18.don't quench their thirst back



ムー大陸北部ジャラル国南部

荒れた田畑、
朽ちた家屋、
枯れた草木、
ひどく寂れたその村は、生ぬるいそよ風で一行を歓迎した。

フィード「なんだ、廃村じゃねーか」
エオル「おかしいな、地図にはしっかり載ってるんだけど」
よしの「どなたかいらっしゃるかもしれませんよ」
クリスは欠伸した。



―――― don't quench their thirst(潤わない喉) ――――


フィード「人がいねぇんなら、しょーがねーな」
エオル「いや、まだ探してもいないでしょ…」

フィードは腕を組んだ。
フィード「こんな村でもちったぁ金目のモンくらいあんだろ」
エオルは指をボキボキと鳴らした。
よしの「あの…」
2人の魔導師はよしのを見た。

よしの「エオル様の仰る通り、まずはどなたかいらっしゃらないか探しませんか?」
フィードはニヤリと笑った。
フィード「そうだな、棚の中とかにいるかもな」
エオル「家の中ね!」
そうして3人は別々に村を回ることにした。



よしの「どなたかいらっしゃいませんか〜?」
何処へともなく呼びかけた言葉はむなしく中空に掻き消えた。
よしの「…」
よしのの腕の中で、クリスは自身に絡みつく生ぬるい風を振り払うように尻尾を振った。
クリス「…人間の気配はするけどね〜」
よしの「本当ですかっ!?」

すると、微かだが人の会話している声が聞こえてきた。
少しずつ近づいていきているようだった。
よしの「一つ隣の通りでしょうか!」
よしのは駆け出した。



エオル「おっ!」
村の端まで歩き終えたエオルは、
柵に囲われた村の出入り口となっている門(一行がやって来た方角とは逆の出入り口)に、
荷を下げた鹿のような生き物が4頭繋がれているのを発見した。

エオル(4名様はいらっしゃるようね)
「…あの〜…」
エオル「!」
エオルは後ろを振り返った。



フィード「チッ!金目のモンの一つもありゃしねぇ!」
乾いた小石を蹴りながら、ダルそうに目の前にある道をただ歩く、
その小石を蹴る音に、いつの間にか足音が混じっていることにフィードは気が付いた。
ちょうど次の角のところ、こちらに向かって来ている。
コツコツと響く足音に、フィードは聞き覚えはなかった。
その真っ直ぐ淀みのない足音は、この寂れた廃村に似つかわしくないものだった。
フィード(旅人か?)

コツ

コツ

コッ…

生ぬるい風に棚引く灰色のマントに黒のキャソック
無地の制帽の下から覗く鋭い瞳は眉から鼻までの黒い仮面に覆われていた。

男は足を止めた。



        


フィード「…お前、ここのヤツか?」
男「…」
男は足を止めたままフィードの頭から爪先までジロジロと凝視している。
フィードはイライラしながら声を荒げた。
フィード「なんだよ」

男はニタリと笑った。
男「フハハハハ」
フィードはボキボキと指を鳴らした。
フィード「てめー、いい加減にしねーと、」

男「貴様は見たことがあるぞ」
フィード「!?」

男はマントの下から長ドスを覗かせた。
フィード「?
     杖?」
木製の鞘から刀がズラリと引き抜かれた。

男「"火葬屋"フィード」

フィードが返事をする間もなく、男はフィードの懐に入り込んだ。
フィード「!?」(速ぇ!!)

フィードは後ろに飛んだ。

フィードの首からツゥと真っ赤な血が流れた。
フィードはそれを袖で拭うとニヤリと笑い、構えた。
フィード「危ねぇな」

男はツカツカとフィードに近寄ってくる。
男「貴様の捕獲レベルは"D・O・A(生死問わず)"だ…!!」
フィード「…なんだ、ただの賞金稼ぎか、なら知ってんだろ、俺様は」
男は淀みなくフィードとの距離を縮めた。
男「魔導師」

男はニタリと笑った。
男「それがどうした。」
フィード「…ヤロー」

フィードは男の正面目掛けて駆け出した。

男の刀が宙を切った。

その懐にはフィード。

フィードの放った拳はくるりと避けられ、
その後頭部には男の踵。

フィードはそのまま前に宙返り、
タイミングよく男の踵を空振らせる。

フィードが着地したところで、
その脳天には真っ直ぐ振りおろされる刀。

フィードは着地したその足で横に大きく飛んだ。

ゴロリと肩で受け身を取って一回転すると、その勢いでピョンと立ち上がった。

フィードは勢いよく構えた。
フィード「やんじゃねぇか!賞金稼ぎ!」

男は刀を鞘に収めた。
フィード「ん?」
男の手は柄から離れない。

ヒヤリ、と顔が冷たくなった。
フィードは直感的に後ろに飛んで間合いを取った。

男はニタリと笑った。
男「キル」

フィード「!!?」

男は地を蹴った。



        
        
