2010.X.クリスマス企画―A.― back


トランプの朝は早い。

若い隊員たちは隊の垣根を超え、早朝の本部の清掃を行うのが日課だった。

「あれ?エース、どうされたのですか?その顔…」

隊員が思わず声をかけたのはちょうど本部へ出勤してきたハートのエース、ウランド・ヴァン・ウィンクル。

ウランドの頬にはくっきりと真っ赤な掌の痕。

ウランド「…へっくし!」

ウランドは鼻をすすった。

ウランド「…ちょっといろいろあって」

「…しかも風邪ですか?」

ウランド「仕事には問題ないよ、けど体調管理もできないなんて、エース失格だな」

隊員はとんでもないと首を振った。

ウランドは二コリとほほ笑んでその隊員の肩をぽんと叩くと本部へ入って行った。





就業開始から小一時間。

ハートのキングの執務室にノックの音が響いた。

入ってきたのは秘書官。

秘書「キング、お客様です。」

ハートのキング――イチマツ・カグヤは書類に目を落したまま答えた。

カグヤ「この時間にアポはないハズだが」

秘書「その…アポなしで…女性の方なのですが」

先日の記者か。

カグヤは溜息をついた。

カグヤ「エースは」

秘書はおずおずと申し出た。

秘書「…その…女性がどうしてもキングにと…」

カグヤは席を立った。


        


応接室のドアを開くと、
フェミニンな服装のロングヘアの女性。

この間の記者エルージュではない。

カグヤはきょとんとした。

女性とは面識がなかった。

カグヤ「…お待たせしました。私がハートのキング、カグヤ・イチマツです。」

低く凛々しい声を聞くや、
ロングヘアの女性は入室してきたカグヤの姿を頭のてっぺんからつま先までジロジロと見た。

カグヤ「?」

カグヤは女性の向かい側のソファに掛けた。

カグヤ「…失礼、どちら様でしょうか」

ヨトルヤ「ヨトルヤ・ドラグニクと申します。」

カグヤはその名前に聞き覚えがあった。

カグヤ「…ドラグニク?"ウィンクル"ではなくですか?」

ヨトルヤはカグヤをにらみつけた。

ヨトルヤ「あなたのせいで"ウィンクル"と名乗れないんですよ、カグヤさん」

カグヤは背筋を伸ばした。





ウランド「あ、ちょっと」

呼び止められた秘書官はウランドの顔を見、目を見開いた。

秘書「どうしたんですか、その顔」

明らかに平手打ちの痕。

先日不倫扱いした記者との件に、秘書官はわずかに罪悪感を感じた。

ウランド「あー…それより、キング見かけなかった」

秘書「キングはただ今お客様の応対中です」

ウランド「…?今日は午前にアポはなかったはずだが」

秘書「アポなしなんです」

ウランドは先日の記者の時のことが脳裏をよぎった。

ウランド「…まさか女性?」

秘書「…ええ」

ウランドは応接室へ急いだ。


        
        
