23.unfair trade back



「フォビアリ様! ギルティン様!」

壁際を這う小さな蛭のような影。
その影からの問いかけに、誰も座っていないロッキングチェアがゆらゆらと揺れ始めた。
そうしてぼんやりとにじみ出すように、揺れるロッキングチェアに悠然とくつろぐ燕尾服の男は姿を現した。

「おや、エスカーダではありませんか、エリドゥの富豪を乗っ取ることに成功したと聞いていましたが?」

燕尾服の男は骨のように白い肌とは対照的にくっきりと浮き上がる真っ黒い唇を吊り上げ、持っていた繊細な装飾のティーカップに口をつけた。

「ガッハッハ! その成功は誰のおかげだと思ってるんだ、フォビアリよ」

突然の豪快な笑い声。
部屋の奥の古ぼけたソファが沈み、フェルトのようなモジャモジャとしたひげ面の、力士のような大男がいつの間にか腰かけていた。
燕尾服の男――フォビアリはクスリと笑った。
フォビアリ「あなたの"魔薬"のおかげ、とでも言わせたいのですか、ギルティン」
髭をつまみ、クルクルと捻りながらギルティンは再び豪快に笑った。
ギルティン「そうじゃあないか、なあ、エスカーダよ」
壁際の小さな蛭は「ええそうです」と急ぐように適当な相づちを打ち、そして会話を間に挟まれぬよう間髪入れずに続けた。
エスカーダ「ノッシュナイド様です! ノッシュナイド様を……ついに発見いたしました」


―――― unfair trade(各々の思惑) ――――



燕尾服の男と力士のような大男の顔色が変わった。

フォビアリ「……また偽者なんてことは」
壁際の蛭は興奮を押さえられないといった様子で続けた。
エスカーダ「ございません! 紛れもなく!! このエスカーダの目の前に姿をお見せになったのです!」
フォビアリ「どういうことですか、この9000年影すら見せなかったというのに」

一呼吸置き、壁際の蛭はゆっくり噛み締めるように語り始めた。
「私の屋敷に魔導師の旅人がやって来ました、その魔導師に"免罪符"の運び屋を依頼したところ断られまして」
ギルティンは笑った。
ギルティン「ガハハ! 仕事熱心なこった!」
エスカーダは気にする様子もなく続けた。
エスカーダ「口封じに襲いかかったところ、魔導師の契約悪魔としてお見えになったのです!」
フォビアリは鼻で笑った。
フォビアリ「たかだか魔導師の契約悪魔として成り下がる理由がない」
エスカーダ「あの絶対的な魔力……見間違えるはずがございません!」

口ひげを撫で、ティーカップに視線を落とし、ロッキングチェアに揺られて暫くして、フォビアリは口を開いた。
フォビアリ「念のため調べて見ますか」
ギルティンは至極興味なさそうに欠伸をした。
ギルティン「勝手にやってくれ」
フォビアリ「……エスカーダその魔導師の名は?」



        



「あの魔導師を出せ!」
「だから、意味がないと言っているでしょう」

トランプ本部、第2取調室

捕らえたギルティンと名乗る男の取り調べを開始して数日。ずっとこの"妹を殺した魔導師を出せ"の一点張りで、話は一向に進む気配がなかった。取り調べを担当していたリケは目の前のこの頑なな男に対して、アプローチの仕方を変えることにした。
リケ「話してくれたら、その魔導師を連れてくるわ」
男は伸び放題の無精髭と生気のない瞳を、くたびれたハンチング帽に落としたまま、項垂れた口調で口を開いた。
「アイツはトランプじゃねぇ、そんくれぇ知ってる、どうやって連れてくるってんだ」
リケはほぼ白紙の調書の上でクルクルとペンを回しながら答えた。
リケ「"ソイツ"は犯罪魔導師なの、トランプでも追っている最中よ」
男は視線を落としたままだった。
「なんだ、捕まえられてねぇんじゃねぇか」

