21.cage garden back



雲一つない晴天
顔にかかる日差しが暑い
香る潮の香り
湿った風がまとわりつく

白い浜辺に三人分の足跡

よしのは目を瞑り陽射しを感じながら鼻から潮の香りをゆっくり吸った。
よしの「気持ちいい……」
フィード「あーっ!クソッ、ベタベタしやがる!だーから嫌なんだよ、海ってぇのは」
エオル「そこ……空気読んで心の中に留めてくれない……」

ジャラル国北端 波の音が響き渡る静かな漁村

エオルは「さて」と腕を組んだ。
エオル「当初の目的(※)とはだいぶルート外れてますけど」
※ジャラル国の東隣の国の港町(三話参照)だった
フィードは腕を組んだ。
フィード「旅なんてそんなもんだろ」
エオル「じゃなくて、パンゲア大陸に出るのにそこしかないって話だったじゃん」
フィードは浜辺にあげられた漁船に目をやった。
フィード「んなこたねぇよ、海挟んで北隣の大陸出んのに、ルートが一ヶ所なんてありえねぇだろ」
エオルはフィードの視線の先を追いながら答えた。
エオル「……パンゲア大陸に船出してる港で最短がどこかって話で目的地を設定したと記憶しているけど」
フィードはある一点に目を止め、ニヤリと笑った。
フィード「着いちまったもんはしょーがねー、ここが"最短"だ」
エオル「いや、ここどう見ても漁村……」
何言ってんのと向けた視線の先にフィードの姿は無かった。



―――― cage garden(the first part)(かごの庭(前編)) ――――



ガタン

誰もいない砂浜。
木と木がぶつかる音。
小さな小舟に小さな人影。
銀縁の丸い眼鏡、細く色白な手足、ツルリとしたマッシュルームカット。
少年は小舟に積んだ数個の木箱を見下ろすとフウとため息をついた。

「よう」

少年はギクリとして恐る恐る後ろを振り返った。

黒いフードから覗く真っ白な肌と真っ赤な瞳――
少年は一瞬ウサギかと思った。
そのウサギはきょとんとしている少年を見かね、小突いた。
「なーにボケッとしてんだよ、挨拶もできねーのか、最近のガキは」

ゴン

フィードは後頭部をさすった。
フィード「何すんだよ」
エオル「怯えてるじゃない」
よしのはしゃがみ、少年の頭をさすった。
よしの「大丈夫ですか?」
少年は頷いた。

フィード「おい、この舟お前のか?」
エオル「んな訳ないじゃない……」
少年はエオルを見上げた。
少年「ぼ……お、おれのだ!」
エオルはきょとんと少年を見た。
フィードは「ホレ見ろ」と得意気に腕を組んだ。

よしのはポンと手を叩いた。
よしの「荷物を積んでいらしたようですね、舟をお出しになるのですか?」
エオル「いやいやいや……」
少年「そ、その通りだ!」
よしの「まあ」

エオルは怪訝そうに眉を寄せた。舟なんて、こんな小さな子どもが玩具にするには危険すぎる。
エオル「きみ、お父さんかお母さんは?」
少年はギクリと顔を硬直させ、エオルから視線を逸らした。
エオル「?」

フィードは笑いながら少年を指差した。
フィード「さては家出だなあ〜!」
少年は今にも泣きそうな顔で舟の積み荷に目をやった。
エオル(図星……)
よしの(図星のようですね……ところで"いえで"とは何なのでしょう?)
フィード(……なんつーんだっけ、こういうの……ニボシ?)

繰り返す波の音が辺りに響いた。エオルは舟に積まれた荷物をチラリと見た。
エオル「……海に出るなんて危ないよ……もし君に何かあったら親御さん心配すると思うな」
少年はプルプルと体をこわばらせ涙を堪えているようだった。
フィードはポカリと少年の頭を殴った。
フィード「泣いてちゃわかんねーよバカ」
エオル「コラ!殴ることないでしょ!」
少年「うわあああんん」
少年は泣き出した。
エオルはジトリとフィードを見た。
少年「まだ泣いてないやぁあぁい」
エオル「そっち!?」
フィード「泣いてんじゃねーか」

よしのは少年の頭をよしよしと撫でた。
フィード「男がメソメソ泣いてんじゃねぇよ」
少年はボタボタと涙を流しながら、顎に力を入れて喚くのを止めた。
エオル(お!)
フィード「涙引っ込めろ汚ねえな」
少年の鼻を啜る音。
少しして
少年「……ひっ、引っ込まない……」
フィードは少年の両足を掴み逆さにつるし上げ、上下に振った。
フィード「引っ込めろっつってんだろがあぁ!!」
少年「ぎゃああああ」

