18.2.魔導師強盗殺人事件 back


そのバーはその夜も常連で賑わっていた。

ただ一つ、いつもと違ったのは
余所者が一人、カウンターにいたことだった。

看板娘がその余所者に酒を出した。

「どちらから?」

余所者はクロブチメガネを拭きながら独特の低くボソボソとした口調で答えた。

「…ヴァルハラ帝国からです」

「まあ、都会から」

「…いえ、帝国といっても山奥からでして」

看板娘はにっこりと笑った。

「奇遇ですね!うちの旦那も帝国出身らしいのですが山奥の出らしく」

余所者はクロブチメガネをかけ、一瞬酒に手を伸ばしたが、その手を止めた。

「…お若いのに結婚されているのですか、
 旦那さんは帝国のどのあたりのご出身なのですか?わかるかもしれない」

看板娘は皿を拭きながら申し訳なさそうに笑った。

「何回か聞いたけど他所の国の地名だからね、忘れちゃいました、
 お酒、口に合いませんでした?」

「…旦那さんと話が合うかもしれないな、今日はいらっしゃらないのですか」

「ええ、ちょっと…お酒、新しいのに替えましょうか」

看板娘はクロブチメガネの男の目の前の酒をカウンターに引っ込めた。

「…あらいけない、トニックがきれちゃった、奥から取ってきますね」

看板娘はドアノブに手をかけた。

「あなたは」

クロブチメガネの男が突然ハッキリとした口調となり、看板娘は思わず振り返った。

「…旦那さんを愛しておられるのですね」

看板娘の額を汗が伝った。




クロブチメガネの男のワイシャツに描かれている紋章――

看板娘は堰を切ったかのようにバンと店の奥のドアを開け、叫んだ。

「あんたぁーー逃げてぇーー!!!」

店の客たちは何事かとカウンターを注視した。

「無駄ですよ、すでに部下が取り囲んでいます」

看板娘はその場にへたり込んだ。

そのノブに手をかけたままの半開きのドアがゆっくりと開いた。

客の一人が思わず呟いた。

「…旦那…」

扉の奥から、背の高い、ひげ面の男が現れた。

その男は快活で愛想がよく、それでいてよく気のつく、町の人々に大変好かれていた人物だった。

男は剣を手にしていた。

「いつかこの日がくると思っていた」




クロブチメガネの男はピーナッツの皮剥きに没頭しているようだった。

「俺は今の生活がしてぇ…!見逃しちゃあくれねぇか…今が幸せで仕方がねぇんだよ…!」

クロブチメガネの男は腕を組み、窓の外を見た。

「残念ですが、こちらも仕事なので」

男はガン、と壁を叩いた。

「仕事仕事って、ああそうかよ、仕事が何より大事かよ!
 他人の大事なもん踏みにじって、それがあんたらトランプだ!
 俺は一時でも"お前らと同じだった"と思うとゾッとするよ!!」

クロブチメガネの男はピーナッツをポイポイと口に入れた。

「…トランプにいたのにトランプの仕事の意味をご存知ないようだ」

「なに…!?」

クロブチメガネの男はナフキンで折り紙を始めた。

「…たとえば、」

クロブチメガネの男は足を組んで折り紙に集中するかのように背を丸めた。

「とある女性は、旦那に先立たれ余命ももう幾ばくもない、
 ある雪の降りしきる夜、凍えながら道端で丸まっているホームレスがいました。
 彼女は不憫に思ったのか、そのホームレスに」

男は胃の奥底から何かが上がってくるようだった。

「やめろ!」

クロブチメガネの男はかまわず話を続けた。

「ホームレスはあまりの空腹と寒さに、彼女が与えたはした金では満足せず」

男は自らの顔を覆った。

「…頼むからやめてくれ」

「彼女のカバンを取り上げようともみ合いになり、雪で足を滑らせて彼女は…頭を打った。」

男は項垂れた。

「そりゃあものすごく後悔した!死のうとも思った!…けど」

男は足元で自分を見上げる妻を見つめた。

「…彼女から支えてくれて、ようやく…」

「あなた一人が反省したところで、これはあなただけの話ではありません、
 想像したことありますか、ご自分のお母様が早朝道端で雪に積もった状態で…」

男は涙も鼻水も拭わず剣を抜いた。

「ご遺族の気持ちを考えたことは?」

「うわあああ」

男は剣を振りかざした。

「罪は、償わなければなりません」

クロブチメガネの男はひらりと剣をかわし、男の手を捻りあげた。




泣きじゃくる愛する妻や、大好きな町の仲間たちを背に、
項垂れた男はクロブチメガネの男に脇を抱えられ表へ出た。

「…なんだ、部下なんて店の周りにいやしねぇじゃねぇか」

クロブチメガネの男はいつもの低くボソボソとした口調で気に病む様子もなく答えた。

「…ええ、ハッタリです、
 無闇に逃げられては、場合によっては"誰か"怪我するかもしれませんでしたからね」

男は俯いた。

あのまま逃げていたら
この男に取り押さえられるために拳を振るわれていたかもしれないし、
逃亡先で自分が、逃げるための金を奪ったり、人質をとったり、それこそ誰かを傷つけていたかもしれなかった。

…あの老婦人の時と同じように…

「…悪かったよ、あんたらの仕事をバカにして」

「…かまいません、所詮は仕事です」




店を出るときのこの男の妻の顔が頭から離れなかった。

自分も、このいつ死ぬかわからないような仕事に向かうとき、
自分の妻は毎朝どのような気持ちで送り出してくれているのだろうか。

クロブチメガネの男は真っ暗な夜の空を仰ぎ見た。

その時ちょうど空から雪が舞いだした。

"あの時"と同じように雪が降る夜。

雪が肩に舞い降りた瞬間、項垂れたままの男の頬に再び涙が伝った。




―――  A.(魔導師強盗殺人事件) ―――





2010.11.13 KurimCoroque(栗ムコロッケ)