心が静まる凛とした木の香り
鏡のように磨かれた床
真っ暗に閉めきられたカーテンから所々漏れる月明かり
Mt.ニードル流本家道場
門下が何十人も横一列で雑巾がけできそうな空間に、大師範の笑い声が響いた。
大師範「生憎だが」
大師範の背後の暗がりから、何かが蠢いているのを感じる。
大師範「"特別コース"の門下たちは皆"やる気"のある奴らばかりでな」
ウランドも笑った。
ウランド「やる気があるのはいいことですね」
音もなく、暗がりから飛び出した影は瞬く間にウランドとの間合いを詰め、その拳がウランドの鳩尾に伸びた。ウランドはそれを軽々と避け、その避け際に手刀を黒装束の首元へ打ち込んだ。そのまま背後から伸びたナイフを持つ腕を脇に捕らえ、クルリと半身を回して足をかけ、投げ飛ばし、ズダン、という床が割れんばかりの音と振動が道場に響いた。
そのウランドの軸足をかけてバランスを崩そうと、ウランドの足元に黒装束の足がかかった。そしてウランドの軸足をガッチリと捕らえたが、どうしたことか押しても引いてもビクともしない。軸足でないほうの足をプラプラとさせ、ウランドは笑った。
ウランド「どうされました?」
そしてそのまま、その黒装束の頭部にウランドの足が炸裂した。
アンジェラが気づいて近くのカーテンを開けるまでの、ほんの十数秒の間の出来事であった。ウランドの足元に横たわる三人の黒装束。
大師範は髭を撫で、ニヤリと笑った。
大師範「ほう、槍の名手だと聞いていたが」
ウランド「生憎ですが、魔導師以外の"人間"相手に武器を使用したことはありません」
大師範「お前に槍を振るわすほどの者がいないということか」
ゼラヴィはアンジェラを突き飛ばした。
アンジェラ「ゼラヴィ!?」
ゼラヴィは叫んだ。
ゼラヴィ「ハートのエース! アンジェラを連れて逃げて!」
大師範は横たわる黒装束らを満足げに見下ろすと、パチリと指を鳴らした。
途端に黒装束の男らはムクリと起き上がり、その体はボコボコと隆起し、みるみるうちに人間のシルエットからかけ離れていった。
アンジェラ「な……なに……」
ウランド「これは……」
黒装束を突き破り、岩のようにゴツゴツと突起した肌色は、所々の割れ目から青緑色の光を発し、筋肉のような岩が隆起した腕は倍に伸び、手長ザルのような姿に変貌した。

アンジェラ「ゼラヴィ!」
ゼラヴィの最早肌色の岩に埋まった瞳から一筋の涙が零れた。アンジェラは涙に濡れる瞳で大師範を睨み付けた。
アンジェラ「何をした!」
大師範はただただニヤニヤとするだけだった。
ウランド「……精霊障害の一種みたいですね、生体ゴーレムというやつですか」
精霊障害――体内の精霊のバランスが崩れ様々な身体症状が現れる障害
「うがあああ」
ウランドを取り囲んでいた三人の門下生たちは一斉にウランドに襲いかかった。
複雑に絡み合う長い手足をスルスルと木の葉のように避け、握った拳が一人の鳩尾に命中した。
ガン、という鈍く硬い音を立て、肌色の岩は宙に浮いた。
横たわったその鳩尾には僅かに掠れた血の跡。残り二人の門下生の追撃を避けながら、ウランドは血に染まった右手をブラブラと振った。
ウランド(思ったより痛かった……)
ウランドに殴り飛ばされた一人は何事もなかったかのようにムクリと起き上がった。
三人の門下生たちと距離を取り、ウランドは両手を腰に当て首を鳴らすとニヤリと笑った。
アンジェラ「ゼラヴィ!」
ゼラヴィ「僕はもう人じゃない……人じゃないんだ……」
ゴツゴツとした岩のような両手でアンジェラの視線から逃れるように顔を覆い、ゼラヴィはその場で膝をついた。
震える肩にふわりと掛かる温もり。アンジェラはゼラヴィの頭を被うように優しく抱きしめた。
アンジェラ「……あなたがあなたであれば、私はそれでいい」
ゼラヴィは首を振った。
ゼラヴィ「僕は君のお父さんを……」
抱きしめるアンジェラの腕に力がこもった。
アンジェラ「無事よ、二人で謝りに行きましょう、……これが終わったら」
アンジェラは槍を手にとった。
ウランド「……ん?」
門下生たちの壁の後ろで対峙する大師範とアンジェラ。アンジェラの手には槍。
ウランド(あの勢いは参考人を殺しかねない!)