        
ヨトルヤ「なぜ彼を辞めさせてくれないのですか?死んだりしたらどうしてくれるんです!」

カグヤ「今は状況がとても悪いのです、ウィンクル氏の力がどうしても必要…」

ヨトルヤは立ち上がった。

ヨトルヤ「そうして何年も退職が先延ばしじゃない!」

カグヤは目を伏せた。

ヨトルヤ「子どもだって作れないんだから!私もう35なのよ!?このままおばあちゃんにするつもり!?」

カグヤ「貴女にもウィンクル氏にも悪いとは感じております…何年も」

ヨトルヤは拳を握りしめた。


応接室のドアが勢いよく開いた。

ウランド「エルージュ!貴女また…」

ウランドは目の前の光景に、持っていた書類を思わずバサバサと落した。

目の前に広がるは、自らの上司と、その上司に掴みかかる自らの妻…になる予定の女性。

ウランドは真っ青になった。

ウランド「ヨトルヤ!何してるんだ!」

ヨトルヤ「…エルージュって、誰よ」

ウランド「昨日話したでしょ」

ヨトルヤはウランドと視線を合わせなかった。

ヨトルヤ「ああ、キスしたって女の人、どうしてその人が来てると思ったのかしら」

ウランド「…帰ってからゆっくり話そう」

ウランドはヨトルヤに手を伸ばした。

ヨトルヤは身構えた。

カグヤ「ウランド」

ウランドは手を止めた。

カグヤ「貴様、上司の客人の前で何たる無礼か」

ウランド「…ただの夫婦喧嘩です、キングのお手を煩わせるわけには」

カグヤの柳眉が逆立った。

カグヤ「口答えするな、出ていけ」

ウランド「しかしキング」

カグヤはさらに声が低くなった。

カグヤ「…出ていけと言っているのが聞こえんのか」

ウランド「…」

ウランドは踵を返した。

ヨトルヤの目が潤んだ。

出入り口付近で落した書類を集め、立ち上がろうとしたその時だった。

バシッ!

ウランドはヨトルヤのバッグで後頭部を思い切りひっぱたかれた。

ヨトルヤはそのままツカツカと出て行ってしまった。

後を追おうとするウランドを、カグヤは呼びとめた。

カグヤ「就業時間中だ、職務を放棄するつもりか」

先日のエルージュの件の単独行動から、ウランドへの監視の目は厳しくなっていた。

もちろんウランドの自業自得だが。

ウランドは足をとめた。

ウランド「………いいえ、…それよりキング、ちょうどお伺いしようとしておりました」

カグヤ「その書類の件だな、"客人を見送ったら"執務室で聞こう」

応接室を出た2人は、ドアのすぐそばで立っていた女性に目を丸くした。

女性はしまったとわざとおどけて見せた。

マリア「ハロー、なーんかタイミング悪く楽しそうな時にきちゃったわねぇ」

カグヤ「…マスター・マリア」


        
        
        
        
