25.finding wish back


エリス「エオルぅ、あたしゃ水浴びしたいよ」
エオル「俺もですよ……おかげさまで」
エリスのシワシワの細腕にがっしり掴まれたエオルの腕は、汗だくだった。
土と煤にまみれた一行の姿は、白砂と疎らなヤシの木が続く南国の平地にはあまりに不釣り合いだった。



―――― finding wish(望みのありか) ――――



じりじりと照りつける太陽。白砂の照り返し。息をするのもつらくなるような湿気。フィードは滝のようにあふれ出る汗をそのままにうなだれた。
フィード「あちー……素っ裸になりてー……」
よしの「ええっ!?」
エオル「やめたげて、セクハラだから」
そうして改めて、一同はフィードの格好をまじまじと見た。長袖の真っ黒な分厚いロングコートに、深々と被ったフード、まるで減量中の格闘家だった。
エオル「そんな格好してるからでしょーがっ!」
フィード「あ? そんなってどんなだよ」
エオルはフィードの頭をすっぽりと覆っているフードを引っ張った。
エオル「こーれーだーよっ」
フィード「ぬおあ! やめんかっ」
二人のじゃれ合いにエリスは軽く笑った。
エリス「ガキんちょめ」
そうして、よしのの視線に気が付き、笑みを隠すように葉巻を吸った。
エリス「なんだい、人の顔をジロジロと」
よしの「……本当に復讐をお考えなのですか?」
何を改まっていまさら、とエリスは呆れたため息をついた。
エリス「そうだっつってんだろ、復讐はよくないから止めろって? いい子ちゃんぶって、嫌な娘だね」
よしの「いえ、そうではなく、」
エリスはよしのとはもう話したくない、と歩を早めた。よしのはおどおどとエリスの背中を見つめた。よしのの肩に乗っていたクリスが口を開いた。
クリス「よしのちゃんは、何を聞こうと思ったの?」
よしのは俯いた。
よしの「復讐をして、そうしたらどうなるのか、よくわかりませんでしたので……」
クリスは一瞬空を見上げた。
クリス「ま、そこまで考えてはいないんじゃない、復讐者って。ただ気を晴らすためだとか、被害者のためだとか、自分の感情だけでそれ以外に余裕はないんだよ」
よしのは不思議そうに肩の上のまん丸とした黒猫を見つめた。黒猫はニヤリと笑った。
クリス「怨み、憎しみ、悲しみ、怒り、悔しさ、どれもちょっとしたことで簡単に湧いてくる感情で、それらは人を突き動かそうと理性や冷静さを揺るがしてくる」
よしの「それが今のエリス様……? さぞお苦しいでしょうに……」
クリス「それに流されるか、はたまた耐えるか、その人とさらされる環境によってくるのかなって思うんだ」
よしの「さらされる環境……」
よしのは前を歩くエリスの背中を見つめた。
クリス「他人は変えられない、けど変わろうと思う環境があれば、また違った結論を産むかもしれない、……ってどっかのバカ魔導師が言ってた」
よしのは両手に握りこぶしを作った。
よしの「私、頑張ります」
クリス「手伝うよ」
クリスは遠足に行く子どものように楽しそうに笑った。

――希望を持てば、それを失ったときの落胆は、何よりの娯楽だ――

フィード「ええい、だったらエオル、てめぇが脱ぎやがれ!」
フィードはエオルの服を引っ張り上げた。
エオル「ちょっ、やめて」
エリス「おほっイイ腹筋じゃないか、あたしも手伝ってやるよ」
エオル「ひいぃぃっ!」

「こらーーっ!」

フィード「あ?」
エリス「ん?」
見ると、疎らなヤシの林の奥から男が一人走ってくる。

「追い剥ぎさん! その人から物を取るのなら、私から取りなさーい」

男はどう見ても素っ裸で荷物の一つも持っていなかった。クリスはもちもちとした尻尾をよしのの目の上に被せた。
よしの「クリスちゃん? 前が見えませんわ?」
クリス「ううん、見なくていいよ(俺の以外)」


        