リケ「捕まえるわ」

そのあまりにハッキリした即答に、男は思わず顔を上げた。リケはまっすぐ男を見据えた。
リケ「捕まえる、必ず」
取調室にノックの音が響いた。ドアが開き、リケの部下が慌てた様子で現れた。
「エース! 大変です!」
リケ「どうしたの」

「別々の場所で、同じ時間帯に、"ギルティン"の目撃情報が!」

リケは男に視線を向けた。
男はうつ向き、その口の端を吊り上げた。
「あーあ、そうきたかァ」
リケ「どういうこと、あなたはギルティンではないの?」
男は声を押し殺すように笑った。
「この世にギルティンなんてヤツはいねぇ、俺みてぇなデブのクスリ売りのことをギルティンと言うのさ」
リケ「なぜギルティンと言うの?」
それは、元ネタとなる人物がいるのではという意味での問いだった。
「さぁな」
リケ「……"ギルティン"は魔導師を語って魔薬を売っている、その"ギルティン"という"集団"の中には、少なくとも首謀者がいるはずよ」
「知らねぇ、あんたのただの憶測じゃねぇか」
リケ「あなた"たち"がそう見えるからよ、そうでないなら弁明してみせて」
男は沈黙した。
リケ「……その沈黙が答えね」
「違う、……アンタのオツムにもわかるような"弁明"を考えてんだ」
リケ「そう、じゃあ待っててあげる」
男は追い詰められたように落ち着きなくソワソワとし始めた。リケが焦って「早く早く」とヒステリックになることを期待していたが、そうならなかったためだった。追い詰められた。逃げ道が、ない。



        
        
        



トランプ総統執務室。
ジョーカーのデスクの前に横一列に並ぶ形で、カグヤ、ウランド、トウジロウ、そしてリケ。

ジョーカーは神妙な面持ちで顎を撫でながら椅子にもたれかかった。
ジョーカー「……偽者じゃったか」
カグヤ「影武者とは随分周到だな」
ウランド「しかもこのタイミングで影武者を増やしておまけにアピール、完全にケンカ売られてますね」
ウランドはからかうようにトウジロウに視線を向けた。トウジロウは額に青筋立ててウランドに食ってかかった。
トウジロウ「やかましいわアホンダラ! ひっとり残らず捕まえらええだけやろが!」

カグヤが口を開きかけたのを、トウジロウに見えぬようジョーカーが制止した。ウランドは「やっぱりな」とため息をついた。
ウランド「落ち着け、向こうが一枚上手だっただけだ。クラブのエースとキチンと立て直せ」
トウジロウ「俺は冷静や!」
ウランドは鼻で笑った。
ウランド「ああ、なるほど、つまり"それ"がお前の冷静な状態だと」
トウジロウ「どういう意味や!」
ウランド「そういう意味だ、俺の戯言にいちいち耳貸してるうちは出せない、体制の立て直しは俺とクラブのエースでやる」
トウジロウはウランドの胸ぐらを掴んだ。
トウジロウ「ほざくなドアホ! なんでお前が出しゃばんねん!」
ウランドは特に抵抗することなく、胸ぐらを掴まれたまま無表情で答えた。
ウランド「俺を出しゃばらせているのはお前だ」
トウジロウ「ぐっ」
トウジロウはばつの悪そうにウランドの胸ぐらを放した。
現在の特別体制で、トウジロウとリケの隊の直属の上司はウランドである。そのウランドに「お前には任せられない」と言わせているのは紛れもなくトウジロウ自身であった。
ウランドは微笑んだ。
ウランド「大丈夫だな?」
トウジロウは手をはたきながら、そっぽを向いた。
トウジロウ「やかましいわ」