「アンジェラさん、待ってください!」
アンジェラの元へ駆けつけることを阻止せんと、門下生たちが一斉に飛びかかった。
ウランド「すみませんが、急ぎなので」
うち一人の眉間にウランドの掌底がめり込んだ。視界がまわる。その門下生は白目を向いて膝から崩れ落ちた。それをヒョイと飛び越え、大師範とアンジェラの槍の切っ先に割って入った。
ウランド「アンジェラさん、落ち着いてください、治癒魔法使いの仲間が来ています、ゼラヴィさんを診てもらいましょう」
アンジェラは大師範から視線を外さなかった。
アンジェラ「私たちの幸せを、こいつがメチャクチャにしたんだ! 私はこいつを許すことは出来ない!」
ウランド「許せとは一言も申し上げていません、私に任せて頂きたいだけです」
アンジェラ「イヤだ!」
ウランドはため息をついた。
ウランド「父親に似て頑固なところは変わりませんね……」
そうしてクルリと半身を返し、後ろから音もなく襲いかかってきた門下生の腹に強烈な蹴りを打ち込んだ。ズン、という振動音とともに門下生は仰向けに倒れた。
大師範「随分軽々と倒してくれるな」
ウランド「表面がダメであれば"中身"にダメージを与える、表層の分厚い"魔物"に対する個人的なセオリーです」
大師範「ハッハッハ! 力づくということか」
ウランド「が……人間にも有効だとは思いませんでした」
大師範は込み上げる笑いを噛み殺し、笑みで歪む顔を押さえこむようにニヤリと笑った。
大師範「人間とな、この化け物のような姿でか?」
ゼラヴィの嗚咽が聞こえた。
アンジェラ「ゼラヴィは人間だ! 姿など関係ない! 人間の皮を被った化け物は貴様だ!」
アンジェラは槍を構え大師範に飛びかかった。
ウランド「ああっ! 待ってくださいアンジェラさん!」
止めに入ろうとしたウランドを背後から岩のような長い腕が羽交い締めにした。
ウランド「ちょうどいいところに」
羽交い絞めにしてきた門下生の足を蹴り上げ、バランスを崩したところでその門下生の体は宙に浮いた。
アンジェラの目の前で、あとほんの数十センチまで迫っていた大師範は肌色の岩に押し潰されるように吹き飛ばされた。
アンジェラ「ウラ兄! 邪魔しないでよ!」
ウランド「無茶言わないでください」
そして、ゼラヴィに視線を向けた。
ウランド「ゼラヴィさん、貴方のオテンバ姫を少し大人しくさせていただけますか」
アンジェラ「オテンバってなんだよ! いつまでたっても子ども扱いして!」
ウランド「心外ですね、私がいつそのような失礼な扱いをいたしましたか?」
アンジェラ「今だよ今! たった今!」
ゼラヴィ「あ、アンジェラ、ハートのエースと知り合いなの?」
アンジェラ「ああ、あのね、」
ドガン!
バラバラと音を立てて道場の壁に穴が開き、外気が道場内に流れ込んだ。道場を囲む塀にめり込んでいるのは、さきほどウランドが大師範に向け投げ飛ばした門下生。――道場の奥、暗がりに光る青緑の瞳。
ゼラヴィ「アンジェラ!」
アンジェラを守るように覆い被さった肌色の岩に、人間の腕ほどの長さの鋭い鉤爪が襲った。
ガン!
鈍い音とともに飛び散る赤い飛沫。
ゼラヴィ「……? 痛くな、」
大師範「なるほど魔導師の鑑だな」
頭上を見上げたゼラヴィの頬に、一筋の血が滴った。
アンジェラ「ウラ兄!」
十字に重ねた腕で、頭上から降ってきた鉤爪を受け止めたが、肌色の岩の巨体を壁を突き破るほど投げ飛ばす怪力を、そのまま頭上から受け止めたウランドの両足は木製の床を割っていた。
ウランド(……これはさすがにちょっと痛い)
そのままその鉤爪を捉えようとクルリと半身を返したが、鉤爪は直ぐ様道場奥の暗がりに引っ込められた。その一瞬、チラリと見えた鉤爪の伸びる長い腕は桃色がかった白っぽい灰色の体毛で覆われていた。
それを捉えようと伸ばした手の中から、ボタボタと真っ赤な血が溢れた。
幾つかむしりとったその竹串のような体毛は鋼のように固く、針のように鋭利だった。
ウランドは掌のそれを引き抜きながらため息をついた。
ウランド「私がまだ若ければ前言撤回していたところですが、歳をとると本当、頑固になるものですね」
暗がりの奥から嗄れた、だが愉快そうな声が道場に響いた。
大師範「頑固とな?」
手に刺さった針を全て抜き、その場に放り捨てると、指をボキボキと鳴らした。
ウランド「証明して差し上げると申し上げたのです、化け物ではなくあなたはただの人であるということを」
大師範は豪快に笑い、そしてゼラヴィに視線を向けた。
大師範「そいつらは化け物だがな、私は違う」
ゼラヴィ「何がどう違うっていうんだ!」
暗がりから、月明かりの差し込む壊された壁の前に、ゆっくりと現れたその姿にゼラヴィは息が止まった。
桃色がかった灰色の針のような体毛、胴体の倍はあろうかという長い腕、その先についた人間の腕ほどの長さの鋭利な鉤爪、天井までつく肩、前につき出した頭とさらにつき出した鼻に、犬のように大きく裂けた口、猿のように長い尾――
大師範「人を超越した最強の、"超人"だ」
青緑の瞳に、口に手を当て、笑いを堪えるウランドの姿が映った。
大師範「……何が可笑しい」
ウランド「では前言撤回です」
ウランドは拳を構えた。
ウランド「どんな"
大師範「おもしろい、やってみろ」
――― A.(魔導師暴漢被害事件6 ) ―――
2011.7.9 KurimCoroque(栗ムコロッケ)