エオルは慌てて手を振った。
エオル「違いま、」
フィード「ようし! それなら早速金目のモノを出して貰おうか」
裸の男は困ったように自分の一糸纏わぬ体を、ぽっこりと出っ張った腹で見えない足元まで見回した。直ぐ様エオルの鉄拳がフィードの脳天に降り注いだ。裸の男は済まなそうに頭を掻いた。
「……すみません、先ほど別の追い剥ぎに全て渡してしまいました、あげられるものが何一つありません」
エオルは慌てて弁解した。
エオル「違うんです、仲間内でじゃれ合っていただけなんです」
裸の男はほっとしたように笑顔になった。
「そうでしたか、いやはやとんだ勘違いを」
フィード「ちっ、折角の獲物を」
エオルは拳に息を吐きかけた。
クリス「とりあえずおっさん、とっとと消えろ、よしのちゃんとエリスちゃんの眼球が腐る」
男はしまったと慌てて近くに落ちていたヤシの落ち葉をひっつかみ、体を隠した。
「すすすすみません、しゃべるタヌキさん」
クリス「タヌキじぇねえ」

男は真っ白なバーコード頭にぼってりとした大きな腹、真ん丸の赤っ鼻、気の弱そうだということが一目でわかるように、ぷっくりとした指を忙しなく動かしおどおどとしていた。
エオル「フィード、コート貸してあげて」
フィードは項垂れて木陰に入りコートを脱いだ。
フィード「まぁーた汚ぇ裸のオヤジに貸すのかよ」
クリス「テメー、誰のこと言ってやがる」
フィードは脱いだコートを裸の男の頭に投げた。
「あああありがとうございます」
男は手で汗を拭いながらコートの前を閉めた。
「……暑っ!」
エオルは申し訳なさそうに言った。
エオル「熱帯ですからね……」

エリスは葉巻を吸い込み、そしてゆっくり吐いた。
エリス「で、あんたこんな辺鄙なとこで一人何やってんだい」
男は落ち着き無くペコペコと頭を下げながら申し訳なさそうに笑った。
「じじ実は私は宣教師でして」
エオル(げ! 神使教!)
エリスはチラリと一瞬エオルの様子を見た。
「この先の海辺に村があると聞き布教に伺う途中なのです」
フィード「で、途中で追い剥ぎに身ぐるみ残らず剥がされたと」
宣教師は申し訳なさそうに頭を掻いた。
エリスは葉巻を揉み消し、フィードは男に貸したコートに手をかけ、同時に口を開いた。
フィード&エリス「そうかい、じゃあな」
フィードにコートを剥がされ再び素っ裸になった男は慌てて近くにあった落ち葉で体を隠した。そうしてフィードとエリスはスタスタと歩き出した。エオルはさっさと立ち去ろうとする二人の背中と、よしのに叫ばれないよう慌てて白砂を体にかけ続けている宣教師の男を交互に見やり、弱ったとため息をついた。

「ギャアアア!」
宣教師は突然のたうち回った。その声にフィードとエリス足を止め振り返り、エオルとよしのは慌てて駆け寄った。
エオル「どうしました!?」
宣教師「"大事なムスコ"が蟹にーー!」
砂の中にいたにいた蟹を驚かせたらしい。エオルはブルブルと体を震わせて驚愕した。
エオル「ギャーッ! それ痛いぃい!」
よしのは訳もわからず慌てふためいた。
よしの「いいい今すぐせんゆを……」
エオル「それはなんとなくやめて……」
フィードとエリスはヤレヤレとため息をついた。



        
        
        
――間――

フィード「おい、おっさん、身ぐるみ剥がされたのはどの辺だ」
よくよくみるとヒルや虫さされだらけの体中をフィードから再び借りたコートの間からかきむしりながら、宣教師はグスグスと涙ぐんだ。
宣教師「おお、旅のお方、お気遣いありがとうござ、」
フィードは宣教師の頭のバーコードをひっ掴んだ。
フィード「いいからとっとと話を進めやがれ」
宣教師「ひぃい!」
エオルはフィードの首根っこを引っ掴んだ。

宣教師は慌てて歩き出した。
宣教師「き、きき来た道をたどれば……」
よしの「宣教師様、お履き物を……」
宣教師は笑った。
宣教師「はっはっは! 何のこれしき!」
そうして見せた足の裏は傷だらけだった。エオルとフィードは同時に顔を見合わせた。
『ジャンケンポン!』