ゴン

フィードは脳天を抑えて踞った。
エオル「大丈夫!?」
拳を擦りながら、エオルは少年の前に腰を下ろした。
少年「……あっ、涙止まった」
エオル「……」
フィード「ほぉぉうれぇぇいみぃぃろぉぉう」
フィードはふんぞり返った。
フィード「昔よくこうやって泣くのを止められたもんだ、マリアのババァに」
エオル(何やってんのあの人ーーっ!!)
※現実には虐待です。決して真似しないでください。



        



――間――

波打ち際の砂浜。膝を抱えて座り込む少年を取り囲むように一行は腰掛けた。
よしの「お名前をいただいてもよろしいですか?」
少年「…トゥートだよ」
エオル「トゥートくん、どうして一人で舟を出そうとしていたの?」
トゥートは俯いた。
トゥート「……関係ないじゃん」

ごりっ

トゥートの左右のこめかみに拳があてがわれた。
フィード「いいから話しやがれ」
トゥート「ひぃっ」
エオルは「こーらっ」とフィードの耳を引っ張った。

少年はゴクリと生唾を飲み込んだ。
トゥート「……い、一人前の漁師になりたくて」
フィードはトゥートの目を見つめた。
エオル「……? え〜と、ごめんね、話がよく見えないんだけど、一人前の漁師になることと一人で舟を出すのとどういう関係が、」
フィード「ヨォーシ!」
フィードはエオルの言葉を遮った。
エオルは何事かとフィードを見た。
フィード「よく言った! クソガキ!」
トゥートはきょとんとフィードを見た。

フィードは立ち上がり、腕を組んでふんぞり返った。
フィード「一人前を目指してこそ漢だ!!」
エオルはヤレヤレと頭を抱えた。
エオル(まーた何か始めちゃったよ……)
フィードはトゥートを指差した。
フィード「だがなクソガキ! てめえは順番を間違ってやがる!!」
トゥート「じゅ、順番……??」
フィードは顎をあげ、トゥートを見下ろした。
フィード「そんなモヤシが漁師になれると思うかっ!!」
トゥートの目に再び涙がにじんだ。慌ててフィードに見られないよう、俯いた。
フィードはトゥートの正面にしゃがみこみ、顔をあげさせるように人差し指でトゥートの額を小突いた。
フィード「安心しろ、俺様が鍛えてやろう」
フィードの悪魔のような笑みにトゥートは身の危険を感じた。
トゥート「い……いい」
フィード「なんだ? イチニンマエになりたいんじゃないのかァ?」
トゥート「う……」
トゥートは暫く沈黙した。何か考えているようだった。
暫くしてトゥートは固く拳を握りしめた。
トゥート「ど……どうすれば……」
フィード「よしっ!ではさっそく、」
エオル「まずは親御さんに了解とろうね」

わずかに空気が固まった。

フィード「ふざけんな! なーんで親なんかの許可が必要なんだよっ!」
エオルはヤレヤレと溜め息をつき、立ち上がると腕を組んだ。
エオル「当たり前でしょ、大事なお子さん預かるって言ってんだから」

…というか、そもそも俺ら、世間からみたら恐ろしい犯罪者なんだよ?

親に拒否され、それでこの話は終わるだろう、とエオルは考えていた。
フィードは舌打ちした。
フィード「チッ! 甘ちゃんヤローが、おいガキ、てめぇで決めろ」
トゥートは手をもじもじとさせ、青い顔で俯いた。
声をかけようとしたよしのを、エオルは口の前に人差し指をあて制止した。
フィードはしゃがみこみ、膝の上で頬杖をついた。
暫くの間、波の音のみが続いた。


そうしてトゥートはチラリとフィードを見た。
トゥート「……」
フィード「む、なんだよ」
トゥートは再び視線を足元に落とした。
トゥート「……」
フィード「だから、なんだっつってんだよ」
エオル「ふぃーいーどッ! 子ども相手に乱暴な言葉を使わないのっ!」
フィード「なにおう!」

トゥート「……ど」
二人の魔導師は同時に少年を見た。

トゥート「…………どうしようかと思って……」
フィードはトゥートの頭を引っ叩いた。
エオル「こらっ! フィード!」
フィード「てめぇで決めろっつったろが!」
トゥートは泣き出した。
トゥート「……だって〜〜〜……どうしたらいいかわかんないんだもん〜〜」
エオルはトゥートの頭を撫でた。
エオル「だから親御さんに聞こう、ね?」
フィードは後頭部に手を組んだ。
フィード「けっ! 家出は決められて修行はどうするか決めらんねぇってか」
トゥートはフィードの足元を、一瞬ヂロリと睨んだ。