再び応接室。

カグヤとマリアは向かい合いにソファに掛けた。

ウランドはテーブルにコーヒーを置いた。

一礼して出て行こうとするウランドへ、マリアが呼び止めた。

マリア「あんたが座んないと意味ないじゃない、ほら、自分の分のコーヒーももってらっしゃい」

ウランドはきょとんとした。

ウランド「はあ…?」


カグヤ「またアポなしですか」

マリアは笑った。

マリア「こないだシェンくんにちゃんとアポとれって言われたの忘れててさ〜!」

久しぶりに聞くシェンの名に、カグヤの目が泳いだ。

マリア「いつものごとく、暇つぶしに来たんだけど、今日のターゲットはあんたね、ウランド」

ウランドはコーヒーを置き、しぶしぶとカグヤの隣へ腰を落した。

ウランド「ターゲット?」

マリアはコーヒーをすすった。

マリア「実は、さっきの一連のシュラバに聞く耳立てててさあ」

ウランドはぼそりとつぶやいた。

ウランド「…あいかわらず行儀の悪い方ですね」

ゴン

カグヤの拳がウランドの後頭部に命中した。

マリアはニヤリと笑った。

マリア「カグヤ、あんた上司としてきちんと奥さんに話そうとしていたのよね」

カグヤ「…そうですね」

マリアはニヤニヤとしながら腕を組んだ。

マリア「あれは取り付く島なかったと思うよ〜!女は感情の生き物だからねえ!
    で、ウランド、あんたのそのほっぺのモミジマークは?」
    
ウランド「…昨日取材を受けた女性記者とちょっといろいろありまして」

マリアは嬉しそうにウランドを指差した。

マリア「そうそう!それ!本当はそれを今日聞きに来たんだけどねー!で?」

ウランド「…昨日のうちに婚約者に話したのですが、うまく伝わらなかったようで、
     平手打ち食らって外に締め出されました」

マリアは笑いを堪えた。

マリア「…なんでわざわざ話すのよ…」

ウランド「…隠し事はしないと決めています」

カグヤは腕を組んだ。

カグヤ「上司に対してもそのくらい誠実であってほしいものだ」

ウランドは組んだ足をブラブラとさせて天井を見た。

ウランド「仕事とプライベートは切り分けてます」 ←反省の色がまったく見えない。

カグヤ「…もう一遍殴っていいか」

マリア「しっかし、ずいぶんとまあヒステリックな彼女ね、無理もないけど。
    今日はそこらへんをお土産にくれたら帰るわ」
    
ウランド「…そこらへんというのは?」

マリアはウインクした。

マリア「な・れ・そ・め」

ウランドは溜息をついてカグヤを見た。

カグヤは早く帰ってほしいからとっとと話してしまえという視線を送った。

ウランド「…別にごくごくありきたりですよ」

マリア「最初の出会いは?」

ウランド「…学生時代、先輩に地元の彼女ができて、
     そのお披露目会みたいなものに顔を出したときです」

マリア「お披露目会に来ていた女の子ってこと」

ウランド「ええ」

マリアとカグヤはふーんと同時にコーヒーをすすった。

ウランド「…その先輩の彼女です」

マリア&カグヤ「ブーーーーーーッ」

2人は同時にコーヒーを噴き出した。

マリア「ゲホッ…はい?」


        


ウランド「…アカデミー入学当初、私は大変落ち着きのない子どもだったようで」

カグヤ「大人になってからもな」

ウランド「しょっちゅう先生方に怒られていました」

マリアは笑った。

マリア(あー、たしかに言ってたわ、ガルフィンやらジャイブのやつが、"すごく"手のかかるヤツだったって)

ウランド「怒られっぱなしだったせいか、ちょっとグレちゃいましてね」

マリア「いま"ちょっと"って言わなかった?」

ウランドは目を細めた。

ウランド「そんなある日、マスター・ジャイブのゼミで一緒になったのがその先輩でした。」

マリア「…彼女のこと聞いてんだけど」

ウランド「…その先輩はスペードのキングのように非常に明るくて、常に仲間の中心にいる人物でした」

常にみんなの中心にいて、
常にみんなのことを考えていて、
グレていた俺にはまぶしかった。

そんな俺にも分け隔てなく接してくれて、
一緒に苦しい修行を乗り越え、同じだけ一緒に悪さもした。

本当に尊敬していた。

そんなある日だった。


        
        
        
 ――ウランド 18歳

「おい、ウランド、聞け」

連休明け早々、授業の準備をしていた俺に、先輩は目を輝かせてやってきた。

「俺、彼女できた」

「…へえ、おめでとうございます」

「今度みんなに紹介してやっから、絶対こいよな!」

そう言って先輩は朝から友人中に言いまわっているらしい。

先輩命令は絶対で、逆らえば後がひどかったし、特に興味はなかったが、
メシをおごってもらえることもあり、その"お披露目会"に顔を出した。

そのお披露目会でちょうど俺の正面に座っていたのがヨトルヤだった。

周りの仲間が笑った。

「ウランド!こんな日くらい落ち着いて食えよ!」

「こいつホント落ち着きなくってさあ!」

しらねぇよ、仕方ないだろ、生まれつきなんだよ。
大人たちから怒られて、直そうとして、でも直らなくて、周囲に呆れられる。
ずっとそうだったのだ。

ところが、ヨトルヤの笑みは違った。

ヨトルヤ「彼氏から君のことは聞いてるよ、無理して直そうとしなくて大丈夫だからね、ウランドくん」

ヨトルヤの笑みは受容の笑みだった。

"恋に落ちる"

その意味が初めて分かった。


        


「おい、ウランド」

ある日、先輩はニヤリとしながら話しかけてきた。

「おまえ、何回人の彼女に告ってんだよ、いくらやったって無駄だよ」

今日の槍術の実践授業で負けたらもう諦めろ。
そう言って迎えたゼミでの実践授業。
2人一組で槍に見立てた棒で勝負、
負けたほうは授業が終わるまでに校舎1000周。

先輩は当然のように俺と組んだ。

実技やテストというものになぜかやる気を出せなかった俺はいつも落第ギリギリの綱渡り。

周囲も結果は見えていると大して注目していなかった。

先輩のことを尊敬していた。本当に。
先輩の動きは全部見えていたし、少しやる気を出せば、悪いけど勝てた。
けど、先輩とその彼女の幸せそうな姿が頭をよぎる。
俺は明らかに邪魔ものだった。わかってた。