◆◆◆
フィード「あーちきしょー」
フィードの背中の上に揺られる宣教師は申し訳なさそうに眉を寄せた。
宣教師「すすすすみませ、」
フィード「オドオドすんな! うっとおしい!」
宣教師「ひぃっ!」
エオルはフィードの耳を引っ張った。
エオル「フィ〜ド〜」
フィードはさも煩わしいと言わんばかりに舌打ちした。
フィード「だ〜から、潔くおんぶしてやってんだろ」
エオル「小言の多さが潔さを感じない」
フィード「うっせー、説教マンめ」
エリス「エオルぅ、アタシもおんぶしとくれよ」
エオル「足場が悪くないうちは健康のために歩いて下さい」
よしのと宣教師はクスリと笑った。

宣教師「みみみ皆さんは、ご家族か何かですか?」
エリスは直ぐ様憤慨した。
エリス「んなわけないだろ! アタシが母親にでも見えんのかい!」
宣教師は「しまった、違ったか」と慌てた。
宣教師「いいいいえ……!」
フィード「母親にしちゃあババアすぎんだろ、せめて祖母くらいに遠慮しとけよ」
エリス「ふざけんな! 女はいくつになっても女だよ! アタシはね、この金髪エルフの恋人さ!」
エオル「何言ってんの、エリスさん……」
宣教師はにっこりと笑った。
宣教師「そうでしたか」
エオル「ちがいます」

エリスは葉巻に火をつけた。
エリス「アンタは、家族は?」
宣教師は「ハハ」と小さく笑った。
宣教師「いません、随分前に亡くなりました」
エリス「ヘェ」
宣教師はエリスを見つめた。
宣教師「……追い剥ぎさんに遭った場所はまだちょっと先です。せっかくなので、私の昔話に付き合っていただけませんか」
突拍子のない話の切り出しだったが、エリスは何故だか自分に話しかけられているように感じた。
エリス「まァ、暇潰しにはなるんじゃない」


        
        
        
        
――――20数年も前の話です。当時は妻と小さな娘と三人、片田舎で穏やかに暮らしていました。

エリスは退屈そうに黙ったまま葉巻の煙を吐いた。

――――ある時家に強盗が押し入ってきて、金品と、私の家族の命を奪っていきました。

退屈な話だと思い込んでいたエリスは胃の奥が突き上がるような感覚を覚えた。それは、この宣教師が自分の何を見抜き、何を言わんとしているのかを、はっきりとはわからなかったが心のどこかで感づいたためだった。エリスはあからさまに不快感を表すように舌打ちをした。
エリス「何が言いたいんだい」
宣教師はエリスの迫力に気圧されながら、ガタガタと震える口の端を吊り上げ、笑顔を作ってみせた。
宣教師「たたたただの、その、む昔話ですよ、暇つぶしです……」
蛇に睨まれた蛙、まさにその言葉の通りだった。よしのは慌てて止めに入ろうとしたが、エオルは人差し指を口の前に立て、制止した。宣教師は深呼吸した。
宣教師「……ところで皆さんは大切な人の命を他人の手によって、奪われたことはありますか?」
フィード「ねぇ」
よしの「覚えが……」 ←記憶喪失
エオル「……」
エオルはエリスを見つめた。
エリス「あるよ、つい最近」
宣教師は悲しげに眉を下げた。
宣教師「そうですか、お気の毒に……ではここから先の話も少しは共感頂けるかもしれません」
エリスの眉がぴくりと動いた。


        


――ショックの先にあったのは、悲しみと悔しさと怒りと……それらの感情とは一線を架すこれまでに経験したことのない気持ち……"憎しみ"でした。私の家族の未来を奪っておいて、のうのうと生きている犯人が、……なんというか、簡単な言葉ですが、とにかく許せませんでした。
エリスの葉巻の先端から灰が落ちた。
エリス「で? アンタはどうしたんだい」
穏やかな宣教師のその優しそうな雰囲気からは、想像もつかない言葉が出た。

宣教師「犯人は複数でした、十数年かけて探しだし、一人残らず命を奪いました」

よしのは口を押さえた。エリスはニヤリと笑った。
エリス「見かけによらずやるじゃあないか」
宣教師は無表情のままだった。
宣教師「……十数年を費やしました、何を振り返ることもなく、ただひたすら」