リケは安堵のため息をついた。
リケ「話を続けます、目撃情報はいずれもパンゲア大陸各地です、併せてその周辺から"免罪符"が蔓延している模様です」
トウジロウ「作戦変更いうことか」
これまではパンゲア大陸の南に位置する、ムー大陸の南部から北上する形で魔薬"免罪符"がギルティンにより広められていた。
だが今回はパンゲア大陸各地に"ギルティン"が現れ、"免罪符"を広めている。これまでとは明らかにやり口が違う。リケはトウジロウを見上げた。
リケ「我々が捕らえた"ギルティン"は魔導師への不信感から非常に非協力的です、取り調べから得られる情報には注意が必要です」
トウジロウ「ほー、"得られる情報"」
リケはうなづいた。
リケ「その中で得られた情報ですが、やはりその"ギルティン"の集団の中には首謀者である本物の"ギルティン"がいるそうです」
トウジロウ「ホンモノなァ」
トウジロウはニヤリと笑った。
トウジロウ「急がば回れや」
リケ「どういうことです」
全員がトウジロウに視線を向けた。

トウジロウ「俺らの目的は」
リケ「魔薬テロを食い止めること」
トウジロウ「それは犯人が魔導師やった場合や、それでなけりゃあ最悪魔導師側の潔癖を神使教側にアピール出来ればええんやろ」
リケ「……確かに魔薬テロを食い止める目的は神使教との摩擦を生じさせないため」
トウジロウ「それには影武者一匹一匹叩いて回るんは効率悪い」
リケ「でも本物がどれなのか、わからないわ、捕まえた男からの情報も不確か」
トウジロウは両手をポケットに突っ込み壁に寄りかかった。
トウジロウ「ムー大陸までは単独やった、……どこから入れ替わってん、ソイツと、ホンモノ」
リケは考え込むように顎に手を当てた。
リケ「え……そうね……彼は元々マーフ国のキーテジの町の人間だった、キーテジの町からかしら? でもそこで入れ替わったなんて憶測よ」
トウジロウ「……一時期、ギルティンがあるヤツらとグルやいう情報があったな」

リケ「……W・B・アライランス……!」

トウジロウ「捕らえたヤツはソイツらに怨み持ってんねんやろ、ツルむいう話、出るはずない」
リケ「……彼らは本物の"ギルティン"に出会っている可能性がある……!」
トウジロウ「捜査の拠点はファンディアスの港町に置く。最悪ここでニセやろがなんやろが"ギルティン"食い止めら、神使教サマにクレームつけられることもない」
※巡礼船が出る時期に神使教徒が集まるため

ウランド「特別体制の本末転倒じゃないのか」
一般隊員は全員諜報、事件解決はウランド一人、例外として緊急性のあるギルティン逮捕をトウジロウとリケに、現在のこの特別体制は対W・B・アライランスのためのものである。
トウジロウは鼻で笑った。
トウジロウ「なんでやねん、とっととアイツら捕まえらええだけの話やんけ」
ジョーカー「そのためには、」
カグヤ「スペードのキング……!」



        
        
        
        
        
「へっくしっ!」

「やだ〜シェン汚〜い」

「悪い悪い」

顔を斜めに縦断する大きな傷、ツンツンとした頭頂部に長い襟足、目にかかる前髪、重ね付けられたピアスにネックレスに腕輪、いかにも今時の若者といった風体の小柄な男――リ・シェン
目の前でフワフワと舞う、手のひらほどの大きさの金の髪の妖精の少女――リンリンに、シェンは鼻をすすりながら屈託のない笑顔を向けた。
シェン「誰かウワサしてんのかもな」
リンリンは心配そうにシェンの通った鼻筋を撫でた。
リンリン「風邪じゃない? 大丈夫?」
シェンはニコリと笑った。
シェン「平気だよ、さてと」

腰に手を当て、見据えたその目の前に聳えるのは、端が見えぬほどの堀と壁に囲われた、巨大な城。

アトランティス大陸中北部シュリンガヴァッド王国首都ホッドミミル――人口数千万の巨大な城下町
リンリンが自分の肩に乗ったことを確認すると、シェンはツカツカと城の入り口へ歩を進めた。
当然のごとく、衛兵たちがその歩みを止めた。
「ご用件は?」
シェン「こういうモンなんだけど」
隊服の袖に刺繍されているトランプの隊章を指差して見せると、衛兵たちの態度は一変した。
「トランプ様でございましたか! 失礼いたしました! ご案内いたします」
シェン「サンキュ〜♡」
シェンは屈託の無い笑顔を向けた。