        
「ハイジ!!」

ザリザリと音を立て、男は急ブレーキをかけた。
そしてゆっくりと後ろを振り返った。

視線の先には13、14歳ほどの少年。

「何やってんだよ!もう!」
少年はプリプリと怒りながらツカツカと男に歩み寄った。

少年「人が見つかったんだって!旅人さんだけど…」
男「それなら俺も見つけた」

少年は男の陰からひょっこりと顔を出した。
少年「あっ!もしかしてエルフの兄ちゃんと黒髪のお姉ちゃんの仲間!?」
フィードはキョトンとした。
フィード「あ?」


――間――


エオル「ご家族で巡礼の旅ですか」

鹿が繋がれていた村の出入り口、
一行と、その目の前には夫婦と見られる男女、少年、そして"ハイジ"と呼ばれた男。

エオル(…家族はわかるけど…この仮面の人、何?)

エオルの視線に気づき、夫妻が口を開いた。
妻「彼には道中の警護を依頼しています」
夫「とても優秀な賞金稼ぎさんらしくてね、
  ジパングの"サムライ"に会いたいらしく、
  我々がジパングまで案内する代わりに用心棒をしていただいていて」
エオル(げ…賞金稼ぎ!?)
よしの(ジパング…!!)
仮面の男はエオルをジロリと見た。
エオル「う!?」
男「お前も見覚えがある、"堕ちた天才"エオル・ラーセン」
フィードは再び構えた。
フィード「こいつ、俺様らのこと知ってるみてえだぞ」
エオル「げっ…!!」
よしの「??」

男は鞘から刀を抜いた。

少年「ちょ、ちょっと!ハイジ!?」
ハイジと呼ばれたその男は淡々と答えた。
ハイジ「金が入るぞ、よかったな」
少年「なっ!?何言って…」

夫妻は少年を引き止め後ろへ下がった。
少年「何すんだよ!止めなきゃ…!!」
夫「ハイジさんは賞金稼ぎだ!
  つまり彼らは賞金首…犯罪者ってことだろう!?危ないよ」
妻「ここはハイジさんに任せなさい」
少年「…!!」



フィード「…"狂犬"」

エオルは「え?」と聞き返しながら剣を構えた。
フィード「"狂犬"ハイジ、かなり名の通った賞金稼ぎだ」

エオルはため息をついた。
エオル「一般人の俺には"裏社会の"有名人なんて縁遠すぎるよ」
フィードはニヤリと笑った。
フィード「よかったな、その縁遠い有名人とこれでお近づきになれるじゃねえか」
エオル「大事な部分を端折らないでくれます!?」

ハイジは刀を構えた。
フィード「ハン、魔導師2人相手に良い度胸じゃねぇか」

ピリ、と空気が張り詰めた。

フィード「魔法拳!」
フィードの拳から炎が吹き出した。
エオル「ちょっ、フィード!相手は魔導師じゃないんだよ!」

フィードは鼻から息を吐いた。
フィード「ナメてかかっと」

フィードは地を蹴った。
フィード「痛い目見っぞ!!」

同時にハイジも地を蹴った。

その時だった。

目の前にはサラリとなびく黒髪
真っ直ぐ広げられた小さな手

フィード「げっ」

フィードは炎を引っ込めブレーキをかけた。

目の前には両腕を大きく広げ立ちはだかる、よしの。

よしのとハイジの視線がかち合う。

よしのは微動だにしなかった。

ハイジ「…!」

ハイジの手は止まらない。

フィード「!!」
フィードは再び地を蹴った。

        
        
        
        