エリスは首を傾げた。宣教師の言わんとすることが解らなかった。宣教師は続けた。
宣教師「最後の犯人は貧困層で、家はとても貧しく、母親は病気でした。薬代を稼ぐため、息子は様々なところで強盗を繰り返していたのです。自分が捕まれば母は生きていけなくなる、捕まらないために、手段は選んでいませんでした。私はよりによって、その母の目の前で、自分の復讐を遂げてしまったのです」

――はっきり言って、その時は他人のことなんて"どうでもよかった"のです。泣き崩れる母親の叫びに似た慟哭で、そんな私は我に返りました。いや、むしろ、復讐を達成させた充実感と、目標が無くなったことによる虚無感が、そうさせたのかもしれません。

気にくわない、とエリスは顔をしかめた。
エリス「"我に返る"? 復讐するやつはみんな正気じゃないとでも言うのかい」
宣教師は慌てて「違います違います」と手を振った。
宣教師「いいいいえいえ! す少なくとも私がそうだったというだけです」
エオル「それで、その後一体どうされたんですか?」
宣教師は「助かった」とエオルに小さく会釈した。

――その母親には、散々呪いの言葉を吐かれました。そこで、私は気づいてしまったのです。

よしの「何に、ですか……?」
宣教師は何処ともなく、ただ遠くを眺めた。

宣教師「その母親の姿は、家族を奪われ、犯人たちに復讐を誓ったあの時の、……私そのものでした」

フィードは鼻で笑った。
フィード「今度はてめぇが復讐される番ってか」
宣教師は頷いた。
宣教師「負の感情を振りかざせば、それは伝搬し、連鎖します、"誰かがやめる"ではなく、"自分で"止めなければ、繋がりつづけます」
エリスは直ぐ様反論した。
エリス「だからって、泣き寝入りしろってのかい!」
宣教師「そうではありません。そのために、人は司法を作りました。……その司法に頼らず、自らの手で復讐を達成した時、その後どうなるか、想像されたことはありますか」
その場の全員の視線が、宣教師に集まった。宣教師は記憶を辿るように視線を落とした。


        
        
        
"こんなことするんじゃなかった"

"でも、だとしたら私の妻と娘の人生はなんだったのだ"

"私は悪くない、私をこうさせたのは奴らだ"

"お前の息子が悪いんだ"

"私はこの十数年、このためだけに生きてきたのだ"

"これで妻と娘も浮かばれる"

宣教師「自分を正当化し、達成感と家族への思いでいっぱいでした、数日の間は」
エリス「数日の間? その後は違うのかい」
真っ青な空からさんさんと照りつける太陽を、宣教師は目を閉じ、仰いだ。
宣教師「太陽はいつも通り昇っては沈みます、世の中は私の復讐劇など気にも止めず回ります、家族が戻ってくるでもない、残ったのは生きる目標を無くした私と、被害者家族からの憎悪のみでした、つまり達成したところで、これから家族のいなくなった人生を歩まなくてはならない私にとって、何一つ現実に実になるものは残らなかった、復讐をしているときの私の鬼のような形相を見れば、娘は怖いと泣いたことでしょう」
エリスは乾いた笑みを浮かべ、葉巻を吸った。
エリス「だから復讐なんてするもんじゃないって?」
宣教師はエリスの瞳を見つめた。
宣教師「……復讐を終えたからこそ、私はそう思えたのです、今でも、赦すことはできません、ですが、同じ目に遭わせてやろう、というのは、違ったのかなと」
エリスは葉巻を投げ捨てた。それをエオルは慌てて踏み消した。
エリス「だからってやり返すなってのかい!? アタシはそこまで出来た人間じゃないよ!」
エリスの剣幕に、辺りにいた鳥たちは一斉に飛び立った。

宣教師「……貴女の目が、当時の私と似ていたので、話をさせていただきました。あくまで私個人が感じたことで、実際何が正解で何が不正解か、わかりません」
フィードはあくびした。
フィード「で、サトリがなんちゃらのために神使教に入信か」
宣教師は笑った。
宣教師「そうかもしれませんし、ただ単に罪から逃れたかったのかもしれません」
フィードはよくわからない、と眉を寄せた。