――謁見の間
決して飾り立てられてはいないが、その古い建築様式の凝った装飾が荘厳な雰囲気を醸し出している。
シックな色合いのレッドカーペットを暫く進むと、衛兵に待つように言われた。その目の前には古めかしい、だが、どこか気品のある、金銀財宝の取り付けられていない控えめな木造装飾の玉座。玉座のワイン色のシートは所々毛羽立ち、剥げている。
少しして、泥だらけのワイシャツを身にまとい、鷹のような鋭い目をした、ガッシリとした老齢の男がキビキビと玉座にかけ、足を組んだ。その立ち振舞いや雰囲気から一目でこの国の王であることが分かった。
王「ようこそ、トランプ殿、して用件は」
大抵は世間話や魔導師の普段の様子など、めずらしがられて話が弾むものだが、結論を急ぐ人だな、とシェンは思った。
権力に胡座をかかず、国政に注力し忙しい人物であることが窺えた。
シェン「実はお宅の宮廷魔導師殿に用がありまして」
周囲の家臣らがざわめいた。
シェン「あ! 別に逮捕とかじゃないよ? 捜査協力の要請に来たんだ」
王は笑った。そして、部屋の隅に目配せした。

「トランプ殿、悪いがそちらに構うヒマはない」

謁見の間に響く、凛とした、だがどこか少年ぽさを感じる声。シェンは後ろを振り返り、謁見の間の隅に目をやった。
シャンと伸びた背筋、深い森のようなグリーンの凛とした瞳に灰色のカールがかった髪、通った鼻筋に整った顔立ちの16、7ほどの少年――グランドセブン最年少の天才 アレッサム・エルファー
リンリン(あれ?)
シェン(誰かに似てるような……)

王「まあ、そうツンケンするな、アレス」
アレスは腕を組み、王をジロリと見た。
アレス「無駄話をするヒマはありません」
アレスは踵を返し、謁見の間を出ようとした。
シェン「シャンドラ・スウェフィードの件なんだけど!」
出口に向かうその足が止まった。そして、クルリと振り返り、無表情のまま口を開いた。
アレス「もし出くわしたら捕まえてやる」
そして再び前を向くと、そのままスタスタと謁見の間から姿を消した。シェンはポリポリと頭を掻いた。
シェン「えーと、じゃあ招集かかった時に直ぐに出てこられるようお願いしたいんスけど」
王は笑った。そして玉座の背もたれに身を預けた。
王「それは難しい」
シェンもまた笑った。
シェン「どうして? 戦争やるのに魔導師は必要ないでしょ?」
王はニヤリと笑うと、ひじ掛けに頬杖をついた。
王「有事に魔法でこの城下町全体に結界を張ってもらうようになっている」
シェンは白い歯を見せながらすぐさま切り返した。
シェン「お話からするに、まだその"有事"ではないようですが、もし本当にそれで魔法を使えば彼、戦犯魔導師ですよ」
王は笑いながら顔の前で手を振った。
王「これは失言! 冗談だ。彼には国の空の交通を担ってもらっている、彼がいなくなると国の機能がマヒすることになるのだ、招集は勘弁願いたい」
シェンは両腕を組んで困ったように笑った。
シェン「国の有事に必要と申されましたけど、彼は"世界の有事"にも必要なんです、ご理解願いたい」
王の鷹のような目がシェンの瞳を捉えた。シェンは臆する様子もなく視線に応えた。暫くの間、にらみ合いが続いた。沈黙を破ったのは王の短いため息だった。
王「世界の有事であれば致し方ない、我が国だけでグランドセブンを独占する訳にもゆかぬしな」
シェンはニコリと屈託なく笑った。
シェン「サンキュー! 王様!」

王「折角だ、泊まって行かれぬか、色々話を聞いてみたい」
シェン(んん?)
   「ハハ! 悪いけど、ちょっと急ぎなんだ、ありがたいですけど、またの機会に」
王は笑った。
王「それは残念、出口までお通ししろ」