        
よしのの顔の横にはフィードの腕、
そのすぐ横にはハイジの刀。

エオル「す…寸止め…」

ハイジはニタリと笑い、2、3歩下がった。
ハイジ「女のために腕を差し出そうとするとはな、余程大事な女とみた」

フィードは僅かに裂けた袖をさすりながらズイとよしのを後ろに押しのけた。
フィード「よしのは大事な仲間、」

今度はよしのがズイとフィードの前に出た。

フィード「オイ!」

よしのはすうと息を吸った。
よしの「理由もないのにケンカはいけません!」

フィード&エオル「うっ!」
フィードとエオルは首根っこを摘まれた気分になった。

ハイジは刀は納めたが、柄から手を離さなかった。
ハイジ「理由ならあるぞ」
よしの「なんです!」

ハイジは顎を上げた。
ハイジ「そいつらを殺れば金が入る、旅には必要なものだろう?」
よしの「…あなたは本当にそれだけですか…?」
ハイジは薄ら笑いを浮かべた。

よしの「このケンカ、これ以上続けるようでしたら、二人とも私がお相手いたします」
フィード「アホか!ケンカはダメなんて通用するようなヤツじゃ…」

少年「オレも!」
少年が三人の真ん中に割って入った。
少年「ハイジ!!ここは刀を納めて…
   オレや父さんたちは必要以上のお金は望んでないんだ…」
ハイジはニタリと笑った。
ハイジ「わかった」

フィード(こいつ絶対わかってねぇ…!!)

よしの&少年「よかった!!」

エオルがフィードの元へ駆け寄った。
エオル「あの彼、絶対わかってないね、諦めてないよ…!!」
フィード「身のこなしが人間じゃねぇ、まるで獣人のそれだ。
     次来たら本気で行かねえと、マジでうっかり"とられる"ぞ」
そう言うフィードの顔はニヤリと口角が上がっていた。
エオル「…なに」
フィード「世界は広いなと思ってな」
エオルはため息をついて、ハイジを見た。
エオル(確かにあの太刀筋…俺たちが魔導師と分かってて向かってきたのは驕りじゃないな…)

エオルは夫妻に視線を向けた。
エオル(早く離れよう)
   「…俺たちはあなた方を襲ったりするつもりはありません、すぐここから去ります」
夫は少年を後ろに押しやりながら答えた。
夫「ああ、そうしてくれると助かる…!!」
その、社会の異物をみるような目は、
自分が元いた世界から完全に弾き出された、
自分はそんな存在だと知らしめるには十分であった。

"うわぁ…凹むなあ…"エオルは「はい」と返答をしつつ、そう思った。

少年「待って!」
一同は少年に視線を向けた。
少年「俺たち、旅の生活用品が尽きちゃったから供給にここ寄ったんだ、
   兄ちゃんたちもそうなんじゃないの…?」
エオルは微笑んだ。
エオル「気にしなくていいよ」
少年「…」

少年は父親を見上げた。
少年「父さん!この人たち、多分悪い人じゃないよ!」
少年と父親のやり取りを見つつ、エオルは呟いた。
エオル「…いい子だね」
フィード「ただの世間知らずだろ」

…カタン

2人の魔導師と賞金稼ぎは同時に同じ方向へ目を向けた。



        



少年「ハイジ?」
よしの「どうかされました?」

風はなかった。
何かが落ちた音でもない。
そう、何かが"ぶつかった"音。

よしの「ぶつかった音?
    やはり誰かいらっしゃるのでしょうか。」
エオル「"誰か"かもしれないし、」
フィードはニヤリと笑った。
フィード「"何か"かもしれねぇ」

少年「本当は誰かいるのかも!」

少年は駆け出した。
妻「こら!ハニア!待ちなさい!」
夫「ハイジさん!」
ハイジは頷いた。
夫妻とその用心棒は少年の後を追っていった。

静かになった場。

エオル「…行こっか」
フィード「そうだな、ちょっとコイツを失敬して」
鹿の縄を解こうとするフィードの脳天にエオルの拳が注がれた。
フィード「何すんだよ」
エオル「絶対ダメぇーーー!!俺の良心が許さない!!」
よしの「お二人とも、ケンカは…」

――少年の悲鳴

フィード「お?」
エオル「!!?」
よしの「…!!」
よしのは弾かれたように走り出した。
フィード「なんだなんだ〜♪」
後に続くフィード。
エオルは額に手を当てた。
エオル「あぁもう…」


悲鳴が聞こえたのはどの辺りだろう、
キョロキョロと周囲を見回しながら走っていると、
後ろからフィードの声がよしのをつついた。
フィード「バカ!前見ろ、前!」
よしの「え」

どかっ

何かにぶつかったかと思えばしかと肩を抱き止められた。
よしのが見上げると、そこには先の仮面の男。
フィード「なんでまだうろついてんだよ」
ハイジ「見失った」
フィードはため息をつきながらすぐ横の民家の窓に寄りかかった。
フィード「ケッ!頼りのねぇ用心棒さま…、」

少年「ギャー!!」

ズバン!