「おい」

茂みがガサガサと揺れ、武器を手にした男が数人、一行を囲むように姿を現した。
「じいさん、また会うなんてツイてねぇなあ」
宣教師は慌てた。
宣教師「きゃああ! おおおお追い剥ぎさんたちっ」
ドサリと重い音を立て、宣教師は尻餅をついた。おぶっていたフィードが手を離したためだった。
フィード「おらぁ! てめぇらとっととこのハゲから盗ったもん帰せ」

追い剥ぎたちは目を光らせた。
「おおっ! 若い娘が二人もいるぞ!」
フィードはエオルを見た。
フィード「おめぇ、その長ったらしい髪切ってやれよ、かわいそうだろ」
エオル「間違えられてんのは君だよ君!」
エリス「お前ら二人ともいい加減にしな、どう見たってアタシのことだろが」

追い剥ぎたちは武器を構えた。
「てめぇら女と持ち物残らず置いてきな」
フィードはニヤリと笑ってボキボキと指を鳴らした。
フィード「何を言っていやがんだ、それはコッチのセリフだぞ?」

追い剥ぎたちの叫び声が辺りに響き渡った。
エオルはよしのを目隠しした。
エオル「見ないフリ見ないフリ」


        


――間――

ボロボロの姿で一ヶ所に集められ正座をさせられた追い剥ぎたちは、目の前で仁王立ちする赤い瞳に震え上がった。宣教師は慌てた。
宣教師「お追い剥ぎさんたちも、追い剥ぎするほど困窮している事情があるのでしょうし、服さえ返してもらえれば……」
フィードは呆れたため息をついた。
フィード「事情があんのはこっちだっておんなじだろが」
宣教師「そそそそれはそうですが、」
フィード「じゃあ何か? テメェは金無くて飢え死にしてもいいってのか? 他人はテメェのシカバネなんか見向きもしねぇで踏み潰していくぞ? ただのテメェ一人の自己満(足)じゃねぇか」

フィードの脳天にエオルの手刀が降り注いだ。
エオル「言い過ぎ」
宣教師は気恥ずかしそうに笑った。
宣教師(確かにその通りですね、そしてこの方は)
   「私のこんな生き方を、心配してくださっているのですね」
フィードは慌てた。
フィード「ち、違ぇデブハゲ! 俺様はテメェのやり口が気に入らないから批判してるだけだ!」
エリスはニヤリと笑った。
エリス「要するに心配してるんだろ?」
フィード「違ぇっつってんだろクソババア!」
エオル「フィ〜ド〜口悪いよ〜!」
ついにはフィードの怒りの矛先は追い剥ぎたちに向いた。
フィード「テメェら笑ったろ」
(笑ってねぇーーー!)
フィードが再びボキボキと指を鳴らし始めると、追い剥ぎたちは同時にこう言った。
「盗ったものはお返しします」

――間――

綺麗に畳まれた黒のコートを両手で差し出し、法衣を身にまとった宣教師は深々と頭を下げた。
宣教師「色々とありがとうございました、おかげさまで旅が続けられます」
差し出されたコートを無造作に掴み、ふわりと羽織ると、フィードはフードを目深に被った。
フィード「コートを返してもらいたかっただけだ、礼言われる筋合いなんかねー」
エオルはヤレヤレと呆れた視線をフィードに向けた。
エオル「そこは素直に受け取っておきなさいよ……」
宣教師はフィードをジッと見つめ、右手を差し出した。
宣教師「貴方がたにお会いできてよかった」
フィードは握手ではなく、バシリと宣教師の手のひらを叩いてそっぽを向いた。
フィード「せいぜい野垂れ死なねぇようにな」
エオル「フィード! ……すみません、普段人から誉められることなんてないもんだから照れてるみたいで」
宣教師は微笑んだ。そして最後にエリスを見た。
宣教師「私の話はあくまで私が感じたことです、あなたが今感じていることは私とは別かもしれない」
エリスは黙って宣教師の次の言葉を待った。
宣教師「どうか取り返しのつく道を選択できますことを」
エリスはニヤリと笑って葉巻を吸った。
エリス「えらそうに」
宣教師はポケットから何かを取りだし、丸めた拳をエリスに差し出した。エリスが受け取ったそれは、薄い紙に包まれた、ラムネ菓子。エリスは怪訝そうに眉を寄せた。
宣教師「飲めばすべての罪から逃れられる薬だそうです、もし後悔したとしても貴女が苦しむことがありませんように」
そうして別れ、宣教師が見えなくなると、フィードはエリスの手のひらを覗き込んだ。