        



レッドカーペットを歩くシェンは足早だった。
リンリン「どうしたの」
シェンは小声で答えた。
シェン「シッ! 後でね」
そうしてリンリンの羽を掴むと自分の服の中に押し込んだ。
リンリン「ムギュ! 何だよう!?」
準備は万端と言わんばかりに、シェンはレッドカーペットを走り出した。

シェンの服越しに、ガチャガチャと物々しい音が聞こえる。

リンリン「んん?」
リンリンはシェンの服から顔を出し、自分達の背後に目をやった。
リンリン「ギャーーッ!!」

押し寄せる甲冑、槍、剣。城中の衛兵たちに、追われていた。

リンリン「なんでなんでなんでーーっ!? そんなに王さま、シェンとお食事したかったの!?」
シェン「アハハハ! たぶん、戦犯魔導師のくだりだろ!」
いずれ、使うつもりなのにトランプに目をつけられてはわざわざ城に仕えさせている意味がない。
リンリン「口封じってこと!? 信じらんない!!」
螺旋階段を飛び降り、クルリと振り返ればそこには出口。
リンリン「あーっ!」
ジャリジャリと鎖が音を立て、城の重厚な扉が閉じられ、外に通じる跳ね橋があげられ、出口を塞ぎ始めていた。
シェン「うっひゃーっ! 間に合えっ!」
更に加速を始める、その時だった。

場内に風が巡る。

シェンは急ブレーキをかけた。螺旋階段の天辺から一閃、シェンの頭上目掛け、降ってきたのは黒い刃の巨大な曲刀。
あと半歩、ブレーキのタイミングが遅ければ、シェンは真っ二つだった。シェンの服に必死でしがみついていたリンリンは刀の主を睨み付けた。
リンリン「あぶないなっ!」
リンリンの怒りを気にする様子もなく、刀の主、アレスは小声で囁いた。
アレス「見逃してやる、ただし今回の件は不問にしろ」
螺旋階段をかけ降りる多数の足音。
シェン「そいつは難しいね、だってまだ未遂だけど、やるんでしょ? いつか」
アレス「我が国が勝てばそのいつかは訪れん」
衛兵たちが次々とたどり着き、シェンを囲った。シェンは両手を上げ、だがアレスをまっすぐと見つめニヤリと笑った。
シェン「困ったね……」
衛兵の一人が言った。
「捕らえろ!」
衛兵たちはシェン目掛け飛びかかった。アレスは刀を鞘の入り口にかけた。

シェン「まっ! 悪いけど、マークはさせてもらうから」
アレスの刀を収める手が止まった。見開いた深いグリーンの瞳に、グレイのつり目はニヤリと笑った。
シェン「"時空走ミ・グレイ"」
ユラリ、とシェンの身体は吹き消したロウソクの火のように消えた。
アレスの手には再び黒い円月刀があった。



        
        
        
  
シェン「ひーっ! あっぶねぇ!」
城の屋根の上で、シェンは緊張が解けたように笑いながら、袖を擦った。そこには刃物で裂かれた跡があった。だが裂かれたのは袖だけで、シェン自体に怪我はなかった。
リンリンはニヤリと意地悪な笑みを浮かべた。
リンリン「これが"見逃してくれる"ってことかなあ?」

――その通りだ

どこからともなく響く少年の声。
リンリンは慌ててシェンの服の中に隠れた。シェンは笑った。
シェン「風魔法だよ」

――本部に報告すれば、僕からの協力はない。

シェンはわざとらしく笑った。
シェン「ええっ! 何それ!?」

――その妖精に魔法をかけた。

シェン「ん?」
リンリン「へっ!?」
シェンはリンリンの羽を摘まみ、目の前に持ってきた。見かけに変わりはないが――
シェンの灰色の瞳がまじまじとリンリンの小さな腹辺りを見つめている。リンリンは顔を真っ赤にした。
リンリン「きゃーーっナニナニ恥ずかしいっ」

