25.3.びょうきになったかげ3 back


 濃霧に包まれた岩壁の中腹。巨大な洞穴。天井にぶら下がるいくつものかまくらのような真っ白い建造物――吸血鬼排他主義団体"ヴァンピール"本部。
 ジェフの存在を確認出来たためか、"かまくら"の一つから縄梯子が降ろされた。ジェフはニヤリと笑った。
ジェフ「まだ下ろすには早かったな」
 シェンは自分の脇に横たわるエミリーの姿のままのモリンジに目を落とした。背負って岩壁を登るために、おんぶ紐のように結んでモリンジの体を固定していた腰布を、たった今、ほどいたばかりだった。シェンは腹を抱えて笑った。
シェン「アハハ! ホントだ!」
 リンリンはため息をついた。
リンリン「いじわる言われてるんだってば……」




 "かまくら"の中はシンプルな外観とは打って代わり、アンティークの調度品やソファなどが並べられた、まるで洋館の応接間を思わせる内装だった。そして、そのような内装に不釣り合いな、クリーム色のローブに身を包んだ男たちが、シェンたちを迎えた。シェンはニカリと屈託なく笑った。
シェン「どうも〜」
 シェンの背中に背負われている少女の、そのエミリーと瓜二つの姿にクリーム色のローブの男たちは心底驚いた様子だった。
「エミリー!?」
「なぜ、さっきまで、」
「いや、これがドッペルゲンガーだろう」
 "ドッペルゲンガー"という単語に、シェンはピンと来るものがあった。

 シェンの故郷、桃花源国では"離魂病"という。
 "魂"はストレス等で分離(例えば多重人格)しやすく、また統合を繰り返す不安定なものだが、通常"魂"は"肉体"との繋ぎ目である"魄"にぶら下がったまま、離れることはない。それが何らかの拍子に"魄"から剥がれ、肉体の外に飛び出した状態になることがある。飛び出した"魂"を取り戻そうと"魄"が繋ぎ目を肉体外に伸ばし続けると今度は"魄"と"肉体"との繋ぎ目が剥がれてゆき、やがて肉体・魄・魂がバラバラになる。徐々に魄が肉体から剥がれていくことから、ドッペルゲンガーを見ると衰弱して死ぬと言い伝えられている。
 "魂体"だけ飛び出ている状態、というのはそれだけではなくいくつか原因は考えられるが、つまりは、今回エミリーが"魂体"だけだったのは、そういうことなのだろう、それがシェンの"ピンと来た"の意味だった。そしてこの"魂体"が自らをエミリーではなくアズと名乗っているということは、エミリーは少なくとも二つに魂が分離している二重人格者で、エミリーでないほうの魂が魂魄剥離を起こしているということが推測できた。
 同時に、シェンはマズイとも思った。桃花源国では"離魂病"の治療は道士が行う。逆に魔法圏では魔法で治療不可能の不治の病とされている。道術のにわか知識があるとはいえ、シェンには魄を肉体に戻す正式なすべは持ち合わせていなかった。魄が肉体から剥がれる前に、アズを戻す必要があった。いや、もしくは、もうすでに"魄"もはがれてしまっている状態かもしれない。一刻も早く、エミリーの容体を確認しなければならない。

シェン「エミリーの本体はどこすか? 元に戻さないと……」
 クリーム色のローブの一人が何を言っているんだ、といった風に反論した。
「ばかいえ、ドッペルゲンガーを見た本人は死ぬんだぞ」
シェン「それは違います、死ぬ前に戻せば……」

 まさか、自分の所属している組織までもが、ドッペルゲンガーなどという"オカルトな"話をしていることに、ジェフはついていけないと眉間を押さえた。とにかく、話を順序立てるべく、今のこの展開をぶった切ろう、と考えた。
ジェフ「あー……紹介が遅れてすんません」
 その場の一同がジェフに注目した。ジェフの視線は、丁度部屋の奥のドアから出てきたスーツの男に向いていた。5、60代くらいのその男は、切り揃えられたチョコレート色の口髭に、濃いクマの刻まれた窪んだ瞳、後退した広い額の蒼白さはどこか不気味ささえ感じられた。 男はニコリとも笑わずシェンの背中のエミリーをチラリと見た。
ジェフ「すでに"伝書蝙蝠"で報告してますけど……あー、例の、グレイ氏の重要情報を持っている新入りです」
 ジェフは不器用に手のひらでシェンを指し示した。シェンは「どうも」急かすように、短くニコリと愛想笑いをした。口髭の男は部屋の中央にあるソファに促した。