結局授業の終わりまで校舎を1000周走りきることができず、
便所掃除となった。

「ようウランド、予想通りサボってんな」

バケツを手にした先輩。

先輩は何の気なしに俺の目の前で便所掃除をはじめた。

「なにしてるんスか、勝ったのに」

「便所掃除は趣味なんだよ」

「じゃあ、先輩におまかせしていいですか」

「アホか」

先輩はトイレの床をブラシで磨き始めた。

「うらみっこなしな、俺も…多分お前よりヨトルヤのこと好きだ」

「…別に」

先輩は言った。
ヨトルヤは幼い時に事故で自分をかばい父親を亡くした。
つらい過去を乗り越え、懸命に生きる姿に守りたい、そう思った、と。

別に好きになった理由なんて聞いていないのに、
まあ、追い打ちをかけられたということか。

タイミングというのは残酷なものだ。


        


――ウランド 20歳

先輩はトランプへの就職が決まり、
再びヨトルヤを交えての祝賀会が開かれた。

その日、ヨトルヤは俺と目を合わせようとしなかった。

「みんな聞け!おれは30までにトランプの大佐になる!」

歓声が上がった。

先輩はヨトルヤを見た。

「そうしたらヨトルヤ!俺と結婚してくれ!」

周囲は期待を込めてヨトルヤに視線を注いだ。
ヨトルヤは不安そうな顔で俯いた。
先輩は言った後で慌てた。

「あ、30ってのはごめん、でも厳しいトランプで仕事も生活も確立するってのでけじめのつもり、
 もし待てなかったら…」
 
「うん、待てない」

周囲は息をのんだ。

「…妊娠、3か月だってさ」

一瞬の静寂のあと、再び、今度はより大きく歓声が上がった。

先輩は嬉しそうにヨトルヤを抱きしめた。

受け入れられたその時のヨトルヤの、あの幸せそうな顔は、今でもしっかり目に焼き付いている。


マリア「ちょ…ちょっとちょっと、妊娠!?完全にデキ婚コースじゃない」

ウランドはコーヒーをすすった。

ウランド「…ええ、まあ、悔しさ半分、嬉しさ半分ですね、
     我ながら女々しいですが、18で出会ってから20のその時まで、ずっと好きでした」
     
カグヤ「…」

マリア「…えーと、どうやったら今の状態につながるのかさっぱりなんだけど」

ウランドは淡々と答えた。

ウランド「…彼女が妊娠9か月の時、その先輩は殉職しました」

マリア「…!」

カグヤ「…」


        


旦那の殉職の精神的ショックからか、彼女は流産した。


「…ウランドのやつ、今日も行くのかよ」

平日、学外を抜け出すのは規則違反だった。
けど、いてもたってもいられなかった。
俺は毎晩何をするというわけでもなく彼女の病室に通った。
俺にとって先輩の死はかなりの精神的ダメージだった。
彼女を慰めるような余裕はなく、
悲しみを共有できる唯一の人、
そう思って、ただ、傷をなめあう時間を共有しに行っていただけだった。