……なんでぼくが家出しようとしたか、しらないくせに



        
        
        

トゥートの家は村を一望できる高台にあった。
他の家屋に比べて大きく、都会的な雰囲気の丁寧な白塗りの木造家屋。
綺麗に手入れされた庭にはたくさんの花々が咲き誇り、それはまるで寂れた漁村とは隔絶された別世界のようだった。
来客の気配を察知したのか、花々の影からひょっこりと麦わら帽子に袖をまくったYシャツ、銀縁の眼鏡をかけた優しそうな男性。
男性はにこりと笑いかけた。
「見ない方ですね、旅人さん?」
よしのは自分の後ろを見、促した。
よしのの背後から気まずそうにトゥートが顔を出した。
男性は笑った。
「おかえり、"長い"家出だったね」

男性はトゥートの父親だった。一行はトゥートを送り届けてくれたお礼にと居間に通された。
綺麗に片付けられ、至るところに花が飾られた内装はどこか女性らしさを感じさせる雰囲気だった。

木製のテーブルに、出された紅茶。
エオル(お茶なんて久しぶりだ…)

学生時代はインスタントでないお茶やコーヒーは当たり前、
お菓子や美味しい料理も当たり前、
快適な気温の室内で椅子に座るのも当たり前、
そんな日々だった。

紅茶を出し終え、トゥートの父親の隣に腰掛けたのは庭に咲き誇る花と同じような花柄のワンピースにフワフワのパーマの女性。
トゥートの母親らしい。
母親はトゥートに自分の隣の椅子に着くよう促したが、トゥートはよしのにしがみついたまま体を強ばらせ、動こうとしなかった。
母親は諦めたのか視線をエオルに向けた。
母親「旅人さんはどうしてこの村へ? 観光も仕事も、漁業以外何もないのに……」
エオルは一瞬視線を天井に向けた。
エオル「あー…っと、その、パンゲア大陸に出たくてですね、とりあえず"海辺"を目指していて……」
父親は笑った。
父親「ハハハ、どうせなら"港"を目指せばよろしかったのに」
エオルも笑った。
エオル「ごもっともです、旅慣れていないもので」
お恥ずかしい、と付け加えて、エオルは紅茶を一口啜った。
母親は父親に目を向けた。
母親「あなた、何とかならないかしら」

父親は窓の外を見た。
高台から海を一望できるその景色。
海の向こうにはうっすらと島影が見える。
エオル「パンゲア大陸ですか?」
父親「いいや、大陸はそのまた向こうさ、もうちょっと空気が澄んでいれば見えるんだけどね…」
父親はテーブルの上に手を組んでエオルを見た。
父親「あの島あたりに海賊がいてね、決まった場所での決まった時間にしか船を出せないんだ」
エオル「か、海賊!?」

海賊だなんて、新聞でしか見聞きしたことがない、遠い世界での出来事だった。それがこんな身近に暮らしている人がいるなんて。

エオル「……なんでまた……」
父親は微笑んだ。

父親「共存さ」

エオルはよくわからない、と眉を寄せ、首を傾げた。
エオル「何ですって?」
父親は再び窓の外を見た。
父親「ここの沖に、"海の主"という怪物がいてね、我々の漁業を守ってもらう代わりに売り上げの一部を納めているのさ、
   時間と場所が決められているのは海賊たちの知らないところで海の主に襲われないように……
   というタテマエの、実際は我々が不正に稼がないようにするためさ」
エオル「なんか……釈然としませんね……」
父親は笑った。
父親「こういう"共存"のあり方もあるのさ、私たちも初めは軍や自警団を呼ぶべきだと思ったけどね」
よしの「? 初めは、とおっしゃいますと?」
母親はトゥートをチラリと見つめた。
トゥートはそっぽを向いた。母親は視線をよしのに向けた。
母親「去年、他所から引っ越して来まして」

フィード「ふーん、で、こいつ、ダチいねーの?」

フィードのあまりに突拍子のない発言にエオルは一瞬フィードが何を言っているのか理解できなかった。
夫婦も同じく固まっている。
フィードは後頭部に手を組んで椅子をブラブラと揺らした。
フィード「家出先がいきなり海だとよ、行くダチん家ねぇからじゃねえの」
エオル「フィード〜! 親御さんになんてこと…」
フィードはどかりとテーブルに頬杖をついて、ニヤニヤしながらエオルとよしのを挟んで二つとなりに座るトゥートを見た。
母親は笑った。
母親「そんなことないですよ、小さいけど、村の学校にも通っていて…」