 シェンは一番長いソファに、エミリーの姿のモリンジを横たえ、自分はソファの縁に腰かけた。口髭の男は対面のソファに腰掛け、右手を差し出した。
「代表のリチャードだ、ようこそ、"ヴァンピール"へ」
 シェンは握手に応じた。
シェン「シェンです、お役にたてたら光栄です、ところで」
 シェンはソファに横たえたモリンジに目を向け、肩をすくめて首を振って見せた。
シェン「グレイ氏についてお話しする前に、いろいろ聞きたいことがあります、順を追って質問させてください」
 リチャードは背もたれに身を預け、肘掛けに頬杖をついた。短く「そうだな」とだけ返すリチャードの様子に、シェンは違和感を感じた。
 "二人目"のエミリーが目の前にいるのに、あまり驚いた様子が見られなかったからだ。その様子はまるで、"何か"をわかっている風であった。

シェン「ここに来る途中、人の記憶を読み取って応用し、幻術や変身能力を駆使して人を騙す魔物に会いました。その魔物は"ヴァンピールにいた"と訴えていました、ご存知だったりします?」
 ここではぐらかすようであれば、ソファに横たわるモリンジを証拠として突きつけるつもりだった。だが、リチャードの回答はそんなシェンの想定をあっさりとひっくり返した。
リチャード「狸の化け物のことか? ああ、確かに研究に使っていたが、用済みになったので山に放した」
 全く悪びれる様子もない、それはまるで生態系を壊すようなペットを、手に負えなくなったという理由で捨てる無責任な飼い主そのものだった。

シェン「研究……?」
 リチャードはシェンの腰かけるソファの脇に立っていたジェフを見上げた。
リチャード「喜べ、ジェフ、もうじき"人化の術"が完成する」
 ジェフは目の前のソファの背もたれに手をかけ、前のめった。
ジェフ「本当ですか! あとどれくらいです!?」
シェン「人化の術?」
 単語から、ジェフたちの今の"半吸血状態"を、もとの人間の状態に戻すすべであることが推測できた。リチャードはジェフに意味深に笑むと再びシェンに視線を向けた。
リチャード「我々は吸血鬼を狩る者だ、だがそれに"半吸血の悲劇"は付き物……」
 シェンはすぐ後ろに立つジェフに目を向けた。
シェン「半吸血の悲劇って?」




ジェフ「……半吸血ってのは人間だった部分と、吸血鬼になった部分が混在している状態らしい、半吸血が死んだらどうなるか知ってるか?」
シェン「死んだら? なんかなんの?」
 ジェフは自分の行く末を見ているかのような、そこにはない別のものを見ているように中空を見据えた。

ジェフ「吸血鬼になるんだよ、"ヴァンピール"に狩られる側にな」

 シェンは少しの間固まり、よくわからないと顔をしかめて聞き返した。
シェン「自分たちで自分たちを狩るって言ってるよね?」
リチャード「それが"半吸血の悲劇"、そしてそれを食い止めるため、私は何百年も"人間に戻るすべ"を研究してきた」
シェン「……その研究が人化の術……」
 シェンは何かを考えながら返答しているようだ、とリンリンは感じた。
リチャード「完成すれば、吸血鬼の増加もいずれは打ち止めになる、そうすれば、数を減らしてくれているグレイ氏も不要だ」

 シェンは考え事をしながらふんふんと聞いていたが一瞬はたと停止した。考え事をしていて危うく聞き逃すところだった。
シェン「……いま、なんて?」

 リチャードは無表情に足を組み替え、腹の上で手を組むと、見下ろすように顎を上げた。

リチャード

リチャード「グレイ氏は不要だ、人化の術が完成すれば」

 シェンはあちゃーと頭を押さえたい気分だった。
シェン(……マジですかぃ……)




ジェフ「完成はいつです?」
 リチャードは遅れて出されたコーヒーを一口含んだ。
リチャード「いろいろな魔物の特殊能力を組み合わせ、被験者エミリーくんの体から、吸血鬼部分を魂体として取り出すことに成功した」
 ジェフとシェンは同時にソファに横たわる"アズ"に視線を向けた。
リチャード「だが管理の不備で"使用済み"の魔物だけでなく、その魂体まで逃げ出してしまってな」
リンリン「しっ使用済み!? なんてこと言うんだよっ」
 リチャードは噛み殺すように笑った。

 その時だった。リンリンに伸びる白く小さな手。
リンリン「むぎゅっ!」
 "アズ"の蒼白い手がリンリンを鷲掴みにし、そのまま壁際に逃げるようにかけ寄った。
 リチャードの蒼白い人差し指が"アズ"を捉えた。
リチャード「エミリーの"吸血鬼部分"を殺せば人化の術は完成だ」
 アズは金切り声混じりに叫んだ。

アズ「あたしは死にたくない!」





―――  trick beat(びょうきになったかげ3) ―――






2011.10.22 KurimCoroque(栗ムコロッケ)