――五月蝿いな

アレスの声は、リンリンの腹から響いていた。ここから、会話が筒抜ける仕組みらしい。
リンリン「やだーっ! 何これぇっ!」
シェン「あっははははは!」
シェンは指を指して大爆笑した。
リンリン「わらいごとじゃなあーいっ!」
シェンは涙を擦り、笑いを押さえた。
シェン「わーかったよ、アレス、だからリンリンをいじめないでやって」
リンリンはシェンの鼻に抱きついた。
リンリン「うわーんっ!」

――では魔法は解こう

シェン「ただし、」
シェンは中空を見つめ、ニヤリと不敵な笑みを浮かべながら、腕を組んだ。
シェン「本当にやったら、即逮捕! 忘れないでね」

アレスからの応答はなかった。
シェン「あれっ!? おーい」
リンリン「お腹のムズムズなくなったあ」
シェンはリンリンの腹部を見つめた。
シェン「精霊消えたな、魔法解除キャンセルされてるよ」
リンリンは腹を擦った。
リンリン「よかったぁ!」
シェンはため息をついてポリポリと頭を掻いた。
シェン「……ま、忠告はしたってことで、一人目しゅーりょ〜!」
リンリン「次はどうするのー?」
シェンは困ったように笑った。
シェン「アテがない」



        



寄せては返す波の音。女たちが網の手入れをし、魚の開きの薫りが漂い、子どもたちが浜辺で遊ぶ声が響き、いつもの穏やかな日常がそこにあった。
子どもの一人が言った。
「あれなんだろう?」
沖に見えるはドクロの帆。

「海賊だ!」




フィード「あっちぃい〜!」
エオル「黒づくめだからじゃないの、てか、その服クーラー完備じゃなかった?」
これまでのカラッとした暑さとはうって替わり、湿度が高くムワッとする。蒸し暑い。そのような中、黒いコートをスッポリ被り、さらにフードを目深に被ってフィードは船室の椅子を並べた上に横たわっていた。
フィード「砂漠越え分くらいしかもたなかった」
エオル「バカだ……」
フィード「うっせー、……よしのは?」
エオル「航海が物珍しいらしいよ、ずっと海見てテンション高い」
フィードはがばりと起き上がった。
フィード「テンション高いよしの! 見てぇ!」
エオルは笑った。
エオル「あっはは! 何その食いつき!」
フィード「……うっせー」
フィードは再び並べた椅子の上に横たわった。

少ししてジャラジャラと鎖が擦れる音が聞こえてきた。
フィード「んあ? 錨下ろしてんのか?」
エオルは窓の外の様子を窺った。
一面のエメラルドグリーン。少し視線を進行方向に向けるとエメラルドグリーンとクリーム色の斑模様。エオルは納得した。
エオル「遠浅みたい」
フィード「お! 足つくのか! よっしゃー!」
フィードは船室を飛び出した。



        



「なに、海賊船!?」
村の屈強な男たちがわらわらと浜辺に集まってきた。
「遠浅だ、あの船じゃあの辺りまでしか来れねぇよ」
「ほら、小舟を出した」
「あの規模の船じゃ(船員は)バラバラじゃねぇと陸には上がれねぇ」
「小舟を叩くぞ!」
男たちはオールやバールなどを持ち出し、構えた。

海賊船の縁に小柄な黒づくめがよじ登っているのが見える。
「来るぞ」

ばしゃーん!