トゥート「うるさいんだよ!!!」



        
        
        
        
        
一同は椅子から立ち上がったトゥートを一斉に見つめた。
トゥートは鼻息荒くフィードを見た。
トゥート「だ…ダチならいるっっ!!」
フィードは菓子を頬張りながら鼻で笑った。
フィード「ウソつきめ」
トゥート「違うっ!! 海に出るのは、、りょ、漁師、にっ!なっなりたい……からだっ!!」

母親は溜め息をついた。
母親「まだ言ってる」
父親は銀縁眼鏡を外した。
父親「いい加減にしなさい、なるのはいいけどいきなり海だなんてまだ早いと言っているでしょう、なんでそんなに拘るの」
母親「あなた! なるのはいいけどってそんな無責任な、」

ガタン

玄関のドアの開閉の音――トゥートは家を出ていった。
母親「もう!」
母親は父親をジトリと睨み付けた。
父親は笑った。
父親「暗くなったら戻ってくるさ、それより、すみませんね、目の前で親子喧嘩だなんて」
エオル(どっちかっていうと夫婦喧嘩……)
フィード「どっちかっつーと夫婦ゲ」

ゴン

フィードは脳天を押さえてテーブルに突っ伏した。
父親はフィードを見つめた。
父親「あなたのおっしゃったことは間違いじゃないかもしれません」
フィード「あ゛?」
父親は手元を見つめながら苦笑した。
父親「実はここに引っ越して来る前、私は街で役人をしていまして」
エオル(あー……なんかそんな感じする)
生真面目そうでどこか都会染みた立ち振舞いに、エオルは納得した。
父親「ところが学校で息子が仲間外れにされているらしいということがわかりましてね……」
よしの「仲間外れ……」

よしのは隣に座る二人の魔導師に出会うまでに周囲から受けてきた仕打ちを思い出した。
よしの(人から受け入れられない、輪に入ることができない、何が違うのかわからない……
    あれだけ幼いですのに、どれだけ……どれだけつらく寂しいことでしたでしょう……)
よしのは目に涙が溜まるのに気づき、俯いた。

フィードはテーブルの縁に膝を乗せてブラブラと椅子を揺らした。
フィード「で、逃げてきたわけだ、いでっ!!」
エオルはフィードの脇腹の皮をつねりあげた。
エオル「環境を変えて心機一転やり直そうとしているわけですね」
父親は笑った。
父親「ええ、ですがここでもあまりうまくいっていないようで……」
母親「あなた!」
父親は眉を上げて口を下げ、ヤレヤレというジェスチャーをした。
父親「少し世間話が過ぎましたかな」
エオル「いえ……」
母親は立ち上がり、ヒラヒラとした絹の肩掛けを羽織った。
母親「今日泊まるところないでしょう?」
エオルは苦笑した。
母親「あなた、ちょっと集会所に掛け合ってくるわ」
父親「頼むよ」
エオル「あ、ありがとうございます……」
フィード「俺様もちょっと遊んでくるわ」
エオル「どこにだよ…」
フィード「海だ海」
エオルは笑った。
エオル「さっき、ベタベタするからどーのって言ってたのはどちらさんでしたっけ?」



        



暫くして、エオルとよしのは村の端にある木造の簡素な平屋建てに案内された。
その久しぶりに人工的な雨風を凌げる所を見つめ、エオルはひどく背徳的な気分になった。
この人たちは自分達をただの旅人だと思っている。
自分達が指名手配犯だと知っていたら、この親切もなかったことだろう。

自分達はこの人たちの親切を今、こうして裏切っているのだ。

平屋建てのドアを開けると綺麗に掃除された床に、
大量の酒、鼻腔をくすぐる色鮮やかな料理たち、
大勢の屈強な男たちと笑顔が底抜けに明るい女たち。

エオルとよしのはポカンと立ち尽くした。
トゥートの父親はその様子を見てエオルとよしのの間からこそっと耳打ちした。
父親「旅人さんなんて珍しいから、みんな話を聞きたいんだってさ」
屈強な男の一人が笑った。
「なにやってんだ、とっとと座れ!」
そう言って空のグラスを2つ、どかりと置いた。
グラスにはすかさず酒が注がれた。
エオル(お、お酒っ!?)
エオルはよしのを横目で見た。

たぶん…

エオル(多分……どう見ても俺より年下だよな……) ※エオルは20歳。
エオル「あの、彼女はお酒はちょっと…」
よしの「まあ、ありがとうございます」
見ると、女たちに促され既に席についているよしの。
エオル「よしのさん! 待って! それ水じゃ、」
「若いのが何野暮なこと言ってんだ」
屈強な男たちがわらわらわらとエオルを引っ張って無理矢理席に着かせた。
エオル「わーっ!!」



        
        
        
  
真っ暗な空にポツンと月明かり。
波の音が大きく聞こえる。

トゥート(出るんだ……出るんだ……!!)