フィードが寄りかかり、頭をつけていた窓が勢いよく開き、
少年が泣きながら飛び出してきた。
少年はハイジを見つけるや、慌ててハイジの背後に身を隠した。
ハイジ「?」
よしのは少年に向けて身を屈めた。
よしの「大丈夫ですか?お怪我は?」
少年はよしのと目が合うと、ヘナヘナと力なくしゃがみ込んだ。
少年「こ…怖かった…」
ハイジは少年を見つめた。
少年はハイジの視線に気が付き、口を開いた。
少年「な…なか…家の中に…」
フィード「痛ってぇな、このクソガキ…」
フィードが後頭部を押さえながらムクリと起き上がりかけたその時、

ドカッ

ツカツカと件の家屋に入るハイジ。
フィードはハイジに向け怒鳴った。
フィード「踏むなーーーー!!」

ハイジは家屋に入ってから数歩で歩みを止めた。
フィード「…?なんだよ?」
家屋内は腐乱臭に充ちていた。
ハイジの背後からフィードとよしのは家の中を覗き込んだ。

その目の前にはイスに腰掛けた人間。
しかし、その腕は、顔は、見る影もなく腐りきっていた。

フィードは盛大にため息をついた。
フィード「なんだ、ただの死体かよ…」
よしのは死体の前で腰を落とした。
よしの「お辛いでしょうに…フィード様、私この方を埋葬差し上げます。」
フィードは「えぇ〜」とうなだれた。

その時、スッと長ドスの鞘がよしのと死体の間を隔てた。

よしの「?」
よしのはハイジを見上げた。
フィード「…!よしの、ちょっと、」
フィードはそろりとよしのの首根っこを捕まえたかと思うと、

フィード「下がってろ!」
よしの「!?」

グイと後ろに引き寄せながら無理やり立たせた。
同時に

「グバァ!!」

腐乱した死体が突然イスから立ち上がった。



        
        
        
        
フィードは構えた。
…の前に、ズラリと光る刃。
ハイジは長ドスの4分の1ほどを引き抜いてズイと死体の首もとに押し当てた。
死体「ギャアァア!ごごごごめんなさいぃい――――!!」


――間――


死体「いやぁ―驚かしてすまなかったね」

再びイスに腰掛けた死体を囲み、
エオルや夫妻はポカンと目の前のありえないものを見つめていた。

フィード「謝るくらいなら驚かすな」
死体はあっけらかんと笑い声をあげた。
死体「ハッハッハッ!
   人を驚かすのは趣味なんだ、
   いや、むしろライフワークだな、あ!"デッド"ワークか!ハッハッハッ!」
フィード「えっ!
     ちょっと待てお前、今…!」
エオル(!
    やっぱり死体なんだ!)

フィード「…どこが笑いポイントなんだ?」
エオル「突っ込むとこ、そこじゃないから!」
フィードは「何!?」とエオルを見上げた。
フィード「じゃあどこなんだ!」
エオルはまじまじと死体を見た。

エオル「村のこの有り様と、あなたのその姿、何か関係が?」
死体は膝の上で頬杖をついた。
死体「…人と話をするのは何年ぶりか…」
そう言うと小さくため息をつき、目を細めた。

死体「恐ろしい話だ、
   旅人がもたらした"不思議な粉"で村の奴ら全員廃人みたいになってしまっての、
   だーれも仕事をせんくなってしまった」
エオル(不思議な粉…魔薬?)
死体「粉が切れるとみんな狂ったように暴れ出して、そりゃあもう地獄絵図だった」

エオル「あなたもその粉を?」
死体は首を横に振って小さく笑った。
死体「小心者だったからな」

そうして今度は腕を組んだ。
死体「そのあとだ、パーヴァーとか名乗る旅の音楽家が訪れてな、
   そいつの音楽を聞くと、みんな心が癒されるのか、大人しくなってなあ…
   私もその時ばかりはみんなに混じってその音楽に聞き入っていたものだ」

死体は自分を抱き締めるように身を縮めた。
死体「だがそれがまずかった、
   粉をもたらした旅人と、その音楽家はグルだったのだ」
エオル「!?
    なぜそうだと?」
死体は頭を抱えた。

死体「音楽家がやってきて、何度目かの演奏の時、
   みんなが集まっているその場に、再び粉がまかれた」
エオル「!!?」
死体「だがその粉は初めの粉とは違ったようだ、
   臓器が止まり、体が朽ちようとも、"死ななくなってしまった"」
フィード「ハァ!?」
死体「初めの粉で頭をやられた連中は、そのままゾロゾロとその音楽家について村を出てしまった」
少年「な…なにそれ…」