ところが黒づくめは小舟には乗らず、その脇の浅瀬に着地した。
「えっ!?」




フィード「ギャーーッ! 顔に水がかかった! 死ぬっ!」
よしの「フィードさまーっ!」
エオル「バカでしょ」
クリス「バカだな」
そしてゴシゴシと顔を拭うと、目を輝かせて走り出した。
フィード「岸まで競争しようぜーー」
エオル「どんだけフライング!?」
よしの「あわわわ!」
よしのはおいて行かれまいと慌てて船の縁から身を乗り出した。エオルは眉間を抑えながらよしのの肩に手を置いた。
エオル「よしのさん……相手にしなくていいから」




「やつら、浅瀬をそのまま来る気だ!」
「応戦するぞ!!」




よしの「まあ、浜辺に沢山人がおいでですね」
エオル「……ん?」
エオルは自分達の乗るこの船の帆を見上げた。黒地にドクロの帆――エオルは再び眉間を摘まみ、ため息をついた。
エオル「……そりゃそうだ……」




浜辺から男たちが向かってくる。
フィード「あん?」
フィードは小首を傾げながらも、走るスピードを更に速めた。
「今だ! 網を投げろ!」
フィード「ぬおっ!」
さきほどまで女たちが手入れしていた漁業用の網。伸縮性があり、絡まりやすく、フィードは忽ちミノムシのようになった。
村の男たちはキョトンとした。

なにがあったww

(勝手に絡まったーーーーっ!!)

「あの〜……」

ミノムシの背後から恐る恐る現れたエルフの青年と黒髪の少女。青年は剣を背負っていたが両手を上げていた。
エオル「怪しい者ではないです、事情を話させてください」
沖に目を向けると海賊船はUターンしているところであった。エオルはニコリと笑ってみせた。
エオル「あ、ちなみに俺とそのミノムシは魔導師です」
男たちは慌てて武器を降ろした。

――パンゲア大陸南部 ツーレ半島西南部 その漁村は波の音の心地よい穏やかな村だった。



        



白い歯の眩しい真っ黒に焼けた村人たちは色鮮やかで涼しげな巻き衣装に素足。
木造の高床、植物の葉で作られた簾を潜り、案内されたのは村長の家らしい。
真っ黒な肌と真っ白なヒゲのコントラストを、木造の床の上で正座をしながら、よしのは不思議そうに見つめていた。
村長は骨と皮だけの細長い腕を延ばし、よしのに手を差し出した。よしのは促されるままに握手した。
村長「可愛らしいお嬢さんだ」
よしの「あわわわ……滅相もございません」
村長「あなた方はどちらから」
よしのの隣で胡坐をかき、少し船旅に疲れた様子のエオルは答えた。
エオル「ムー大陸の丁度対岸から……その、タイミングよく暴れてた海賊を捕らえて」
村長は手を叩いて笑った。
村長「さすがは魔導師先生! やることが違う!」
エオルは頭を掻きながら釣られて苦笑いした。
村長「どちらに向かわれるおつもりか」
エオルは背筋をのばした。
エオル「それについてお伺いしたいことがありまして……よしのさん」
よしのは瞼を閉じ、深呼吸をした。周囲に風がそよぎ、ボンヤリと球状の光が浮かび上がると、光はやがて青、黄緑、黒、茶、深緑の5つの宝珠へと姿を変えた。
村長「おお! これが魔法か」
エオル「まあ、それに近いものです。で、この玉は不思議な力を持っているのですが、これに似たものを探しています」
村長はフカフカの綿のような髭を撫でながら、宝珠をまじまじと見つめた。
村長「見覚えないのぅ……」
エオルは窺うように笑った。
エオル「近くで暴れてる魔薬業者とか、ご存知ないですか」
一見突拍子のない話に、村長はキョトンとした。
エオルは慌てて付け足した。
エオル「あ、その……どこかの魔薬業者がこの玉を持っているらしいという噂を聞きつけまして」
「ほほぅ」と村長は髭を撫でながら、今度はエオルをまじまじと見つめた。
村長「あんたら、トランプじゃないんだね?」
念を押すような村長の問いかけに、今度はエオルがキョトンとした。
エオル「ええ、そうですけど……どういうことです?」
村長はため息をついた。
村長「魔薬はこの村の貴重な財源じゃ」
エオル「……は?」



        



