。
 リケ「魔法圏と神使教との戦争を起こすって言ってたの! 今ここで逃がしたら」
 ウランド「落ち着いてください、クラブのエース。人命優先です」

 リケは我に返ったようだった。
 リケ「……魔導師失格だわ」
 ウランド「仕事にご熱心だと、私は解釈しますけどね」

 次にウランドは足元で踞るロロに視線を落とした。小瓶は既に空だった。
 ウランド「出入口は私が開けます。そのあと悪魔を引き付けておきますので二人を逃してください」
 ロロは薄ら笑いを浮かべた。
 ロロ「イヤだ。あの悪魔はおれが殺る」
 ウランドは即答した。
 ウランド「却下です。ではお願いしますね」
 ロロ「ちょっと!」

 そうして今度はフーの元へ近寄ると、ギルティンとの間に割って入った。
 ウランド「あんなのと戦わせてごめん。後は俺に任せて二人をお願い」
 フー「何言ってんだよ! どうみてもあんた丸腰でしょ!」
 ウランドはギルティンから視線を外さぬまま腕を真横に伸ばした。その先は瓦礫に埋もれた出入口。

 その時だった。

 ウランドはフーの頭を守りながら伏せた。同時に外から雪混じりの暴風が瓦礫を吹き飛ばした。暴風が通った軌跡はまるで冬の湖のように凍結していた。
 ウランドが顔を上げた瞬間、頭の上に降ってきた三節棍をキャッチした。クロブチメガネが映す出入り口のその先には、

 「なんや楽しそうやなあ」

 黒髪坊主にジャラジャラピアス、タトゥーだらけの腕に筋骨隆々とした大男。
 リケ「トウジロウさん」
 ウランド「……なんだ、お前か……」
 ニヤリと笑い、トウジロウはギルティンを見上げた。

 トウジロウ「俺もまぜたって」


        
        
        
KT … カイセツ(K)とツッコミ(T)
      またの名を
      カユイ(K)ところにテ(T)がとどく


      
       
p.1    ■先日トランプが逮捕した"ギルティン"
    ハンチング帽の男のこと。
       

p.4    ■楽園
    ドットエックスシリーズの黒い三日月シリーズでパラダイスパラダイスずっと言ってるあれです。
    部下たちと、黒三日月というロロの王国。

       
p.5    ■"墨汁"が足りない
    貧血みたいな状態と思ってください。


p.8    ■今回は男を背負ってばかり
    28話でリケはウランドを背負って断崖を登っています。


p.9    ■転乾道
    道士協会におけるロロの二つ名。。
       
       
       2012.3.3
        KurimCoroque(栗ムコロッケ)