22.2.魔導師暴漢被害事件1 back


穏やかな昼下がり。

その日は待ちに待った特別な日。
娘の帰省の日。

初老の妻はいつものコーヒーをいつもの時間に夫の書斎に持ってきた。

だが、その日はいつもと違っていた。ノックをすると聞こえるいつもの返事がない。妻は首を傾げ、書斎の扉を開けた。

目の前に広がる光景に、持っていたカップは滑り落ちた。




ウランド「ヨトルヤ〜」

ヨトルヤ「……」

ウランド「あの……ヨトルヤさん」

ヨトルヤ「どちら様?」

ウランドに向けられた冷たい笑み。今日は他国の案件解決のための遠征の日。少し早めの出勤を予定していたが、シャツのボタンが外れかけており、取り付けてもらおうと慌ててまだベッドの中だったヨトルヤを起こした。だがどうにも婚約者の機嫌が悪い。その理由にウランドは心当たりがあった。

ウランド「早い時間にごめん、ボタン付けてほしいんだけど」
ヨトルヤはゴロリと寝返り、ウランドに背を向けた。
ヨトルヤ「"彼女"につけてもらえば、色黒の」
元カノである"グウェン"にお節介を焼いたことで、何かを疑っているらしい。
ウランド「俺の彼女は今目の前で布団にくるまってる人ですけど」
ヨトルヤ「何番目の、かしらね」
ウランドはぽりぽりと頭を掻いた。
ウランド「ええと、他のシャツが見当たらないんだけど」
ヨトルヤ「クリーニングに出してるんじゃないかしらねー……なんか枚数減ってるみたいですけど、彼女の家に置いてきたの使えば?」
枚数が減っているのは戦いで血まみれになったり無惨に裂かれたりしたもので、ヨトルヤに心配かけぬよう廃棄したためだった。だがそれでは怪しまれるため廃棄した分は新しいものを買い、着て帰っていた。そのうちたまたま一枚すり替え忘れたようだが、それがいつのタイミングの話かなど、多忙なウランドには分からなかった。
ウランド「……俺の彼女の家はここだけなんだけど」
ヨトルヤ「うそつき」
ウランド「ほんとだよ」
そうこうしているうちに時間は差し迫っていく。ウランドは諦めて玄関へ向かった。靴を履き、ドアノブに手をかけた時だった。

「しょうがないわね」

振り向くと裁縫道具を手にしたヨトルヤ。徐にウランドのシャツに手をかけ、針を通した。
ヨトルヤ「動かないでよ?」

ねおき

ウランド「……」
ウランドはヨトルヤの顎を持ち上げた。
ヨトルヤ「ちょっと! 動かないでって言ったでしょ」
ウランド「むり」
そのまま顔を近づけ……かけたその時

ガンガンガン

乱暴になる呼び鈴。朝っぱらから、新聞の勧誘か何かだろうか?ウランドは顔をしかめ、玄関を開けた。
ウランド「今何時だと思っ」
開いた先には褐色の肌に美しいカールがかった黒髪――クラブ軍中佐グウェンだった。ウランドはキョトンとグウェンを見つめた。




昨日(21.X話)の今日だ、やはり出勤しづらいのか?といった内容の声をかけようとしたが、先に口を開いたのはグウェンだった。
グウェン「重大事件発生よ、すぐ本部に出て」
ウランドは心の中でため息をついた。出勤しづらいなんて、そんな繊細な女ではない。むしろ一番早く出て迷惑をかけた分を挽回する、そんな女だ。ウランドの心のため息は安堵のため息だった。自然と口の端は上がった。
ウランド「……わかった」
そうして家の中を振り返った。
ウランド「急ぎみたいだから、ボタンは帰ってからでいいや」
ヨトルヤの視線は冷ややかだった。
ウランド「!?」
    (今度はなんで!?)
グウェン「ほら早く!」
硬直するウランドの腕を引っ張り、グウェンは走った。ヨトルヤはポツリとつぶやいた。
ヨトルヤ「……嬉しそうに鼻の下伸ばしちゃって」




まだ大半が出勤前のトランプ本部 ハートのキング執務室――

ウランド「ミカエル元少将宅に強盗……」
にわかに信じがたい話だった。豪傑と知られ、引退をかなり惜しまれた実力者だった。そのミカエル元少将は瀕死の重症。ただの強盗でないことは明らかだった。しかもその盗んだ品がさらに事件をやっかいなものにしていた。

グウェン「アーティファクト"ダグダの魔釜"」
毒物を撒き散らす非常に危険なアーティファクトである。悪用されぬよう、実力あるマドウシに危険なアーティファクトの管理を任せることはよくある話でこのアーティファクトもそのうちの一つであった。

さらに、諜報であるグウェンがここまで出てきていることに、ウランドは思い当たる節があった。
グウェンが追っている事件、"マドウシ連続失踪事件"の被害者はマドウシ界の実力者やアーティファクト持ちのマドウシばかりであった。

ウランド「ミカエル元少将は」
グウェン「重体だけど意識はあるらしい。話を聞きにいかなくてはならないわ。ハートのキング!」
グウェンはデスクで深く椅子に腰掛け、眉間に皺を寄せて固く目を瞑っているカグヤに目を向けた。
カグヤは静かに目を開くと、まっすぐにウランドを見据えた。
カグヤ「サポートにグウェン中佐をつける、3日以内にアーティファクトを回収しろ」
ウランドはいつもの低くボソボソとした口調で短く答えた。
ウランド「了解」




ミカエル元少将が入院する病院は朝から診察待ちの人々でごった返していた。

面会時間は決められており重症患者ということで例外は認められなかった。案内をまつ間、待合室の壁際で待っていたとき、グウェンは気付いた。
グウェン「あら、ボタンとれかけてるわよ」
落ち着きなくキョロキョロと辺りを見回していたウランドはとれかけたボタンの辺りを擦った。
ウランド「ああ、気にしなくていいよ」
グウェン「だらしがないわね、つけてあげるわ」
ウランドは笑った。
ウランド「このままにしておいて、楽しみだから」
グウェン「?」

看護師から声がかかった。
二人は病室へと向かった。






―――  A.(魔導師暴漢被害事件1 ) ―――






2011.6.4 KurimCoroque(栗ムコロッケ)