病室の窓が開いた。

ヨトルヤは俯いたまま口を開いた。

「…また来たの」

「…暇で」

その夜のヨトルヤは様子が違った。
寝たきりだった彼女が目を真っ赤にはらし、ベットから起き上がっていた。

「…夫も子どももなくした私を、みんな腫れ物に触るよう」

「…うん、まあ、そうだろうね、どう接したらいいのかみんなわからない」

「…あいかわらずデリカシーないな」

「…よく言われる」

「…でも、ズバズバ言っちゃうけど、結局親身なんだよね、ウランドくんて」

「…そうかな」

「…私みたいな女、やめときなよ」

俺は彼女の言った意味がわからなかった。

「…お父さんも、旦那も、…生まれてくるはずだった………息子も、
 私にかかわる男はみんな死んじゃう」
 
「…」

ヨトルヤは泣きはらした顔で自嘲的に笑んだ。

「ウランドくんも、わたしといたら死んじゃうよ」

なんでそうなったのか、全然覚えてないけど、
気がついたときにはヨトルヤを抱きしめていた。

「…死なないよ、俺が証明してみせる」

「どうやって」

彼女の顔を見据えた。

「約束する、ヨトルヤが30になるまでに、必ず生きてトランプの大佐になる」

ヨトルヤは笑った。

「落第スレスレでトランプに入れるかも怪しいじゃない」

「これが最後でいい、俺を信じて」

開いたままの窓から夜風が入り、カーテンが開かれ、背後には輝く満月。

「俺と、結婚を前提に付き合ってください」


        


ウランド「…まあ、旦那と息子を亡くした直後の女性に言う言葉じゃないですよね、さすがに反省して先輩の墓前に謝罪しましたが」

マリア「わかってて言ったなら確信犯ね」

ウランド「その時はこっぴどく拒絶されて、…結局付き合うようになったのはその1年後でしたけどね」

マリア「亡くなった先輩に謝罪したんじゃないの」

ウランド「ええ、槍術の実技の時に負けたのであきらめろと言われていたのに、結局まだあきらめていなかったことに対しての謝罪です」

マリア「…ほんと図太いわね〜」

カグヤ「…」

マリアはコーヒーをすすった。

マリア「しかし、あんたひどい目にしか遭ってないじゃない、
    ホントに好きなのねえ、"初めての彼女だから"とかだったらちょっと盲目的だと思うわよ?」

ウランドはきょとんとした。

ウランド「初めて?」

カグヤ「…」

マリア「あれ?違うの?」

ウランド「ええ、その前に何人かは…その"お披露目会"の当時も別に付き合っていた女性はいました」

マリア「ええと?」

ウランドはコーヒーをすすった。

ウランド「ああ、彼女を好きになったので、きちんと別れました」

カグヤ「…不潔」

ウランドはむせ込んだ。

ウランド「いやいや、きちんと誠意をこめて話し合ったうえでの別れですよ!変にこじれてはいません」

マリアはヒュウ♪と口笛を吹いた。

マリア「モテ男〜!」

ウランド「からかわないでください!ただ単に私は彼女に対して盲目的ではないと言いたいだけです!」

マリア「なんでまだ結婚しないの?」

ウランドは苦い顔をした。

ウランド「…なれそめとは関係ないじゃないですか」

マリアは唇を尖らせた。

マリア「彼女が30になったら結婚って言ったのに、約束を果たしてないじゃない」

ウランド(…べつに30になったら結婚するとは一言も言ってませんが…)
    「…その前に今の地位についたので、正直それどころではなかったのと」
    
マリア「ひどーい!」

ウランド「…彼女は私が死ぬのが怖いんです」

マリアはどういうこと?という視線を向けた。

ウランド「トランプを辞めて安全で安定した職に就くまでは結婚しないと言われています」

カグヤは目を伏せた。

マリアはそのあとに用意していたいくつもの質問を投げかけることを取りやめた。
ウランドが結婚しない、いや、できない理由を話すのをためらったワケがわかったからだった。
マリアはカグヤを見た。

ウランド「…キング、この間も申し上げましたが、あなたはご自分の仕事をこなしていただければそれでいい、
     気に病むことなど何一つありませんよ」
     
カグヤは目を開け、まっすぐ前を見据えた。

カグヤ「当然だ、トランプは身内のQOLまで考える必要はない、世界のために尽くす、それだけだ」

ウランドは笑った。

本当に頼もしい上司だ。
年下ではあるがこの上司のことは本当に信頼できる。たまにあの先輩と重なるくらいだ。

カグヤはウランドを見た。

カグヤ「単独行動は許さぬが、休暇までは別に制限しておらん」

ウランドはきょとんとカグヤを見た。

カグヤ「午前中にその書類の整理が終わったら、午後は休暇の取得を許可する」

マリアは笑った。


        
        