クリス「…ゾンビパウダーだな」

エオル「ゾンビパウダー?」
少年は目を丸くした。
少年「タヌキがしゃべった!」
クリスは毛を逆立て威嚇した。
クリス「誰がタヌキだ!」
フィードはクリスを握り締め上げた。
フィード「話を続けろ、クソタヌキ」
クリス「どいつもこいつも!」


        



――間――

クリス「ゾンビパウダーって言ってな、
    肉体と魂を癒着させる、接着剤みたいな粉さ」
フィード「よくわかんねぇ」
クリスは目をそらしてため息をついた。
エオルは慌ててフィードの硬く握り締められた拳を押さえた。

クリス「ようは、肉体の機能が停止しても魂が肉体から離れなくなる」
エオル「…死ななくなるってこと…?そんなこと、"呪い"だけかと思ってた…」
クリス「つい数年前、ある国で軍事利用されて問題になった。」
エオル「軍事利用?」
クリスは冷ややかな笑みを死体に向けた。
クリス「いくら殺しても死なない最強の兵士」

死体は目の前のしゃべる猫をポカンと見つめた。
死体「…何年前の話だ…」
クリス「4、5年くらい前の話さ。」
死体「…私の今の話も6年前の話だ」
クリス「へぇ」
死体の開きかけた口を、
クリスはその口から出るであろう言葉が想像容易いことであるかのように、次の言葉で遮った。

クリス「ちなみにゾンビパウダーを軍に売って大金を儲けた輩は未だ見つかっていない」

死体は両手で顔を覆った。

旅人によってもたらされた元に戻る手がかりは一瞬にして潰えた。
食べることも眠ることもできない腐った体。
自らの目も当てられぬ容姿。
このまま永久に生き続けなければならない絶望。
苦しいのに、悔しいのに、寂しいのに、悲しいのに、目から出す水すらない。

死体「…死にたい…死にたい…」

よしのは涙も拭わず死体を強く抱き締めた。
少年「…なんとかならないのかな…」
母親は少年を抱き寄せた。
少年「…神様はどうしてこんな仕打ちを?」
少年の問いは虚しく宙に消えた。
死体(神…)

エオルは死体の前に腰を落とした。
エオル「…魔導師協会に"呪い"患者専門の療養施設があります。
    あなたのような症状の人もいくらかいるかもしれません」
死体「…」
エオル「残念ながら俺たちは追われる身でして…ご案内することはできませんが所在地なら…」
死体「…いや」

一同の視線が死体に集まった。
死体「私は魔法圏の人間だったが、こんなになってようやくわかった。
   人間最後に頼るのは魔法なんて現実的なものなんかじゃあない」
エオルはキョトンと死体を見つめた。

死体は夫妻に視線を向けた。
死体「…風の噂で聞いたことがある、
   桃花源国の山中に、天界から地上に移り住んだ本物の神がいると」
少年はハイハイと手を挙げた。
少年「いるよ!ハクオウキ様って言うんだ!」
死体「お会いしたい」
父親「山を登って来られた者には、
   この世のどんな善人悪人にも分け隔てなく道を示してくださると聞きます。」

エオルはすぐさま反論した。
エオル「現実的じゃない、
    失礼を承知で言いますがあなたのその体でまともに旅ができるとは思えません」
死体は俯いた。
少年はムッとした。
少年「なんだよその言い方!これだから魔導師は!」
死体「いいよ、坊や」
少年は悲しそうに死体を見つめた。
少年「…な、なんで…」
死体は自嘲気味に笑った。
死体「その人の言うことは本当のことだ。
   珍しがられて見せ物にされるか、
   怖がられて人以下の扱いか、
   それともこの腐った足が腐りきって取れてしまったら、もう歩けやしない、
   あんた、そういうの心配してくれてんだろう?」
エオルは黙ったまま死体を見つめた。

死体は少年に目をやった。
死体「これが、魔法圏の優しさってやつさ、…現実知る前に諦めがついたよ、ありがとう」

明らかに嘘だった。



        



エオル「…」
少年は泣き出した。
よしのは目を潤ませ、唇を噛んだ。
よしの(なんとかできないでしょうか…なんとか…)

フィード「…おい」
一同がフィードに視線を集めた。
フィード「お前、金目のモン持ってるか?」
死体はキョトンとした。
エオル「ちょっとフィード!こんなときに何を…!」
死体「…なんとかしてくれるのか…!?」
フィードはニヤリと笑った。