フィード「俺様ら、ラムネ菓子にはとことん"運がなくってな"」
エリスはラムネ菓子が包まれたままの紙をポトリと落とし、ヒールで踏み潰した。フィードはエリスの顔を覗きこんだ。
エリス「こいつは"免罪符"、最近南から入ってきた新手の魔薬さ、"触れ込み"のせいで神使教にまで流れてるらしいね」
エオル「触れ込みってさっきの……?」
フィードはまるで汚いものを見た後のように顔をしかめた。

フィード「"すべての罪が許される"」

葉巻の煙がふわりと舞った。
エリス「薬剤師から言わせれば、なんてことはない、ただの魔薬さ。どうにもならない現実から逃れたいやつが使うもんだ。……あたしは背負うけどね、たとえどんな現実だろうと」


        


――パンゲア大陸 南東部 ファンディアス国 第一位の港町ファリアス
海から山が近く、丸い石畳が敷き詰められた坂の多い、潮風の香る町。古くから交易の中心地で、町は様々な文化の入り交じった歴史ある建物が並び、様々な国の船乗りたちが入り交じり活気がある。子どもたちが駆け回り、主婦たちの井戸端会議が盛り上がり、オープンテラスでコーヒー片手に新聞に目を通す老紳士の姿があり、豊かな町であることが見てとれた。だが町を一歩二歩と薄暗い路地へ進むと、たちまち様々な国からやって来た"裏の世界"が顔を覗かせる――

「さてと」

落書きだらけの壁を背に、白と紺のボーダーのワンピースにツバの広い麦わら帽子の隙間から、まるで市場に並ぶトマトのような赤毛を靡かせ、深緑の瞳は目の前で自分を取り囲む屈強な男たちを捉えた。麦わら帽子から覗くその顔を見て、男たちは顔を見合わせ、ため息をついた。
「なんだ、ブスじゃん」
「ま、体は女なだけまだいいだろ」
「それもそうだ」
そうして再び視線を向けたワンピースの女は、ボキボキと指を鳴らしていた。そうしてニコリと微笑むと、口を開いた。

「一回ヤッ殺ったら魔薬について教えてくれるんでしたよね」

その女の雰囲気はただの素人ではないことが、町のチンピラとして日々悪行を重ねている男たちでも見てとれた。
路地裏の袋小路、その唯一の出口である路地に、男たちが目を向けたと同時に、袋小路に差す大きな影。影だけで、大男であることがわかった。

「リケは〜ん、そろっそろええんちゃう?」

大男の低く厳つい声が袋小路にこだました。リケは麦わら帽子を脱ぐと、クルクルと回した。
リケ「そうね、お願いするわ、トウジロウさん」
路地から現れたのは、想像以上に筋骨隆々とした大男であった。チンピラたちは身の危険を本能的に悟った。トウジロウはニヤリと邪悪な笑みを浮かべ、指を鳴らした。

――間――

トウジロウ「まさかツツモタセする側になるとはな」
リケ「それ、いつも引っ掛かる側だって言ってる?」

無抵抗であったため、赤毛の女の裁量で殴られることはなかったが、チンピラたちは袋小路の壁一列に肩をつけるよう指示された。チンピラの一人が言った。

「目的はなんだ! 金か? 魔薬か!?」
リケ「どちらでもないわ、あなたたちにお願いがあるの」

予想外の返答に、チンピラたちはキョトンとリケを見つめた。

リケ「"免罪符"は知っている?」
「知ってるが、ウチは取り扱ってねぇ」
リケ「であれば尚更丁度いいわ」

チンピラたちはますますリケたちの目的に予想がつかなくった。リケはトランプの魔導師バッヂを取り出して見せた。
リケ「私たちはトランプから派遣されてきたの。"免罪符"の広まりを断ちたい、そのために、この町の魔薬業者たちに協力をお願いしたいの」
チンピラの一人が隙を見計らって逃げようとしたが、間髪入れずにトウジロウの大きな手が頭を壁に押し付けた。そのチンピラは泣き声混じりに叫んだ。
「無茶言うな! そんなことをして、うちのチームが"黒い三日月"に何されるか」
リケ「そんなことって?」