        
普段、日付を超えて帰ってくるか来ないかの婚約者が、
その日は昼過ぎに帰ってきた。
玄関先で、ヨトルヤはその"絶対ありえない現象"に思わず声が上ずった。

ヨトルヤ「どうしたの!?」

ウランド「…今日は…ちょっと風邪で…午後は休暇もらった」

ヨトルヤはそっぽを向いた。

ヨトルヤ「わたしのせいよね、その風邪」

ウランドはぎくりとした。

ウランド「ええと、違うよ、その…遠征先でうつされたんだ」

ウランドは鼻をすすった。

ヨトルヤ「じゃあ、寝てれば、わたし知らないから、不倫男なんて」

ヨトルヤは部屋の奥へ戻って行った。

ウランドはヨトルヤを追った。

ウランド「…風邪は一晩寝れば治る」

ヨトルヤ「あなた、体だけは丈夫だものね」

ウランド「…だから、これからちょっと出かけない?」

平日休日昼夜問わず働きづめ、最近は家は"寝に帰ってくるところ"と化していた生活。

そんな中、こんなに外が明るい時間から、起きているこの男と、ともに時間を過ごすのは本当に久しぶりとなる。

ヨトルヤは背を向けた。

ヨトルヤ「どうせいつもの機嫌取りでしょ」

ヨトルヤは背を向けたまま目に涙をためた。

いつからこんなにこの男にここまで甘えるようになったのか。

叱ることはあっても、決してヨトルヤを責めるということはしない、
そんなウランドへ、自分はやりたい放題だ。

いつ呆れられてもしかたない。

だが、今回は、女性記者と、無理矢理とは言っていたもののキスをした、
そのことに、いつかこんな自分は見放されるのではと常日頃考えているヨトルヤは疎外感を感じた。
同時にいつも自分に甘いウランドが自分を裏切った、そのことが許せなかった。

ウランド「…今は、本当に忙しくて、すぐにトランプを辞めることはできない」

この期に及んでまた仕事の話か、
ヨトルヤはうんざりした。

ウランド「けど、」

ヨトルヤ「…もう、疲れたよ、ウランドくん」

ヨトルヤは深呼吸した。

ヨトルヤ「別れよう」

背後にいるウランドからしばらく返事はなかった。

ウランド「…疲れさせてごめん」

ヨトルヤ(そこ!?別れようって、今、わたし言ったのよ!?)

ウランド「けど、俺、ヨトルヤが"いないと"きっと死んじゃうと思うんだ」

トランプの隊員として数々の地獄を見てきた。
だが、この年まで無事に生きてこられたのは君のおかげ、
そういう思いがこもっていた。

ヨトルヤ(生きてこれたのはあなたの実力じゃない、なんでわたし…)

ヨトルヤはあふれる涙を抑えることができなかった。

ウランドはヨトルヤの頭をなでた。

ウランド「ヨトルヤがいたから、どんな現場でも死んじゃいけないって思って切り抜けてこれた、
     きみのおかげなのは、本当に本当だよ、だから、お願いだから別れようだなんて言わないで」

ヨトルヤはウランドの胸板に顔をうずめた。

ヨトルヤ「ごめん!嘘!他の女の人とキスしたのが許せなかったの!」

ウランドは脂汗をかいた。

ウランド「…すんません」

ヨトルヤ「さっき出かけるっていったよね」

ウランド「うん」

ヨトルヤ「今日はデート中に居眠り絶対禁止だからね!」

ウランドは心外だと顔をしかめた。

ウランド「…居眠りとかしてないし」

ヨトルヤ「そりゃ寝てる本人は気付かないでしょうけど」


       
       
       ―――クリスマス特別編(A.)―――
       
       
       
       
       
       2010.12.25 KurimCoroque(栗ムコロッケ)