家を出て、日が沈んでも、月が昇っても、トゥートは小舟の前で身構えたまま一歩たりとも動けずにいた。

「あれ、モヤシメガネじゃん」

突然背後から降ってきた聞き慣れた声に、トゥートは飛び上がった。

「なにやってんだよ」

砂を踏む音、声が近づいてくるのがわかった。

トゥートは急かされるように、慌てて小舟を押し出した。

「えっ!」

トゥートは浮かんだ小舟にすかさず乗り込んだ。
パドルを持ち、一心不乱に漕いだ。

「たったいへんだっ!!」



        



トゥートは後ろを振り返った。
月明かりに照らされた浜辺はミルクを入れすぎたパンケーキのように薄っぺらい。
だいぶん遠くまで出てきてしまったようだ。
トゥート(どうしよう……出ちゃった……出ちゃった)
急激に心細さがトゥートを襲った。

浜辺に向かいパドルを漕ぐが、あれよあれよという間に、思いとは逆の方向に、舟は進んでいく。
いや、進んでいくというよりも流されてゆく、が正確であった。
舟は完全に潮の流れに乗っていた。
トゥート(なんでっ!? なんでぇっ!?)
トゥートの嗚咽とパドルを漕ぐ音だけが響く。
……はずだった。

「うるせぇなあ」

誰もいないはずの船内から突然の声。
端に避けていた雨避けの掛け布がもぞもぞと動いた。
トゥート「ひっ」
トゥートは舟の縁にしがみつき、後ずさった。
バサリと乱暴に掛け布がめくられ、現れたのは
トゥート「う、ウサギさん」
半分しか開いていない赤い瞳は大きな欠伸と共に塞がれ、そうしてまた半分だけ開かれた。
フィード「ん? どこだここ」
トゥート「ななな何やってんだよっ……!!」
フィードは今気づいたかのようにトゥートに目をやった。
フィード「あれ? お前何やってんだよ」
トゥート「ええっ!?」
    (こっちが聞いてるのに……)

ふと、冷静になって気づいた。
パドルがない。

トゥートは慌てて辺りを見回した。
やはりない、どこにも。
フィードに驚いた拍子に、海に落としたようだった。
トゥート「どっどうしてくれるんだよっ!!」
フィード「はぁ? 何がだよ」
トゥート「パドル!! 落としちゃったじゃないかっ!!」
フィード「??? は? ぱどる??」
フィードはボリボリと頭を掻きながら辺りを見回した。
次第にその目が開いていく。
フィード「あ゛?」

プカプカと揺れる地面、月明かりを反射して煌めく水面。

フィード「うおーーっっ!!」
フィードが突然立ち上がったため、舟は大きく揺れた。
トゥート「うわあ!」
トゥートは舟の縁にしがみついた。
トゥート「なっなんだよっ!!」
フィード「海のど真ん中じゃねぇかっ!!」
トゥート「そうだよ!」
トゥートは"ついに海にでてやった"という妙な自信が湧いていた。

フィード「俺様はてめぇの家出に付き合う気はねぇ!!」
トゥート「じゃ、じゃあなんで舟にいたんだよっ!!」
フィードはどかりと乱暴に座った。舟は再び揺れた。
トゥート(いちいち揺らさないでよ〜〜)
フィード「陽当たりが良くてな」
フィードはあくびをした。
フィード「腹減った、早く浜に戻せ」
トゥート「だからっ! パドル落としちゃったんだってば!」
フィード「何ィーーーっ!! バカじゃねぇの!? どうやって戻んだよ!!」
トゥート「なんだよ! おまえのせいだろっ!!」

その時ふと月明かりが陰った。
見上げると黒い壁、岩壁のようだ。



        



トゥート「か、海賊島だ…!!」
フィード「かいぞくじま? なんだそりゃ、面白そうだな」
フィードは近くの小岩に飛びうつろうとした。トゥートはフィードの黒いコートを引っ張ってそれを阻止した。
フィード「なにすんだよっ」
トゥート「しーーっ!! いいから!!」
目立たないように雨よけの布を被り、ただただ潮の流れに委ねた。
プカリプカリと、舟は海賊島を横切っていく。

その途中岩の連なりが疎らな箇所が現れた。
岩の隙間から明かりが見える。
フィードとトゥートは同時に呟いた。
トゥート「三日月の形なんだ」
フィード「クロワッサンみてぇな島だな」
島の中央は海、それを取り囲むように岩の陸地が広がっている。
その所々には松明が煌々と焚かれ、海面をオレンジに照していた。