別のチンピラが、もう勘弁してくれという目でリケを見た。
「"目立った行動"は目をつけられる、それだけだ。どのチームもあんたらの問いに対する答えは同じだぜ」
リケ「目立った行動? "今流行りの魔薬"が流入してくることも目立った行動だと思うけど? それを阻止しようと言っている私たちはその"黒い三日月"と利害が一致していると思わない?」
チンピラたちは首を振った。
「違う、"目立った行動"ってのはそういうことじゃあない」
リケは肩をすくめた。
リケ「わからないわ、どういうこと?」
「とにかく他を当たってくれ」


        


トウジロウは大きな欠伸をしながら背伸びをした。
トウジロウ「なにみすみす見逃してんねん、リケは〜ん」
リケ「彼らの"日常"を無理矢理壊す権限はトランプにはないわ」
トウジロウ「俺やウランドのアホは手段なんぞ選ばへんけどな」
リケは呆れた、とため息をついた。
リケ「あなたたちは責任者の自覚をもちなさい!」

トウジロウはからかうように鼻で笑った。
トウジロウ「で? お次はどないしはんのん、責任者様?」
リケは辺りを見回した。
リケ「まずは他を当たります、この町に魔薬業者はごまんといるわ、数打てば当たる、そこから切り込む」
トウジロウは退屈そうに煙草に火をつけた。
トウジロウ「完っ全、諜報クラブの仕事やんけ……」
リケはにっこりと笑ってトウジロウの鼻先に指先を突きつけた。
リケ「リーダー命令」
トウジロウはウンザリだと溜め息をついた。

ところが、何件、何十件と回っても、どの業者の答えは同じだった。トウジロウはニヤリと笑って新しい煙草に火をつけた。
トウジロウ「姐さん姐さん、一個わかったことがあるなあ」
リケは皺の寄った眉間を摘まんだ。
リケ「"黒い三日月"の存在が邪魔ね……」
ゴキゴキとトウジロウの指が鳴った。
トウジロウ「丁度後輩の仇やねん、その黒い三日月のアタマ」
リケ「ダメよ、私たちの職務外」
トウジロウ「なんでやねん、賞金ランクS以上やで」
※ランクS以上からはトランプの検挙対象になる。
リケは真っ直ぐと、たしなめるようにトウジロウを見上げた。
リケ「今その職務に唯一就けるのは?」
トウジロウは舌打ちした。
トウジロウ「頭固いババァやの〜」
リケは肩をすくめた。
リケ「どうぞなんとでも」


        


トランプ本部 ハートのエース執務室

少し早めのノックの後、秘書は急いだ様子で執務室の扉を開いた。
秘書「エース! 外線で……あ!」
デスクの椅子に深く腰掛け、肘掛けに頬杖をつくライトブラウンの癖っ毛にクロブチメガネの優男と、そのデスクの前で腕を組みたたずむウェーブがかった長い黒髪に褐色の肌の美女。
クロブチメガネは途中で話を止めた秘書に微笑んだ。
「話は終わったからいいよ、誰からの外線?」
褐色の肌の美女は秘書にニコリと微笑むと執務室を去った。
秘書「……クラブのエースからです」
秘書が指を鳴らすと、部屋の中にリケの声だけが響き渡った。

リケ『ハートのエース、お願いがあるのだけど』

いきなり話を切り出すリケ、急いでいる様子が伝わった。だがその急いだ様子に、まったく気に止める様子もなく、ハートのエース、ウランドは口を開いた。
ウランド「お疲れさまです、クラブのエース、聴けるお願いであれば対応いたしますが」

リケ『ファリアスの魔薬業者の案件、残っていたわよね?』

ウランドは腕組みし、足を組み替えた。
ウランド「黒い三日月のリーダーの件ですか? ええ、まあ……別案件が立て込んでいて、まだ手をつけていません……それがそちらと何の関係が?」

トウジロウ『グダグダぬかしてないでとっととヤれや』

突然、雷のような厳つい声が降ってきた。秘書は飛び上がったが、ウランドは慣れたように平然としていた。
ウランド「お前とこうして無駄話してる間に案件一つは潰せてるよ」