フィード「"運び屋"っつうヤツらがいてな、
     金さえ積めば、どんなものでも運んでくれる」
死体「どんなものでも!」

エオルは訝しげな視線を向けた。
エオル「いるの?そんな知り合い」
フィード「いいや、これから」
エオル「それ…大丈夫なの…」

フィード「そうだ!"狂犬"、お前知り合いにいないのかよ」
ハイジ「いない、何度かバイトをしたことはあるが」
フィード「ちぇ、ひとりくらいツテねぇのかよ」
ハイジ「いない、すべて切った」
エオル「はい?」
ハイジはニタリと笑った。
ハイジ「裏社会の人間は片端から切っている」
そう語るその目はフィードとエオルに"お前らも例外ではない"と語っていた。
よしのはぽんと手を叩いた。
よしの「ケンカはダメです!
    それでフィード様、どちらに行けばその"運び屋"様にお会いできるのですか」

フィードはハイジの手元から視線を外さず答えた。
フィード「ハンターズに行きゃあ四六時中仕事待ちのそいつらがいやがるよ、
     問題は相応の報酬を奴らに用意できるかだ」
死体「…貯えなら少しはある、
   この姿になってから使う必要がなくなったからな」
フィードはニヤリと笑った。
フィード「そうとくりゃあ」
夫「あとは我々が引き受けます」
フィードは「あ゛ン?」と勢いよく睨みつけた。

夫「あなた方は犯罪者だ、
  この方(死体)を約束通り運び屋の元に連れて行ってくれる確証もなければ義理もない」
エオルはフィードが夫妻に飛びかからないようフィードのコートの端を掴んだ。
エオル「なるほど」

よしのは夫妻を真っ直ぐと見つめた。
よしの「必ず運び屋様の元へお連れします。信じていただけませんか?」
夫は首を振った。
夫「あなた方の"現実的か否か"はいつ別の方向に意思を変えるか、正直怖い」
フィード「柔軟な適応力っつってほしいな」
妻「この方(死体)は私たちが必ず信頼できる運び屋さんの元にお連れします」
一行はキョトンとした。

エオル「あなた方が?」
エオルの"大丈夫ですか?"という視線に、夫妻は同時にハイジに目をやった。
夫「ハイジさんはその道にお詳しいという話でした」
フィード&エオル(オイィィイ!!)
フィード(発言内容歪めんな!そいつが何言ったか思い出せよ!)
エオル(ああもう…これだから神使教は…!)

よしの「そうですか…信じていただけないのは残念ですが…」
よしのは死体に向き直った。
よしの「よかったですね」
フィード&エオル(ここにもいたーーーー!!)

フィード「おい狂犬!変な方向に頼られてんぞ、いいのかょ、」
言いつつ向けた視線の先の狂犬は
フィードとエオルを交互に見ながら、
親指で鞘から刀を出したりしまったりを繰り返していた。
フィード「聞いちゃいねぇ!!」



        



――間――

エオル「本当に連れて行っちゃった…」
フィード「ケッ!ほっとけほっとけ」
よしの「目的地も同じですし、ご一緒できればよろしかったのですけれど…」
エオル「いやいやいや…」
フィード「どの道あのハイジとかいうヤツとはそのうちやり合うだろうな」



少年「あっ!」
夫「どうした?ハニア」
ハニアと呼ばれた少年は後ろを振り返った。
ハニア「ハイジ!さっきの人たち魔導師って言ってたよね!?」
ハニアの隣で鹿に揺られていたハイジはコクリと頷いた。
ハニア「ヤクトミ兄ちゃんのこと知ってるかどうか聞けばよかった」
夫「ヤクトミさんが犯罪者と知り合いなわけないだろう」
ハニアは口をすぼめた。
ハニア「さっきっから犯罪者犯罪者って…」

妻「ハニア、ここまでやってくる間に、
  どれだけ恐ろしい目にあったか、忘れたのかい?」
夫「本当に恐ろしいのは魔物でも自然でも病でもない、
  …信仰心のない、人間だ」

ハニア「…神使教以外の人は恐ろしい?
    ん―…だってヤクトミ兄ちゃんとかいるじゃん」
夫「信仰心というのは絶対領域の心の余裕だ、
  それがない人間は心に余裕がなくなったとき、
  何をしでかすかわからない。
  …父さんはそれをこの短い期間で学んだよ。」
ハニア「…」

死体「心の余裕…」
全身をマントとケープで隠し、
ハイジとともに鹿に揺られている死体はポツリと呟いた。

ハニア「ん?何か言った?」
死体は正面を向いたまま口を開いた。
死体「…私のような者でも、神使教に入信できるだろうか」
ハニア「モチロンだよ!誰だって!ハイジも入れば?」
ハイジはニコリと微笑んで申し訳なさそうに首を横に振った。