よその集落からかなり離れた場所に位置する陸の孤島。海辺に面し漁業は盛んであるものの、他所への輸送手段もなく、漁といっても食べる分だけ。集落として国に納める税金もこのままではどうにも賄えない状態だった。そんなとき、話を持ち込んできたのが魔薬業者だった。
村長「この村の"立地"を利用してな、ムー大陸(※)のほうから魔薬を運ぶ秘密の港となっているのだ」
※フィードたちがやってきた大陸
エオル(そ、それって……どう考えても密輸)
フィード「港って、遠浅じゃねーか」
村長は笑った。
村長「それが逆に裏をかいているのだよ、輸送用の船舶がこんなところに来るはずがないとね」
エオル「海上パトロールの目が行き届かないということですか」
フィード「逆に見つかったら怪しすぎて即お縄だな」
村長「……我々をお縄にしますか? 魔導師先生」
エオルはドキリとした。魔導師にはそのような権利はない。だが、品行方正に努めるのが義務だ。この場合、義務に従うのであれば、国へ通報しなければならない。彼らから見て、自分たちはそのような存在なのだ。

フィードは腕を組んで悪巧みの笑顔を浮かべた。
フィード「ここは一つ、ギブアンドテイクでいこうじゃねえか」
エオル「?」(わ、悪い顔〜〜……)
よしの「?」(ギブアンドテイクとはどのような意味でしょう?)
村長「ギブアンドテイク?」
フィード「俺様らは魔薬業者とのパイプがほしい、てめぇらは通報されたくねぇ、つまりはそういうこった」
村長は笑った。
村長「なるほど」
エオル「……え? あれ?」
フィードはエオルをチラリと見やり、ニヤリと笑った。
エオル(なんかすんごく黒い会話じゃないーーっ!?)

開きかけたエオルの口を無理矢理塞ぎ、フィードは続けた。
フィード「悪くねぇ話だろ」
村長は回答しかねている様子だった。
フィード「安心しな、実は俺様たちもオタズネ者だからよ」
村を離れた途端に通報されることを懸念していた様子の村長は決心がついたようだった。
村長「ご贔屓にいただいている取引先を紹介しよう」
フィード「じーさん話わかるなー!」
エオル「……いろいろ言いたいけど、ひとまずこれだけ言わせて?」
エオルはフィードのこめかみに拳を当てた。そして、グリグリと力を込めた。
エオル「"あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・す"でしょうがっ!!」
フィード「んぎゃあぁああ!!」
フィードの断末魔が響いた。

――翌日――

エオル「お世話になりました」
現在地や近辺の地形、集落の情報などを聞き、いくらかの携帯食料や水をもらい、おまけに一泊までさせてもらった。お尋ね者だということを明かしたのに、認めたくはないが同じ穴のムジナだからか、至れり尽くせりだ、とエオルは思った。
フィード「さ〜て、んじゃあ例の魔薬業者んとこに行ってみっか!」
よしの「はい!」




「村長、どうします?」
村長はにこやかに笑った。
村長「どうするも何も」
フカフカの髭を撫で、茶を一口すすると、こう続けた。
村長「決まっているだろう、目撃情報でも、魔導師がらみならかなりの金が手に入る」
村人は笑った。
「では、さっそくトランプに通報しましょう」



        
        
        
KT … カイセツ(K)とツッコミ(T)
      またの名を
      カユイ(K)ところにテ(T)がとどく


      
       
p.1    ■エスカーダ
    15話で登場した悪魔。
    
    ■ノッシュナイド
    クリスのこと。どういうわけか悪魔たちはクリスを探している。
       

p.4    ■敬語なんだかタメ口なんだかよくわからないシェン
    他人との距離を測っているのと、あえてKYを演じているのです。
    ふと気が緩んだところでスルリと懐に入り、入られたことを気づかれぬようにまたすぐ距離を保つ、みたいな。
    そうやって"親しみやすいですよ、ボク"みたいなアピールをしているわけです。策略家。

       
p.8    ■挿絵
    数か月前からこの挿絵が書きたかった。でも背景書くんじゃなかった。。
       

p.10   ■"あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・す"でしょうがっ
    話の内容はとにかく礼儀を重んじるエオル。


       
       
       2011.8.3
        KurimCoroque(栗ムコロッケ)