トウジロウ『なんやとコラァ!』
リケ『ケ・ン・カ・は・あ・と・に・し・て!』

組んだ手足を忙しなくブラブラと動かしながら、ウランドは窓の外を見た。
ウランド「そちらの案件とどのように関わるか教えていただけますか? それによってプライオリティの変更を検討します」

トウジロウ『お前なー』
リケ『"免罪符"の動きを把握する必要があるわ、そのために町の魔薬業者たちに協力を仰ぎたいの、けれども誰も彼もが"黒い三日月"を恐れて協力を拒むのよ』

デスクに頬杖をつき、パラパラと机に積み重なった書類をめくりながら、ウランドはニヤリと笑った。
ウランド「なるほどつまり」

トウジロウ『ジャマや、その黒のなんたらが』
リケ『黒い三日月だってば……』

ウランド「……一案件としてはプライオリティは低いです、そちらの緊急性もあくまで意図した捜査方法の障壁になっているというだけですね」

トウジロウ『ハァア!?』
リケ『……まあ、そうね』

再び背もたれに背中を預けると、そのままギコギコと椅子の足の半分を浮かせて椅子を前後に揺らした。そうしてそのまま、遠くの町の音を伝えようと天井付近を舞っている風の精霊を見つめた。
ウランド「けれど、今回の"特別体制"の観点からは、早々に退けるべき障害物ですね」
確かに一案件としては優先度は低い、他に優先すべき凶悪事件は山ほどある。だが、今のこの体制は対W・B・アライランスのもの。"本物のギルティン"を知る彼らの情報を得るために、逆に彼らに接触した可能性のある"本物のギルティン"を捕えることも有効だ、とウランドは考えた。本物のギルティンと、W・B・アライランス、どちらを先に捕えても、どちらかにつながる可能性は大いにある。どちらも、特別体制で他案件とは外だしにされている特別な案件である。それがウランドの発言の意図だった。

トウジロウ『おっ!』

ウランド「プライオリティは変更します」

トウジロウのイライラとしたわざとらしい溜め息が聞こえた。
トウジロウ『せやから、いつやンねん』

ウランド「わかったから少し待ってろ」

リケ『悪いけどなる早でお願い』

ウランドの返事を聞く前に、風の向こうの音は途絶えた。
ウランドは肩をグルグルと回し、立ち上がった。
ウランド「キングに報告してくる、取り次ぎありがとう」
秘書はジトリとウランドを見つめたままだった。
ウランド「何?」
秘書「最近、多いですよね」
ウランド「何が?」
秘書は冷ややかな視線を向けた。
秘書「グウェン中佐とご一緒のところ」
ウランドは一瞬ぎょっとした顔をした後、ヤレヤレとため息をつきながら頭を掻いた。
ウランド「厄介な案件がらみで一緒に仕事したからその後処理で機会が多いだけだよ……今は別の案件の指示を出していたところ。全然おかしいことなんてないよ?」
秘書「別の案件……ですか?」
ウランドは執務室のドアノブに手をかけた。
ウランド「W・B・アライランスの居所に関するタレコミがあった。彼女にはその調査を担当してもらう」


        
        
        
KT … カイセツ(K)とツッコミ(T)
      またの名を
      カユイ(K)ところにテ(T)がとどく


      
       
p.2    ■しゃべるタヌキさん
    おどおどしすぎて動じない宣教師。
    
    ■まぁーた汚ぇ裸のオヤジに貸すのかよ
    第15話でフィードは裸の人型クリスにコートを貸しています。
       

p.3    ■母親にしちゃあババアすぎんだろ
    あくまでフィードの固定観念です。

       
p.6    ■若い娘が二人もいるぞ
    正解はよしのとフィードでした。
       

p.7    ■握手ではなく、バシリと宣教師の手のひらを叩いて
    中学生なかんじのつもり。


p.8    ■一回殺(ヤッ)ったら
    やるの意味が男たちの意図した意味と違います。
    
    ■魔導師バッヂを取り出して見せた
    トランプは覆面捜査のためのバッヂを外すことを許可されています(ただし覆面捜査する旨の申請と上長承認が必要)


p.10   ■「A.」でつねにウランドを疑い続ける秘書
    ひどいww

       
       
       2011.10.1
        KurimCoroque(栗ムコロッケ)