その中を一人、人影が岩の隙間から現れた。
フィード「お! 人じゃねーか、助けてもらおうぜ」
トゥート「何言ってんだよ!! 海賊だぞ!!」

人影は水際までくるとパンパンと手を叩いた。
トゥート「あ……」
松明でオレンジ色に照らし出されたのはトゥートと同い年くらいの、恰幅のよい女の子だった。
フィード「何やってんだろな、金持ちが庭の池の鯉呼ぶみてえに」
すると海面が盛り上がり、まるで殻を破るように、その盛り上がりから現れたのは、
トゥート「ひっ」
少女の身体ほどの巨大な爬虫類の瞳、鶏冠のようなヒレ、蛇のような鱗。
それは顔の半分だけ覗かせ、少女をじっと見つめていた。
トゥート「何!? あれ!?」
フィード「ウミヘビじゃねーの? あ、でも鶏にも見えんな」
トゥート「そんな平和的な生き物には見えないよ!?」

少女は傍に置いていたバケツから鶏の死骸を取り出し、"ウミヘビ"に向かい放り投げた。

バッシャアン!!

巨大な水飛沫を上げ、人を何人も丸飲みできそうな巨大な口が小さな鶏を飲み込んだ。
トゥート「ひいぃぃ」
フィード「……あいつ、見覚えあんな」

確かここに来る前に立ち寄った町のハンターズ。
小遣い稼ぎはないものかと眺めていた賞金首魔物クリミナルモンスターの掲示板。
フィード「ここいらで暴れまわってる魔物がいるって聞いたぜ?」
トゥートはフィードの発言が突拍子のないことに思え、眉根を寄せた。
トゥート「海の主のこと?」
フィード「そいつじゃねーの、あれ」
トゥートは首を振った。
トゥート「そんなわけないじゃない! 海賊は海の主から漁師の人たちを守ってるんだぞ!? 
     どう見てもあれ海賊のペットじゃん! エサあげてるし!」
フィードは顎を撫でながらニヤリと笑った。
フィード「ほぉーう」

舟は潮の流れに乗り、どんぶらこと海賊島も離れていった。
トゥートはようやく海賊から離れられたと安堵した。
フィード「なら試してみっか」
トゥート「?」
ポツリと出たフィードの突然の提案が、何に対してのものなのか、トゥートにはわからなかった。
フィードは呪文を唱え始めた。
トゥート「なっなに!? なに!?!?」
フィード「小爆炎グラン・デ!」

ドオォォン!!

フィードの手のひらから放たれた光弾は舟から数十メートル先で巨大な水柱を起こした。
水柱が海に戻り、代わりに大きな波が舟を揺らした。
トゥート「ぎゃあああ!!」
フィードは両手を腰にふんぞり返った。
フィード「ギャッハッハ! 出てこい! ウミノヌシ〜!」
トゥート「何考えてんだよっ! てか、お前、もしかして魔導師なのっ!?」
フィードはなに当たり前のこと言ってんだと訝しげにトゥートを見た。
フィード「見りゃわかんだろ」
トゥート(ええーーっ!!)

魔導師といえば、もっとこう、知的で真面目で優しくて、それでいて正義感の強い、ヒーローみたいなものじゃないの?

トゥートは見事に自分の魔導師像を壊してくれた目の前の魔導師をまじまじと見つめた。
フィード「なんだコラ、ガンつけやがって」
トゥート(どこの田舎のヤンキーだよっ!!)

波の揺れが徐々におさまってきた、かのように思えた。
今度は背後からの波に、舟は揺らされた。
風はない。
フィードは真下に手をかざした。
フィード「小爆炎グラン・デ!」

ズドォン!!

フィードの手から放たれた光弾は舟のすぐ横の海中で爆発し、出来上がった水柱に舟は一瞬ほぼ垂直に傾いた。
トゥート「ぎゃあああ!!」
トゥートは死に物狂いで舟にしがみついた。

ギャアアア!!

