22.9.魔導師暴漢被害事件8 back


ミカエル「おお! グウェン! どうした、捜査に行き詰まったか」

小鳥囀ずる穏やかな朝だった。
真っ白な病室の真っ白なベッドのうえで、茶色のニュースペーパーを広げ、取り替えたばかりであろう真新しい包帯に身を包み、ミカエルはいつもの冗談めいた、だが受容的な安心感を与える笑みを向けた。
笑みを向けられた元部下は静かに背中にあった手をミカエルに見えるよう肩の高さにもってきた。その手中にはミカエルにとって見慣れた花瓶。

ミカエルの顔が僅かに曇った。
ミカエル「取り戻したか、さすがは"切り札"だな」
グウェン「犯人はクラブで取り調べ中よ」
ミカエル「……その中にゼラヴィという若造はおらなんだか?」
グウェン「あら、知り合いなの?」
ミカエル「ちょっとな……」

――ノックの音

ドアから現れたのは久しぶりに会う愛娘、だが、それは余計にミカエルの表情を曇らせた。
ミカエル「久しぶりだな」
アンジェラはいつもの屈託のない笑顔を向けた。
アンジェラ「いい加減結婚認めてほしいんだけど」
ミカエルは表情を隠すように窓の外に顔を向けた。
ミカエル「アン、お前に話さなくてはならないことがある」
アンジェラ「あたし"たち"もだよ」

ドアが静かに開き、現れたのは、"あの朝"、暴漢どもの後ろで一人震えて泣いていた、あの若造――

ミカエル「ゼラ、」
ゼラヴィ「申し訳ありませんでした!」
ミカエルと目があうなり、ゼラヴィは鼻を床に押し付けた。その肩は震え、床からは鼻をすする音が聞こえた。

ミカエル「やめろ、床が汚れる」
ゼラヴィは「はい」と返事をし、涙と鼻水にまみれた顔をミカエルに向けた。
アンジェラ「親父……お父さん、彼は暴行を認めたわ、今日、セイラムにかけられる」
ミカエルは驚いたように目を見開きゼラヴィを見た。
アンジェラ「どんな呪いをかけられるかもわからないけれど、私、この人と生きたい」
ゼラヴィ「お義父さん」
ゼラヴィはゴクリと喉を鳴らした。
ゼラヴィ「たとえどんな呪いをかけられたとしても、必ず僕は僕のままで、帰ってきます、約束します、だから、」
そのまっすぐな瞳には、これまでの、オドオドビクビクとミカエルの顔色を伺っていたあの若造の面影は少しもなかった。

ミカエル「ハァーーーー……」
ゼラヴィの次の言葉を遮るように、ミカエルはわざとらしい大きなため息をついた。
ミカエル「……アン」
アンジェラ「はい」
ミカエル「確かにウランドのような男でなければ認めんと言ったが」
ウランド「は?」
グウェン「あら」
アンジェラは気まずそうに頬を掻いた。
アンジェラ「……何年前の話だよ……」
ミカエル「見かけだけじゃないか」
ウランドとゼラヴィは互いに見合わせた。
メガネに癖ッ毛、"一見"穏やかな雰囲気――
アンジェラ「ゼラヴィは一見じゃなくてホントに優しいから」
ウランド「どういう意味ですか」
アンジェラは追求するようにミカエルを指差した。
アンジェラ「親父こそなんだよ! あたしとウラ兄くっつけようと家庭教師頼んじゃったりしてさ! でも結局グウェンさんとくっつけようと画策してたじゃん」
ウランドは新人時代、ミカエルから魔導師になりたがっている自分の娘への家庭教師を頼まれ、数週間相手をしていた頃を思い出した。
ウランド「……あれにあんな意図が……」
グウェンはクスリと笑った。
グウェン「でもあなたの"生意気さ"がわかってからアンジェラちゃんの"悪いムシ"にならないよう私との関係をからかいだしたのよね」
確かに、ミカエルは会うたびにまだ付き合っていないのかだとか、グウェンこんな男はやめとけなどと言ってからかっていたが、
ウランド「……それにそんな意図が?」
グウェンはウランドを見上げ、ピタリと笑うのをやめた。
グウェン「鈍感」
ウランド「……よく言われる」

ゼラヴィ「そんなあ」
アンジェラは慌ててバシバシとゼラヴィの肩を叩いた。
アンジェラ「今は違うって! ウラ兄なんかよりゼラのが魅力的!」
ウランド「……私にコメント求めていないですよね?」
ミカエル「そうじゃな! こんな見かけ倒しのエセインテリなどと比べれば!」
ウランド「……ちょっと」
病室は一人を除いた笑い声に包まれた。
笑い声が収まり、ミカエルは床に膝をついたままのゼラヴィを見下ろした。
ミカエル「必ず帰ってこい、そうすれば、……認めてやる」
ゼラヴィ「……はい」
アンジェラ「もー! すぐ泣く!」