ハニア「ちぇ〜!」
妻「こらハニア!強制するものじゃありませんよ」
夫「ハイジさんのそれは法衣だろう?別の宗教に入っているのでしょう?」
ハイジは困ったように首を横に振った。
夫「ハハハ!本当に無口なお方だ!」
ハニア「俺もさっき初めてしゃべるとこ見たよ!ハイジ、しゃべれるんじゃん」
ハイジは頷いた。
ハニア「いや、だから、しゃべってよ…」



フィード「ハクオウキ様ねぇ…」
フィードは歩きながらボンヤリと遠くを見つめて呟いた。
エオル「ん?なんか言った?」
フィード「腹減ったっつったんだよ」
エオル「あぁね。よしのさんは…どうかした?」

よしのは先ほどからギュッと手を組んで黙っていた。
よしの「あの方は一体…普段どのように考えて
    …いえ、どのように育ってきた方なのでしょうね」
エオルはキョトンとした。

エオル「…?
    ……もしかしてあの賞金稼ぎのこと?」
よしのはまっすぐ一点を見つめたままだった。

――良心や罪悪感といった人間の理性的な部分を微塵も感じさせない、あれが

フィード「"狂気"」

エオルとよしのはフィードを見た。
フィード「ああいうヤツのことをいくら考えようが、理解なんざできねぇよ。
     わかろうとするな、あいつはああいうヤツなんだ」

よしの(…そうでしょうか…)

理由のない暴力、
狂気を宿した瞳、
それとは対照的に夫妻やその息子には好かれている様子、
よしのはそのチグハグで読めないハイジという男に無意識に一種の恐怖を感じていた。
その恐怖を拭うため、彼を理解したいと思った。



        



ヴァルハラ帝国 グラブ・ダブ・ドリッブ魔導師協会管轄地区 トランプ本部

ハートのキングの執務室にノックの音が響いた。

ドアが開き、
黒ぶちメガネにライトブラウンの癖っ毛のヌボッとした男、"ハートのエース"ウランドが顔を出した。
ウランドはいつものボソボソとした低い声で執務室の主に声をかけた。
ウランド「…大分お疲れのようですね」

デスクで眉間を押さえながら
机上に山積みの書類を睨んでいた"ハートのキング"カグヤは
睨む対象をウランドに変えた。

ウランドはデスクに山積まれた書類の上に、さらにドサリと書類を置き、カグヤを見た。
ウランド「…別に女性だから体力ないとかいう意味合いじゃないですよ、
     少なくとも私の数倍は働いておられる」
カグヤ「…持ってきた書類で最優先のものは?」
ウランドは窓の外を見ながら答えた。
ウランド「…強いていうならデスクの上のもの全てですかね」
カグヤ「他の書類と優先順位は変わらないということで理解した」

ウランド「…コーヒーでもお持ちしましょうか?」
カグヤ「いや、いい。他に用件は?」
カグヤから"早く出て行ってほしい""邪魔だ"という空気がビシビシと伝わってきた。
ウランドは心の中で肩をすくめた。

ウランド「"魔薬事件"の件で進捗の報告を。」
カグヤは椅子の肘掛けに頬杖をついた。
カグヤ「聞こう」
ウランドは腕を組んだ。

ウランド「…ギルティンの足取りを掴んだそうです。
     場所はムー大陸ジャラル国北部」
カグヤ「海に出るつもりではないか?」
ウランド「そのように自らアピールしているようです」
カグヤ「…我々を誘い込む罠かもしれんな」
ウランドは両手を後ろに組んだ。
ウランド「まあどのみち港町に入る前に叩くとのことです。」
カグヤは一瞬"忌々しい"と顔をしかめ、口にしたくなかった単語を口にした。
カグヤ「"叩く"のは"スペードのエース"だな?」
ウランドは頭を掻いた。
ウランド「…ええ、両エースともにアーティファクトを持たせています」
カグヤ「…ならよい、新たな進捗があればまた報告を。」

ウランド「…コーヒーお持ちしましょうか」
カグヤはキョトンとした。
カグヤ「いや、いい」
ウランドは窓の外を見た。
ウランド「…ではランチでも」
カグヤ「?
    何が言いたい」
    ウランドはカグヤをまっすぐ見つめた。
ウランド「…はっきり申し上げますと、
     キング、作業効率が落ちています」