トゥート「え…」
空に突き刺さるかと思うほどの長い首、
大人数人を軽々と丸飲みできそうな大きく裂けた口から黒煙を吐き、
その頭には先ほど見たあの鶏冠。
そしてボタボタと音をたて舟に生暖かい雨が降り注いだ。
トゥート「うわっ!」
降り注いだ雨は鉄臭く、そして赤かった。
フィードはニヤリと笑った。
フィード「これで菓子代の足しにでもなんだろ」

トゥート「うわ……うわ」
トゥートは見たこともない巨大な生物に言葉が出なかった。
それどころか、体はガタガタと震え、うまく力が入らない。まるで自分の体でないみたいだ。
首の直径だけでこの舟の2、3倍はある。
トゥート(ダメだ……死ぬ……)

急に、今まで当たり前だった両親との家での毎日が恋しくなった。
戻りたい、あの笑顔に会いたい、一緒にいたい、寂しい、もう会えないなんてイヤだ。

トゥートの目からボタボタと大粒の涙が溢れた。
トゥート「おうちに帰りたい〜〜〜!!」

フィード「火炎龍プロム・エ・ス!!」

海の主と同じくらいの火龍の巨体が、海の主の頭を飲み込んだ。
フィード「ハン」
フィードはニヤリと笑った。
フィード「よし、ガキ、あいつの鶏冠、ちょっと行って採ってこい」
トゥート「はあぁっ!?」
トゥートはしゃくりあげながら鼻水をすすった。
フィード「金になんだよ」
トゥート「じっ自分でとりに行けよっ!!」
フィードはふんぞり返った。
フィード「俺様泳げねーんだよ」

頭がよくてスポーツ万能、魔導師とはそういうものだ、
泳げないなんてあり得ない、僕をこきつかうための嘘だ、とトゥートは思った。

その時だった。

月明かりが陰った。
頭部が消し炭と化した海の主の巨大はあろうことか舟の真上に傾き始めた。
トゥート「えっ」
フィード「あ?」

ズドォン!!



        



激しい水飛沫をあげ、巨体は舟のすぐ横に倒れ込んだ。
トゥート「うわああ!!」
二人は舟から投げ出され、多量の水を被った舟は転覆した。

トゥート「ぶはっ!!」
都会にいた頃に、スイミングスクールに通っていてよかった、当然そこでもいじめられていたのだが。
トゥートは辺りを見回した。
トゥート「う、うさぎさん!?」

ブクブクブク……

トゥートの少し背後に量のある泡ブク、それは徐々に少なくなっていく。
トゥート「……」

ホントに泳げないのーーーっ!!!?

トゥートは慌てて潜った。夜の海は漆黒の闇。海の主が倒れたために起こった水の強い流れ。力いっぱい手足を動かした。
僅かに照らす月光とその光を反射して煌めきながら、僅かに上がる泡を頼りにフィードを探しあて、死に物狂いで急上昇。

トゥート「ぶはっ!!」
こんなに深く潜ったことなどなかった。苦しくて、危うく意識を失うかと思った。
塩水で目が痛かった。口の中もしょっぱすぎて舌がどうにかなりそうだ。
トゥート「はー……はー……げほっ、う、うさぎさん!!」
フィードの顎を支え、仰向けに浮くようにしながら、トゥートは何度も頬を叩いた。
水は吐いたが起きる様子はない。トゥートの立ち泳ぎもそろそろ限界だった。
トゥート(どっか……どっか掴まるとこ……)

トゥートはあてもなく泳ぎだした。

息は絶え絶え、誤って何度も海水を飲んだ。
トゥート(死ぬ……死ぬ……)
トゥートの目は海水と涙にまみれていた。
辺りは月明かりのみ、自分が水を掻き分ける音しかない。

一体どれだけ泳いだだろう。

やがて、遠くにポツポツと明かりが見え始めた。
それはやがて大きくなり、ド派手な装飾とギラギラとした明かり、
トゥート「ふねだ……」
トゥートは明かりを見て安心するとそのまま眠るように意識を失った。
船にはドクロの旗が掲げられていた。



        



ポツン……

ポツン……

水滴が落ちる音にトゥートは目を醒ました。
「女と子どもだとよ」
「なんたってこんな夜更けに」
聞き覚えのない男たちの声。

ぼんやりとした頭はやがて覚め、その目の前には鉄格子。
トゥートはムクリと起き上がり、目を擦った。
壁はゴツゴツとした岩。
洞穴に鉄格子を取り付けてあるようだ。
村の施設じゃないことは確かだ。

男たちの会話は続いた。
「リリーの様子は」
「ありゃあダメだ、しばらく立ち直れそうにねぇわ」
「あんなのできるの、あの女しかいねぇだろ、魔導師のバッヂつけてたし」
「魔導師って怖ぇ〜」

トゥート(魔導師!! うさぎさんのことだ……! てか、女と勘違いされてるし……そういえば、うさぎさんどこに、)