グウェンは三人の様子を眺めながら微笑んだ。そして、グウェンとウランドは気づかれぬよう静かに病室を出た。
グウェン「……まだミカエルの警護は解かないの? 人材のリソース厳しいんだけど」
ウランド「……芋の根っこの先までキレイにしたらね、それまでは、いつどこに仲間がいるとも限らない」
グウェン「抜かりないわね」
ウランド「当然。ところでさ、例の薬の件、何か分かった?」
グウェン「"特別コース"の門下生たちが投与されていた、人為的に精霊障害を引き起こす薬ね……残念だけど、今のところ何も。取り調べと並行して調査するわ」
ウランド「……薬ねぇ」
ウランドの頭に、トウジロウとリケが追うあの案件がよぎった。
ウランド(まさかとは思うけど……)

――なんか嫌な予感がするな




ウランド「え? ボタン……」
考え事をしながら帰宅したウランドは、すっかり忘れていた。後先考えずに結局血にまみれたシャツをまったく後先考えずいつものように新しいものにすり替え、そして何事もなく帰って来たのだ。つい前日の朝の出来事など、まんま頭から抜け落ちていたことに、帰宅してからようやく気がついた。

ウランド「ええと、ごめん、任務で汚したから捨ててきた」
ヨトルヤはジロリとクロブチメガネの奥を見つめた。
ヨトルヤ「……汚したのは本当に任務でかしらね」
ヨトルヤの言いたいことが、わからない。
ウランド「ごめん、どういうこと?」
ヨトルヤは下駄箱の上に置いていた裁縫箱を手に、部屋の奥へと戻っていった。ウランドは慌ててその後を追いかけ、待ってとヨトルヤの手を取った。
ヨトルヤ「触んないでよ!」
ウランド「すいません」
ウランドは反射的に両手を上げた。だがそれが余計にヨトルヤの怒りに火をつけたことが見てとれた。

ヨトルヤ「ごめんごめんって、その場しのぎのごめんがイラつくの!」
ウランド「……? 本当に悪いって思ったから謝ってるんだけど」
ヨトルヤ「意味わかんない!」
ヨトルヤはそこいら中のクッションやら何やらをウランドに投げつけた。
ウランドは軽々とそれらを受けとめ、近くに丁寧に置いていった。
ウランド「俺の何で怒らせたのか、本当にわからないんだ、教えて?」
ヨトルヤ「わかんない? あなたのそういう無神経なところも嫌い!」
ウランド「ごめ、……えーと、うん」
ヨトルヤ「……何でうちに帰ってきたの」
ウランドはぽかんとヨトルヤを見つめた。
ヨトルヤ「二日も元カノと出張、おまけに服まで新しいものに着替えてきて」
そういうことか、とウランドは心の中でため息をついた。
ウランド「……まだ疑ってるの……どうしたら信じてくれる?」

ヨトルヤの投げたクッションがボカリとウランドの顔面に直撃した。
ヨトルヤ「……職場でもうあの人に関わらないで」
ウランド「……無理だよ、仕事だもの」
ヨトルヤはウランドを睨み付けた。
ヨトルヤ「あなたトランプで偉い人なんでしょ! 左遷だとか辞めさせるとか、なんだって出来るじゃない」
ウランドの声がワントーン低くなった。
ウランド「……ヨトルヤ、ちょっと意地悪だよ」
ヨトルヤは顔をゆがませ、見下すように鼻で笑った。
ヨトルヤ「……庇うのね」
イライラが増すヨトルヤの顔。ヨトルヤをたしなめたつもりが、どうもおかしな方向に解釈されたらしい。ウランドは困り果てた。
ウランド「違うって、どうしたの」
ヨトルヤは金切り声混じりに叫んだ。
ヨトルヤ「もう大嫌い! 出ていって!」
ウランド「……やだ、だって俺はヨトルヤが、」
ヨトルヤはズカズカとウランドの脇をすり抜け、寝室に入るとベッドの上に大きなカバンをとりだした。ウランドはギョッとした。

ウランド「ちょっとヨトルヤ!」
荷物をつめるのを遮らんとヨトルヤの両手を掴もうとしたが、先ほど触るなと言われたことを思い出し、ただ隣で荷物が詰め込まれる様子を見ていることしかできなかった。
ウランド「……どうしたらいいのかわからないよ」
ヨトルヤ「私もよ」
目も合わせず、ヨトルヤは玄関へ向かった。
ウランド「……」
静まり返った部屋。家には延期された遠征用の荷物を取りに立ち寄っただけだった。すぐに、職場に戻らなければならなかった。