カグヤの低い声が更に低くなった。
カグヤ「使い物にならんと?」
ウランドは今度はカグヤに見えるように肩をすくめた。
ウランド「…効率のためには適度な休憩も必要ですと申し上げてます」
カグヤは鼻で笑った。
カグヤ「この程度の仕事量」
ウランドはフッと笑いながら顎に手を当てた。
ウランド「…何徹(夜)してもケロッとしてられるのはリケさんくらいですよ、
     あの人は精神力で生きてますからね」

カグヤはしばらく沈黙し、眉根を寄せてこめかみを押さえた。
カグヤ「エースがあれだけの仕事をこなしているのにキングはこのザマか、示しがつかん」
ウランドは両手を後ろに組んだ。
ウランド「人間、疲れには勝てません、それといくつか」

ウランドは人差し指を立てた。
ウランド「…まず一つ、
     リケさんがこなしているのは諜報活動の始末書やら被害の保証業務つまり量、
     キングのは各国と捜査活動との調整業務つまり質です、一つ一つが重い」

ウランドは次に中指も立てた。
ウランド「…二つ目、キングに求められているのは
     こんな雑用をどこぞのエース並みにこなすことではありません。」
ウランドはカグヤに答えるよう促した。
カグヤ「…隊員たちの上に立つこと?」
ウランド「…ノー」
カグヤ「対外交渉?」
ウランドは窓の外を見た。
ウランド「…もっと究極的な答えを求めています」

カグヤは唇に指を当てて少し考えた。
カグヤ「……絶対的な脅威に戦い、勝利すること…」
隊規に書かれている"キングとは何か"の一つであった。
ウランドはデスクに積まれた書類をパラパラとめくった。
ウランド「…そうです。
     あなたはキングである上に"最強の7人グランドセブン"です、
     もしものときに力を発揮していただければ、
     雑務まで完璧にこなしていただかなくて結構です」
ウランドは最後にむしろそこまで期待していません、と付け加えた。

カグヤは笑った。
カグヤ「そこまで言うか」
ウランドは薬指も立てた。
ウランド「ついでに三つ目」
カグヤ「三つ目はついでか」
ウランド「リケさんはあなたより約一回り年上です。
     張り合ったところで10年分の雑務経験の差は埋められません」
カグヤ「一回りもない、9年だ、失礼なやつだな」
そう言うカグヤからは眉間のしわが消え、笑みがこぼれていた。

ウランド「…笑うほうが失礼ですって」
カグヤ「うるさいな」
ウランド「…コーヒーでも?」
カグヤ「ランチにする」
ウランド「ご一緒しましょう」



        
        
        
KT … カイセツ(K)とツッコミ(T)
      またの名を
      カユイ(K)ところにテ(T)がとどく


      
       
p.1    黒い仮面…というか、正確には鼻サポーターです。
    何年か前のワールドカップで鼻を骨折した選手がマジックで黒に塗りつぶした鼻サポーターをつけていましたが、まさしくそれです。
       

p.3    "狂犬"ハイジ
    17話のハンターズの店長しかり、フィードしかり、
    初対面でもこいつが狂犬だ、とわかるくらい特徴的な男、それがハイジ。
    一体どういう特徴と出回っているんでしょうね。

       
p.4    その、社会の異物をみるような目
       さっき「一般人の俺には〜」というくだりがあった分、エオルにはズシンときているんじゃないでしょうかね。
       

p.7    死にたい
    生きとし生けるものにとって、死とは一体何なのでしょうね。


p.8    バイト
    賞金稼ぎというのは安定したお金が入らないのでそれだけで食べていくのはきついみたいです。
    ハイジはありとあらゆるいろいろなバイトをしています。
    今回の"用心棒"はかなりマシなバイトではないでしょうか。
       
       
p.9    ハニア
       第4話で出てきた神使教徒の少年です。
       
       本当に無口なお方
       エモノ(賞金首)が目の前にいるとテンションが上がってしゃべります。
       テンションが上がらないとしゃべりません。
       本人は意図的ではなく、まったくの無意識。だって、それでコミュニケーションが成立するんだもの。
       
       その恐怖を拭うため、彼を理解したいと思った。
       世間で猟奇的な事件が発生した時、
       ニュースなどを見ながらあれやこれや考えるのは、こういうことなのかなと。


p.10   失礼な話
    女性の年齢の話を堂々とするウランド(笑)ヤツは空気が読めているようで無神経です。鈍感力です。
    ちなみに
    カグヤ…27歳
    リケ…36歳
    ウランド…33歳
    です。
       
       
       2010.10.30 KurimCoroque(栗ムコロッケ)