「ぶぇっくし!!」

トゥートは飛び上がった。
そうして自分のすぐ隣に目をやった。

「あ゛〜」

そうして鼻をすすりながらムクリと起き上がった赤目はキョロキョロと辺りを見回した。
フィード「んあ゛? どこだここ」
鉄格子越しに二人の男が寄ってきた。
「このアマ、よくも海の主をやってくれたな」
フィードは自分の回りを見回し、「アマ」と話しかけられているのが自分だと気づいた。

フィードはにこりと笑った。
フィード「え〜ごめんなさいい〜怖くってつい〜」 ←裏声
トゥート(キモッ!)
トゥートは思わず鳥肌が立った。
「"つい"であんな化け物倒しちまうとか、やっぱ魔導師って化け物だな」

がしゃん……

フィードは手元を見た。
何やら文字の書かれた白い手錠がはめてある。
フィード「なんだこりゃ?」
男たちは鼻で笑った。
「知らねぇのかよ、魔導師先生のクセに」
フィード「ハァ!?」

トゥート「ねぇっ! ここどこ!?」
男たちはさらにニヤニヤと笑いだした。格子越しにしゃがみ、トゥートと目線を合わせると、舌を出した。
「どこだと思う」
トゥート「……」
「村のガキか?」
トゥートは口をへの字に曲げてこらえたが、自然と涙が溜まってくる。
それは、ここがどこかわかっていたからだった。
体の震えがとまらない。

ガシャァン

男たちは思わず飛び退いた。
フィードの足形に、鉄格子が湾曲した。
フィード「どこだっつってんだハゲ」
「こんのアマ!!」
フィードは呪文を唱え始めた。だが、
フィード「ん?」
いつもは呪文を唱え出すと同時に周囲を漂う火と風の精霊たちか踊り出すのだが、
なぜか一向に、踊り出すどころか魔導師の呪文に見向きもしない。
フィードははめられた手錠に書かれた文字を改めて見つめた。
トゥートも不安そうに手錠を見た。
トゥートは学校に通っていたため文字の読み書きは不自由なかったが、見覚えのない文字だった。
トゥート(外国の文字かな?)
フィード「あーっ!」
トゥートは飛び上がった。

フィード「魔法封じとかって書いてやがんぞ…」

手錠に書かれていたのは魔力を封じ込める魔法陣だった。
「読めんのかよ、よく知らねぇけど、そうらしいな」
フィードは顔をしかめながら、「どういうことだ」と眉根を寄せた。

男たちはフィードを見ながら吐き捨てるように言った。
「魔導師先生はこっちにもいるってこった」



        
        
        
KT … カイセツ(K)とツッコミ(T)
      またの名を
      カユイ(K)ところにテ(T)がとどく


      
       
p.1    ■あっ、涙止まった
    関係ないですが、コップの反対側から水を飲むとしゃっくり止まるらしいですね。
    なんでも全然別のことに集中するから体がしゃっくりを忘れるそうです。
    それとおんなじなのか…な?
       

p.3    ■インスタントでない
     貧乏旅でも嗜好品は必要ですね。
     ちなみにインスタントなコーヒーやお茶はこの世界にもあります。
     でもやっぱり、本物にはかなわないでしょう。

       
p.5    ■集会場
    トゥートのお父さんとお母さんは近所づきあいがうまくいっているようです。
    
    ■どう見ても俺より年下だよな
    未成年の飲酒はいけませんが、飲酒可能な年齢は国によって違います。(そんな法律ない国だってあります)
    これはあくまでエオルの中での常識です。(20以上で飲酒可能という常識)
    ところで、よしのがいくつなのかは…当然エオルもフィードも、そしてよしの自身も知りません。
       

p.6    ■モヤシメガネ
    こういうあだ名でいじめられているようです。
    ちなみに声をかけたのは学校の友達です。
    トゥートは後ろを振り返らず声だけで判断してそのまま逃げたので、
    明確に誰か、というのは記載していません。


p.7    ■陽当たりが良くてな
    その割に雨よけの布にくるまっていたフィード。素直じゃないです。
    でもトゥートもその矛盾に気づかない。子ども同士の会話です。
       
       
p.10   ■女
    いつかもフィードは女と思われていましたね。さてなぜでしょう。
    
    ■なぜか一向に、踊り出すどころか魔導師の呪文に見向きもしない
    魔導師は自分の専門とする魔法の原料となる精霊を"見る"ことができます。
    フィードの爆炎魔法では、火と風の精霊
    エオルの流水魔法では水の精霊などなど。。
    
    ■魔導師先生はこっちにもいるってこった
    トランプ、魔導師協会以外の、それも海賊に加担する犯罪魔導師のもようです。
    こういう魔導師に出会うのは、一向にとって初ではないでしょうか。
       
       
       2011.2.26
        KurimCoroque(栗ムコロッケ)