太陽は頂点に登りかけ、午前中までにこなさなければならない仕事のため、デスクに向かうものの、ペンが一向に進まない。仕事に集中出来なかったことなど、これまでなかった。それがウランドを余計に混乱させていた。

ウランド(……この状態で遠征は結構しんどい)

執務室にノックが響いた。現れたのはグウェン。グウェンはいつものようにニコリと微笑み、デスクの前まで歩を進めた。
グウェン「あなたこれから遠征でしょ? 私これから昨日の報告書をキングに出すところだからついでに……」
そうして除き込んだ、まるで時間の止まったかのようなデスクの上に、グウェンは目を丸くした。いつも仕事の早いこの男が珍しい。
グウェン「あなたに限ってないとは思うけど、調子悪い?」
ウランドは窓の外を見た。
ウランド「そんなことないよ」
グウェン「そんなことあるじゃない、どうするの、これじゃ午後から遠征行けないんじゃないの」
それもそうだ、とウランドは今朝の出来事をポツポツと語った。もちろん、ヨトルヤの"暴言"を除いて。

グウェンは「ふーん」と腕を組んだ。ウランドはデスクに突っ伏した。
ウランド「どうしたらいいのかわかんない」
グウェン「そうね、少なくとも、」
ウランド「グウェン」
グウェンは机に突っ伏したままのライトブラウンのクセッ毛に目を落とした。
グウェン「なあに」
ウランド「…………この間さ、」
グウェン「うん」
ウランド「…………誘ってくれたよね」
グウェンは先日の単独行動(21. X話)の際にウランドを誘惑して断られたことを思い出した。そうして思わずクスリと思い出し笑いした。
グウェン「ええ、そうだったわね」
しばらくの沈黙。グウェンはただウランドの次の言葉を待った。
ウランド「…………今度、俺から誘っていい?」
グウェン「今度って」
ウランドは机に突っ伏したまま顔を横に傾け、すぐ隣に立つグウェンを見上げた。
ウランド「今」

グウェンとウランドの視線がかち合った。少しの間沈黙が続いた。

そしてグウェンはクスリと笑うと、美しい黒髪を耳にかけ、ウランドに顔を近づけた。




グウェン「私はいいけどあなた、火に油注ぐことになるわよ」

ウランドは体を起こし、両手で顔を覆いながら、深く長いため息をついた。

ウランド「……その通りだ」
グウェン「もう、昔っからそう、すぐそうやって女に依存するんだから」
ウランド「……そうだね、ごめん」
そして背もたれに身を預け、ボンヤリと中空を見つめた。
ウランド「多分、実家だから、謝ってくる」
グウェン「思ったんだけど、どうしてあなたが謝るの」

ウランドはキョトンとした。
ウランド「彼女に嫌な思いをさせているのは俺だから」
グウェンはヤレヤレとため息をついた。
グウェン「……それがその場しのぎってことよ、もう」
ウランド「え?」

グウェンは腕を組み替えニコリと笑った。
グウェン「あなたは彼女に謝"られなければならない"の、でなきゃ、彼女消化不良よ……もう積もりに積もってそうだけど」
ウランド「……そんなの待って、戻ってこなかったら……」
グウェンは声を上げて笑った。
グウェン「その時はその時よ! あなた大事にし過ぎて見失っているわ、彼女を信じることを」

なるほど、と思った。彼女はいろいろな要求や理不尽な怒りをぶつけてくるが、なぜかはわからないがそうさせているのは自分のせいなのだからと謝って、仲を取り持っていたと思っていた。だが、それが逆にヨトルヤにストレスをため込ませていたのか。どんなに打っても響かずただ吸収するだけのスポンジ。これまで元カノたちにはそんな遠慮はしたことなかったが、ヨトルヤが大切過ぎて、いろいろ見失っていることが多そうだ。

ウランドは再びグウェンを見上げ、微笑んだ。
ウランド「……人から言われて気づくことってあるもんだね」
グウェンも微笑み返すと、書類をひらひらと揺らした。
グウェン「じゃあ、自分のは自分で出してね、正午まで時間がないわよ」
ウランド「ありがとう」




ハートのキング執務室前、ノックをしようと手を伸ばした瞬間、扉が開いた。
現れたのは急いだ様子のカグヤ。

カグヤはウランドの手元に一瞬目をやった。
カグヤ「昨日の件か、デスクに置いておいてくれ、あとで目を通す、お前はそのまま遠征に行け」
カグヤの手元には、滅多にみることのないものがあった。

やっつけすぎ。。

ウランド「アーティファクトなど持ち出されて、如何されました」

カグヤはまっすぐとウランドを見上げ、答えた。
カグヤ「ミカエル元少将が殺害された」







―――  A.(魔導師暴漢被害事件8 ) ―――






2011.7.23 KurimCoroque(栗ムコロッケ)